
先日は『鈴木祥子私的讃美歌集1.』の録音でした。
自分としては初めての“フューチャー・ファンク”の曲調、
プロデュースと録音をしてくださるのは中山佳敬さん。
チームとしての作業もじょじょにあ・うんの呼吸になってまいりました❗️
4つのコードを循環していくなかで、語り手が言いたいことを言う、
この手法は元を正せばやっぱりブルーズ。
そこからファンク→ソウル→フューチャー・ファンクへと
きちんと道筋が辿れる、これが音楽の歴史性というものだナ〜、
と思います。反対にブルーズから先祖帰りをすれば、そこには
ゴスペル、教会音楽がしっかりと根を張っている。。。というわけなのです❗️
間奏で英語版の旧約聖書『雅歌』第7章12節〜13節、第8章14節を朗読しているのですが、
私はこの「雅歌」が大好きなのです。ソロモン王の愛の詩は格調高く、
不思議な、神秘的な。。。それでいておおらかな魅力にあふれています。
喩えて言うなら「万葉集」の中の愛の歌の素朴な魅力、
古代の愛のオープンな、純粋な美しさにも通じるところがあるかも知れません。
官能、の在り方が純朴で、混じりけが無いのですネ。
(ハモンド・オルガンやっぱり良い音❤️。。。)
思えば現代の愛、とか官能、というものはこの「雅歌」で謳われる世界と
何と遠くかけ離れていることか。。。
何かいろいろなおかしな意味づけが行われていて、
あぁ、これでは愛って何なのか、男と女が共に居る、ってどういうことなのか、
その根源的な意味がわからなくなるわけだ。。。と思うのです。
神様の世界では愛は神聖で、闇も影も罪もそこに近づくことは出来ません。
サタンがどんなに引き離そうと画策し邪魔をしても、
主に結びつけられた愛は壊れません。時とともに薄れる、こともありません。
クリスチャンの使命とはその違いについてハッキリと言葉に出来ること、
それを人に伝えられること。
そんな強い思いを込めて曲を、音を作る、言葉を書く。。。っていうことを
してゆきたいし、してゆくべきじゃ無いか??などと思ったりします。
そう、いまクリスチャンの(私の、ですネ‼️)いちばん大きな課題は
「愛をいかに語るか。」
分断が進み争いが起きる世の中で、人と人が神様の愛で結びつくこと、
支えあい、許しあい、学びあうこと。
その神聖さについて語れること。。。証しをすることが何よりも重要になってくる、
のかも知れません。
クリスチャンとしてまだ全然実力不足な私ですが💦。。。
神様がその方法を、道をきっと教えてくださるでしょう。
そのためにもっとお祈りをして、その中で解ったこと、学んだことを
これからもお伝えしてゆけたらナ。。。と思うのです。
『鈴木祥子私的讃美歌集1.』もうすぐ出来上がりますので、
どうか御期待くださいませネ❣️❤️
(401Stで作業中の曽我淳一さんがチラッ、と遊びにいらしてくださいました‼️
久しぶりにお会いできて嬉しかったー❗️)
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