my idols & heroes

2020年7月 8日 (水)

ショックです。

 

ここ30年で一番ショックを受けています。私の永年に渡る憧れだったex.JOURNEYの

STEVE PERRY様が

 

”Don‘t Stop Believin‘“の作者の一人として、政治的にこの曲を使用されることに

許可を出した覚えは無い。

 

という意味のツイートをして多くのLikeやRetweetをされています。

そのツイートは貼りません。。。だって、

その言葉があなたのものだとは信じられないから。

It Seems That I Have To Stop Belivin’ In You And Your Music..

 

先頃のストーンズの問題と同じですね。超人気の、

あの反・聖書のマクドナルド🍟さんとも

全く同じスタンスだ、ということになります。

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-e67378.html

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-9ed73f.html

 

こんなショックなことって無いです。

マクドナルドさん🍔もそうでしたが、今、反・トランプの方たちが分断行動をしています。

トランプ大統領を”批判しない“人間にいちゃもんをつけ、

暴力的に弾圧迫害して来ます。

暴力は文字通りの暴力とは限らず、言葉によるものも含まれます。

 

They Want Us To Be Devided From Each Other and I've just realized that he...

He is one of them.can anybody help me from this...serious disillusionment??

 

ほかでも無いあなたが、それをするのか。。。喩えようもないショックを受けています。

 

SNSを用いて、政治の名を借りて、音楽を自分の所有物だと。。。言った。。。?

あなたが、よりにもよってあなたが。。。?

 

 

ストーンズの一件を読んだときは、

こんなことを言い出すなんて、アーア、ストーンズも墜ちたな、と思っていました。

 

しかし事はストーンズでは済みませんでした。。。

お願いだから嘘だと言って、Say it isn't so,

...と思うけれど本当のことなのです。

 

ああ、ね。

と、あの謎の手打ちの意味さえも悟ってしまいました。なーるほどね。

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-1b40b2.html

 

悲しいよ。。。

 

だってあなたの音楽を、

歌をずっとずっと信じて来たのだから。ある時までは。。。

 

。。。唯一にして最大の救いは。。。私がクリスチャンだということです。

クリスチャンには神が、主がともに居てくださるので大丈夫、なのです。

 

この時の為にわたくし、クリスチャンになったのですね💒。。。意味が解りました。

It Does Make Sence.

なってなかったらヤバかった、絶望してました。。。マジで。

 

そしてSNSを辞めて本当に良かった。

あなたのそんな言葉を、もう聞かずに済むから。視ないでいいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年7月 4日 (土)

Love to play Mozart❣️

 

唐突ですが、モーツァルトを弾きたくなる時というのがあって。。。

今まさにそのモードなのです。

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/index.html

 

ピアノ・ソナタ正確にはKlavier Sonataを練習していると、

モーツァルト。。。いえ、アマデさんの子供心、遊び心というのが

ストレートに伝わって来ることがあります。

この人は本当に無邪気で少年みたい、いえ、子供みたい。

それなのにあまりにも重篤な才能を神から賜ってしまって、

これは永くは生きられないよ。。。と思ったりもするのだけど、

やはりその作品に触れているのは至上の歓びです!

 

(過去記事より。。。)

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-26dc.html

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-2e94.html

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/amade-1d2f.html

 

その子供心に触発?されて、譜面上に指示してある指づかいとか

アーティキュレーションとか適正、と思われるテンポをガン無視(笑。。)して

好きに弾いていると尚一層の喜びが。。。❤️

 

グレン・グールドの超Largoから超絶Prestoにまで駆け上がる、有名なKv.331、

を真似して弾いてみたり、とアマデさんに怒られそうなことばかりしています。

 

 

残された書簡など読んでいると、Klavier演奏においてアマデさんの嫌いなことはとにかく

タッチが粗雑なことと、トリルが美しくないこと。

そういうふうに弾く生徒のことを、持ち前の無邪気さと毒舌でこき下ろして

いたりします(笑)。

じゃあタッチが綺麗でトリルが美しければあとはどう弾いても良いってことだ!

と勝手に解釈し、ひたすらトリルの練習をしてたらだいぶ綺麗になってきました(嬉)。

 

 

あと、衝撃性、でしょうか。

自分の感じではこれもアマデさん演奏に欠かせないものだと思います。

美しさと衝撃性、そして綺麗なうえにも綺麗なタッチがあれば良い。。。

 

って、そこまで行くのにどのくらい努力すればいいの😂❗️

 

。。。スコアには、譜面には全てが書いてあり、また

そこには音符しか書かれてない。作曲家の心、のようなものを読み込んでゆくのが

スコアを読むということであり演奏する、ってことなのだなァ。。。

と、心から感じる私なのでした。“書いていない”ものを読む、

ヒントは“書いてある”音符。まるで宝の地図みたいです。

 

 

私の大。。。大好きなモーツァルト演奏といえばやはり

フリードリヒ・グルダに尽きる😍❤️❣️

という感じなのですが、

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-d30f.html

 

先日偶然聞いたゴッドリープ・ヴァリッシュというピアニストも素敵だった、

あたらしい感覚のソリッドなモーツァルト、という感じで非常に魅きつけられました。

甘く無く、シャープだけれど音色に深みと艶があって。。。これはヨーロッパの人だろう!

と予想して調べてみたらやっぱりウィーン出身の方で、

なるほどなァ。。。と深く納得してしまったことでした。

 

 

P・S

 

今調べたらフリードリヒ・グルダもウィーン出身。。。昨年のウィーンへの旅のことを

憶い出し、アマデさんがスキで好き過ぎて→ウィーンに行って→クリスチャニティに至った。。。

ことは自分の人生の必然だったのかも知れない、というような感慨に打たれてしまいました。

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-f4dd.html

 

(2015年の記事でもうわたくし、「神」と「悪魔=サタン」に言及しているんですネ。ウィーンで、

アマデさんの眠る“ザンクト・マルクス”に導かれるように行くことが出来たのは

やはりGod‘s Will,だったとしか思えない!のです。)

 

 

 

 

 

2020年5月22日 (金)

矢部さんの素晴らしさを何に例えればいいのか?my English diary5.


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             May.2005,Club Metro/Kyoto,W/CARNATION.

 

It's almost about this time back in 2005,we're in Kyoto and did an incredible show

at Club Metro for just one night.

It was just UNFORGETTABLE,a night to remember...

playing with them was just wonderful experience for me both musically and mentally,

because they always BE the TRUE,the SERIOUS MUSICIANS.

creating the music with such great musicians is a tremendous joy for a musician like myself....who adored and worshipped the music(in a way,more than now.)

but at that time,there was also a little sad thing going onーlike being written bad things about playing with them on the anonymous massage board like...you know,

It was sad.because I believed that the music WAS the main thing and was confident about itー

...so this picture of us brings me back memories that were both HAPPY❤️,

and sad.😭😊


矢部さんの素晴らしさを何に例えれば良いのか。。。私はCARNATIONの名曲中の名曲「レオナルド」を歌わせていただくことになったのですが、その素晴らしさを言葉の前に音で語りたいと思います。で語ることができたら、言葉でもきっと語ることが出来るでしょう。録音は今月末、

命懸けます‼︎

 

 

2020年5月15日 (金)

音の恩は、音で返す。

 

音で受けた感動は、音で返すしかない。

そういう言葉がふいに浮かんで来ました。

ゴダイゴの2014年12月のライブの日、私はその1年前に亡くなられた

大瀧詠一さんの御命日がもうすぐであることを

考えずには、想い出さずにはいられませんでした。

その日になればまた悲しみが襲ってくるのが解っていたし、

大晦日やお正月を楽しい、ウキウキした気分で過ごすことは多分もう

ないのだろうと思っていました(←後から、こういう考えかたはもの凄く間違っていた、

ということに気づきました。しかしあの時点では、そう思い込んでしまっていたのです)。

 

 

。。。でもずっと行きたかったGODIEGOのコンサートに行って、昨日も書いたのですが

その日演奏された1曲、1曲に心の底から感動し、

ああGODIEGOはやっぱり凄い、凄過ぎる、この場にひれ伏して膝まづきたい、

日本にこんなにも優れたそして格好良いバンドが、作曲家が、

ミュージシャンが存在して居てくれるということの、なんという心強さ、なんという僥倖、

そして

音楽って本当に素晴らしい、本当に素敵だ。。。

 

。。。あれっ?私、音楽やってたよネ?そう言えば。。。

 

。。。そういう意識の変換と転換があって、

その日のライブはだから命を救ってくれた、と言えるくらいの

感動と、愛を私の中に刻みつけてくれた特別なライブだったのでした。

 

あの日、『ガンダーラ』は本当にある種の聖歌のように聴こえてきたのです。

その時に生まれた空気、包まれた“何か”が今でも忘れられません。

魂を奪われる、というのはあのことです。

 

あの感じは本当に、仏教でいえば浄土であり、

クリスチャニティで言えば天国、でした。

救われたーーそう、私はあの時、5年後にクリスチャンになることが決定したのかも知れません。

 

。。。そうやって音で受けた大き過ぎる恩を、

音で返さないといけない。そう思いました。

受けた愛を返せる方法はただひとつ、自分から愛すること。

それしかありません。

今作っているカバーアルバムには大瀧さんが聴かせてくださった曲が

2曲入っています。

「出来ました!!」

と言えたらどんなに良かったか、。。。いえ、

きっと絶対に、聴いてくださっているでしょう!

 

あの2014年の12月に、GODIEGOのコンサートで受けた大きな愛も、救いも、

音で、音に込めた想いで、

絶対に返してゆこう、と決めました。

 

もう一回書いておこう。

音の恩は、音で返す。

2020年5月14日 (木)

本当にショックです。

今日はスタジオに行って歌うために、考えないようにしてテンションを上げてたのですが、

GODIEGOの浅野孝巳さんが亡くなられたのが本当にショックです。

私は2014年の12月に神奈川県民ホールのゴダイゴのコンサートで

ああ、音楽って何て素敵で、何て素晴らしいものなんだろう。。。凄いナ〜。。。

。。。アレっ?!私、音楽やってたんじゃん。。。

と、ギャグではなく本当に気づかされたのです。そして興奮し切った気持ちのまま

長いファンレターを書き、

後で読み返したら思い入れが凄くて恥ずかしくて出すことが出来ませんでした。

あの名曲、『ガンダーラ』の、生のゴダイゴの演奏を聴いたことがありますか?

テレビとか、DVDとかじゃ無くて、生で。

あの経験は忘れ難いです、あの曲は一種の聖歌というか、宗教音楽というか、

ポップスやロック、皆知っている大ヒット曲というよりも、いや、そうでありながら、

何か普遍的で不変なものが宿ってしまった聖歌でありアンセムなのだと

その夜、知りました。

イントロと間奏とエンディングの、あの浅野さんの幻想的なギターの音色に

魂が抜けたようになった自分のことをいま、生々しく憶い出しています。

あの『ガンダーラ』がまた生で聴ける、と信じて疑わなかった自分は何と、

 

幼かったのか、無知だったのかと思うのです。

さっきまでテンションを上げてたぶん、本当に悲しくて仕方ありません。

あのギターの音色で頭がいっぱいで、御冥福なんか全然祈れないよ。

 

。。。でも、私はクリスチャンなのだから、祈ります。

祈ろう、と思います。

 

2020年4月 3日 (金)

輝きの記憶。

フレディが亡くなった時何日か涙が止まらなかった。長さんが亡くなったときも淋しくて泣いた。

小学生の頃、志村けんさんのテレビでのファースト・アピアランスを目撃した。

突然上半身裸で登場してもの凄いインパクトだった。

たしかに“フェミニズム的に”批判される芸風もあったと思う。

でもこの方を見ていて嫌な気分になった、という記憶が無い。

いつも何処かにノーブルな品があった。だから皆あんなふうに、

心から大らかに笑えたのだと思う。

有名人の死で一番悲しかったのはやはりフレディと、いかりや長介さんだったが、

やっさん(横山やすしさん)の時もショックだった。

ティーンエイジャーの頃、リアルタイムのお笑いのスターは“ひょうきん族”に出ていたような人たちで、

やす・きよというのはずいぶん世代が上だったけれど、

当時(1983年)やっさんの放っていた正体不明の輝き、というのは非常によく憶えている。

脳裏に焼きついている、という表現がおおげさで無くぴったり来るほどに。

その輝きを記憶しているということが、皆が共有しているということが、

「スター」ということでありスターという存在なのだろう。

私はやっさんのことを憶い出すとき、何故かマリリン・モンローを同時に憶い出す。

スターというのは現し身の存在ではなく、その輝きであり「輝きの記憶」なのだということを

教えてくれるからでは無いか、と思う。

志村けんさんの芸風を“性的搾取”と批判した人を、私は必ずしも責めることが出来ない。

同意はしない、でも非難もしない。

ただ、不謹慎のように思えることも、子供の教育に悪い、

と言われる(私が小学生の頃、ドリフターズの芸はそう批判されていた)ようなことも、

何故か許せてしまう、無条件に笑顔に”させられてしまう“何かがあった。

私の感じたノーブルさというのは多分とても無垢で、純粋なもの、

それがスター性であり、芸の力、というものであるならば、

そのような芸を身近に観て、感じて育ったことは、

私たちにとって大きな幸福だったのではないか、と思うのだ。

 

2020年3月24日 (火)

”To look at the painting on the wall from the outside.“

 

AP: When you hear old Journey music, what memories come to mind?

Perry: Well, I have a bit of a total recall memory bank that can haunt the living (expletive) out of me, (laughs) unfortunately. And it does spark a lot of memories — some not so good, some great. … It’s been really nice to be able to hear that music from the outside looking in ’cause forever, I was only on the inside looking at what it was to make it, how we did it, how we put it together, and the struggles to get it to where it was and where it’s been all these years. They’re like paintings on the wall, ya know, but now it’s able for me to finally, to look at the painting on the wall from the outside.

 

そっか〜。。。そうなんだな。。。そっか〜。。。。

 

と、それしか言えない私。JOURNEYの名はもう彼にとって壁にかかった絵でしか無い。

だから譲渡、したんですね。その中に居ることは考えられず、そこに在る総てを手放したかった。。。

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-18bc41.html?-

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-1b40b2.html

 

インタビューの中で“JOURNEY”という言葉を発して無い、一度も。

That music"

と言っている。

”Our“でも”My“でも無く

“That music”...

“あの音楽”。

。。。当然だな、と思う自分と、

あなたこそがJOURNEYなのに、

あなたがJOURNEYで他には無いのに、

と想う自分の間で解決がつかない(笑&涙)。今もまだつかない。

悲しい。いや、それは適切な言葉じゃない。淋しい。それも違う。

虚しい。いや、そうじゃない。悔しい、のでも無い。悪いけどその全部。

「それが何だったか、内からすべてを知っているからこそ、

どんなふうに成されたのか、成されて来たのか、

どんなふうにもがいて、どうやり遂げて来たのかを解っているからこそ、」

今はついにそれを外から、壁にかかった絵みたいに眺められるようになったんだ。

そう彼はいう。。。

総てを知っているからこそ、そこから立ち去った。。。

。。。あたしの青春返して‼️(笑)、いや、そういうことじゃないんだよ。。。

強いていうなら

The End Of The Innocence,

ってことになるのでしょうか。自分の新しいInnocenceって何なのか、

探す旅の始まり、

The Beginning Of The New JOURNEY,

なのかもしれません。

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STEVE様1979年〜1980年のルックス・髪型最強伝説Inマイセルフ。

私の中の永遠。永遠とは。。。あなたの別の名だ❣️❣️

 

https://www.youtube.com/watch?v=BP4LPBaavzs

(敢えて貼っておこう、この動画を。辛くて30秒と観ていられない。

でも貼っておく。こんな狂ったことが許されるなら、

世界がそこまで狂っているなら、

そこで生きるためには自分も狂わねばならないのなら、

私はそれを拒否する。

ほかの場所を探すだろう。)

 

何故よりによって、本当。。。によりにもよって一番愛していた、

その中で生きていた、文字通り青春がその音楽とともに在った、その音楽無しには「私」は無かった、

くらいに大好きな人とバンドがこのような、

利権の世界の最前線、ともいえる音楽産業の世界で起きたあらゆる利権争いの中でも、

およそ聞いたことも見たことも無いような最悪の交代劇や裁判劇や利権譲渡劇に

巻き込まれなければならなかったのか。

ただただ残念とも悔しいとも悲しいとも苦しいとも言い難い。

STEVE様の復活劇までは凄く希望をもっていた。世界が善の方向に向かい始めた、

とさえ。。。いや、今もそれは真実だと思っている。

ただその闘いは想像したよりも熾烈、そのものだ。

復活、resurrection...キリストの復活と、そのあとの2000年を経て、

黙示録の、revelationの時代が来た/来ている。。。

その後の顛末と、発覚した事実は私に何を教えようとしているのだろう。

 

(主観的過ぎてお前の日記に書いとけ!と言われそうなことばかりで

ごめんなさい、ちょっともう、全部書いて、誰かに無理矢理見せる、くらいしか

心を回復させる方法が思いつきませんでした。音楽って凄いですね、

他人事みたいですけど、ここまで自分の奥深くに浸透して影響を与える

ものなんですね。何故“宗教”と“音楽”がある意味で一体であるのか、

変な言いかたですけど、自分の過剰な反応から判然とする、浮き彫りになってるヨ、と思いました。

 

私、クリスチャンになって、音楽を第一にしてはいけない、

ということを識ったのですネ。第一は神様であり、神様に捧げるために

音楽があるのだ、と。価値の大転換が起きました。

その大転換した価値観からすると、音楽はやり方によっては

大きな罪になり得る。神様のかわりに“人”や“音楽”を崇めたら、

それはまごうかたなき偶像崇拝=Idolatryです。

神様に捧げるのでは無く人に心を捧げたら、それは二心(ふたごころ)=Double-mindednessの罪です。

クリスチャニティ的?に言うなら、私は両方の罪を犯していた。。。ということになります。

それは駄目なことだよ、と神様に裁かれ、また教えられているのだ、と

思いました。心の苦しみを信仰的に解決、することが出来ました。

別の言葉で言ったら救われる、ということ。To Get Saved,です。

“私が追いかけて来たものって何だったの、幻だったの?。。。”

という問いの答えはそういうことだったのでした。

音楽との関わりかたも、やりかたも、

これから変わってゆくことだろう、と思います。

しかし変わらないところはま〜ったく変わらない、というか変わりようが無いだろう、と思いますので(笑)、

こんな私ですがどうかおつき合いいただけたら。。。と思うのであります。

The  Beginning Of The New JOURNEY,と昨日、

思いつきで書きましたが、本当にそうなんだナ。。という気がしています。

 

 

 

 

 

 

2020年3月21日 (土)

“And after all...Tomorrow is another day.”

 

http://amass.jp/131979/

。。。しかしこの出来事は、私の中に手つかずに保たれていた何か、を破壊するにじゅうぶんの馬鹿馬鹿しさと低脳さだった。

長年のバンドメイトに1000万ドル要求するその神経も凄いが、STEVE PERRY様の真意が見えなさ過ぎる。

 

排他的、独占的、取消不能の契約でJOURNEYの名前と商標をショーンとケインに譲渡していた、なんて世界中の数多のファンにとって初耳だろう。寝耳に水、と言ってもいい新事実である。

 

何故かというと。。。JOURNEYとはSTEVE PERRYでありSTEVE PERRYの声だからである!

1978年以降にJOURNEYのファンとなった全員が同じ想いだろう。

その当の本人が取消不能、なんて高圧的な契約書にサインした、させられたのだとしたら、これは人権侵害、人権蹂躙、といってもいいようなことだ。「契約書」には双方の協議や話し合いの余地を残す条項が必ず盛り込まれている。それが無い、ってどういうことなのか。

 

業界に入りたての20代ならいざ知らず、1998年はもうメンバー全員百戦錬磨の、50にも手が届こうかという頃。。。

 

2017年の公の場での和解はどう考えても不自然だ。何故和解するのか。何故認めるのか。

そんな契約の存在を知らなかったからこそ、私は彼の姿に号泣したのだ。すべてを乗り越えて、歌に、音楽に戻って来てくれた。。。そう思ったから。

しかしその契約が既に20年前になされていたのだとすると話は違ってくる。だって生涯許さないでしょ普通。もしくは最初からそんな契約をする、筈が無い。和解の動機が不自然過ぎる。意図的な演出、を感じる。

 

ソロアルバムでの復帰のため、納得ずくの手打ちだったとしても、

双方の利害が、一方では一致し過ぎ、もう片方ではズレ過ぎていて違和感を禁じ得ない。

 

うん。最早真意も経緯もどうでも良い。

 

なにこれ利害と利権と、お金の匂いしかしないじゃん

 

。。。だったらもう伝説で良かった。永遠に美しい音楽と想い出だけを残し、戻って来てくれない方が良かった。

私は彼らの音楽をずっとずっと愛していられたことだろう。

 

「私の中に手つかずに保たれていた何か」。。その何かとは夢、憧れ、みたいなもの、自分の足元にたしかに在る、と信じていた地盤のようなものだった。その地盤の上で私は自分の音楽をやりたかったしやっていたし、やれると信じていた。

 

。。。最初からそんなものは無かったのだ。無いものをある、と思い込んで/思い込まされていただけだった。

 

永遠の名作『風と共に去りぬ』のラスト近くで、

私は。。。今まで幻を追いかけてたのね。。。」

と愕然とするスカーレット・オハラの?気分。

 

しかし何かがめちゃめちゃ腑に落ちたときの、青空のように(あ、今日は3/21だ❣️)せいせいした、

迷い無く完全に心を決めた時の、

悲しいけれどどこか清々しい、手前勝手にドラマチックな。。。あの名台詞の気分でもある。

 

And after all...tomorrow is another day!

 

もう純粋に彼らの音楽を“愛する”ことは出来ない。全てがこの結末に繋がっている、と解ってしまった今は、

それがどんなにか素晴らしい、自分の人生や青春のかけがえの無い一部であり継けた音楽だとしても。

。。。それで良いや、と思えるくらい、私はいつの間にか成長していた。そのことが少しだけ嬉しい。

けれど、とても苦い。

いつか。。。いつかすべてを忘れて、またあの青春に、

戻る時が来るだろうか。

ミシュス、きみはどこにいるのだろう。

チェーホフの小説の最後の一行を何故か憶い出した。

『中二階のある家』。たしかそういう小説だった。

 

 

 

 

 

 

2020年3月20日 (金)

青春の墓標。

 

http://amass.jp/131979/

何という醜い争い。。。本当に信じられない。

10代の頃憧れてた音楽、って何だったんだ、と心から思わされるJOURNEYの利権争い。

洋楽が大好きになって、ラジオで聴いたJOURNEYに夢中になって

レコードを買ってコンサートに行って。。。

そんな自分が阿呆だった、と、1000年の恋も醒め果てる思い。何という茶番劇。

そうだったのか、Steve様はそんな契約書にサインさせられたのか。

だから数々のimitatorsが自分そっくりに歌っても、

ジャーニーを名乗って好き放題やっても沈黙を守っていたわけか。

じゃああの、わざとらしい和解の手打ちは何だったのか。。。

いくらソロアルバムが出ると言っても不自然じゃないか?

私は今のヴォーカルと笑顔でツーショットなんか撮って欲しく無かった。

撮ったとしても公開して欲しく無かった。ああいう和解?を、

ファンが喜ぶと思ったんだろうか。

(事情を知らない方すみません、もうファン目線のみで書いております)

 

何よりも救いの無いことは、

それでもあの頃の彼らの音楽は素晴らしい、と感じられること。

音楽は美しい、でも人間は醜い。

こんな人たちがやってる音楽が好きだったなんて恥ずかしい。。。

と御願いだから思わせないで欲しい、欲しかった。

 

ああ、私はJOURNEYが好きだった、愛していた、日本のオフィシャル・ファンクラブの会員番号324番だった。

まさに青春の墓標、墓碑銘。。。と呼ぶに相応しくて笑ってしまう。

 

しかし!

今の私には、それがどういうことだったのか解る。

同じひとつの敵が存在する限り、地球上どこの国でも同じようなことが起きている。

 

そんな歪んだ価値観が崩壊する時が来る。

女よ、嘆くのはやめよ。

美しいものをすべて醜くしてしまう邪悪な力よりも、

神様の力は強いのだ。Oh,God of almighty‼️

こういう時は詩篇を読むに限るのだ〜。

 

暗黒の中を行く疫病も、

真昼に襲う病魔も、

あなたの傍らに一千の人、

あなたの右に一万の人が倒れるときすら、

あなたを襲うことはない。」

 

”Nor of the pestilence that walks in the darkness,

Nor of the destruction that lays waste at noonday,

A thousand may fall at your side,

And ten thousand at your right hand,

But it shall not come near you.“

 

(詩篇第916節〜7/Psalm91:67)

 

あ〜、詩篇は元気出る!そして涙も出る。。。

時がある。

 

 

 

 

 

2020年1月24日 (金)

When I fall in Love, it will be forever❤️.

 

。。。先日思ったのですが、

松本ちえこさんの『ぼく』を聴いててめちゃめちゃキューン❤️となる自分は、

レッチリの『Under the bridge』でのアンソニーのリリックと歌唱にキューン❤️となる自分、

はたまたSteve Perry様の1979年〜1982年のサラツヤ・ロングヘアとハイトーン・ヴォイスの奇跡の組み合わせに

キューン❤️

となる自分とどこがどう違うのか、どう似ているのか。

たとえば‘80年代少女としてご多聞に漏れず聖子ちゃんカットにしていた高校生時も、

聖子ちゃんにこのような類の

キューン❤️

を感じたことは無く、寧ろ高1の頃、同じクラスの男の子と「中学の時つきあってた」女の子が「昨日『スター誕生」で優勝した!」

。。。と大騒ぎになった、同い年の明菜ちゃんにキューン❤️としたりしました。

レッチリと同時期に大人気だったオアシスのヴォーカルのリアム・ギャラガーに

キューン❤️

とするかと言ったらしない。Nirvanaのカート・コバーンは卓越したソングライターで超!のつくイケメンですがやはり

キューン❤️

となったことは無い。。。

モーツァルトの音楽の優美さと精巧さに死ぬ程

キューン❤️

となるけどベートーヴェンにはならない。。。

 

などなど、たまたま同時代だったとか、カテゴリー的に似ていた、とかであの人とこの人が同じ枠に入ったり入れられたりすることってよくあるものですが、

フィッツジェラルドにキューン❤️としてもヘミングウェイにはしないとか、

『偉大なギャツビー』の野崎孝先生の翻訳にはキューン❤️とするけど村上春樹さんの訳にはしない、

とか、もう数限り無い例が(自分のなかに)あったりします。その違いとは何か?について勝手に熱弁をふるいたいところなのですが。。。

いや〜、言葉にするって難しいネ〜、

と心底思います。

しかし「個人的なことを言葉にする」ことが

文化

なのかな、とも最近感じるのです。

言葉にし難いことを言葉にする/しようとする=抽象化し普遍化することの出来る能力があるから、

人間は動物と違う、人間なのだと、

聖書を読むようになってから強く感じるようになりました。

アマゾンで買い物した時などに自動的に出てくる

“これを買ったってことは。。。あなた、これも好きなんじゃ無いですか〜?!”

と買わせる気満々のあのレコメンドにも、

あたしはこれが好きなのであって、似たような違うもの、は別に好きじゃ無い。いちいちおススメして来んな!”

。。。と言いたくなります。つまり。。。

人が何かにキューン❤️とする、心を奪われる、恋に落ちるということにはその人固有の事情と個人史に起因する

明確で不可避的な理由があり、決して「何となく」「フィーリングで」そうなっているわけではない、

ということなのですネ。

寧ろ矢鱈めったら起こることでは無い奇跡のようなものだ。

それはある種の逆上であり、

自分の内の決して触れられたくないもの、に触れられたときの逆上、でもある。

触れられたく無いものとは実は、ものすごく触れられたいもの、理解されたいもの、

誰かに解って欲しいものでもある。だから歌や音や言葉や、存在によってそれに触れてくれた(と感じる)

人や歌やモノにキューン❤️とする=心を奪われる=恋に落ちるのだ。。。

。。。つまりそれは間違い無く、ある種の宗教的な感情なのです

救いを求め、救われたいと希うことです

それは人間が人間の愛を超えた、神の愛、を求め移行しようとする前段階である

あたしゃ言い切っちゃいます。

♪逆上するように、あな〜たを、愛してる(By「水の冠」)❤️😍。

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(昔の)アンソニー〜😍❣️❤️彼のリリックが、書き言葉が私は好きです。

読んでいると言葉、と真剣に向かい合い、格闘してることを感じるから。

能天気なお祭り男、みたいに言われてることも多くて(勝手に)憤慨しております😤❗️

。。。ナ〜ンテ、自分もず〜っとそう思ってたのですから人のことは言えませんが😅😅。。。

言葉、ってある意味外見などよりも過たずその人の本質を現すのだな〜と言うことを、

Anthonyのリリックが教えてくれたのでした!

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