my idols & heroes

2020年4月 3日 (金)

輝きの記憶。

フレディが亡くなった時何日か涙が止まらなかった。長さんが亡くなったときも淋しくて泣いた。

小学生の頃、志村けんさんのテレビでのファースト・アピアランスを目撃した。

突然上半身裸で登場してもの凄いインパクトだった。

たしかに“フェミニズム的に”批判される芸風もあったと思う。

でもこの方を見ていて嫌な気分になった、という記憶が無い。

いつも何処かにノーブルな品があった。だから皆あんなふうに、

心から大らかに笑えたのだと思う。

有名人の死で一番悲しかったのはやはりフレディと、いかりや長介さんだったが、

やっさん(横山やすしさん)の時もショックだった。

ティーンエイジャーの頃、リアルタイムのお笑いのスターは“ひょうきん族”に出ていたような人たちで、

やす・きよというのはずいぶん世代が上だったけれど、

当時(1983年)やっさんの放っていた正体不明の輝き、というのは非常によく憶えている。

脳裏に焼きついている、という表現がおおげさで無くぴったり来るほどに。

その輝きを記憶しているということが、皆が共有しているということが、

「スター」ということでありスターという存在なのだろう。

私はやっさんのことを憶い出すとき、何故かマリリン・モンローを同時に憶い出す。

スターというのは現し身の存在ではなく、その輝きであり「輝きの記憶」なのだということを

教えてくれるからでは無いか、と思う。

志村けんさんの芸風を“性的搾取”と批判した人を、私は必ずしも責めることが出来ない。

同意はしない、でも非難もしない。

ただ、不謹慎のように思えることも、子供の教育に悪い、

と言われる(私が小学生の頃、ドリフターズの芸はそう批判されていた)ようなことも、

何故か許せてしまう、無条件に笑顔に”させられてしまう“何かがあった。

私の感じたノーブルさというのは多分とても無垢で、純粋なもの、

それがスター性であり、芸の力、というものであるならば、

そのような芸を身近に観て、感じて育ったことは、

私たちにとって大きな幸福だったのではないか、と思うのだ。

 

2020年3月24日 (火)

”To look at the painting on the wall from the outside.“

 

AP: When you hear old Journey music, what memories come to mind?

Perry: Well, I have a bit of a total recall memory bank that can haunt the living (expletive) out of me, (laughs) unfortunately. And it does spark a lot of memories — some not so good, some great. … It’s been really nice to be able to hear that music from the outside looking in ’cause forever, I was only on the inside looking at what it was to make it, how we did it, how we put it together, and the struggles to get it to where it was and where it’s been all these years. They’re like paintings on the wall, ya know, but now it’s able for me to finally, to look at the painting on the wall from the outside.

 

そっか〜。。。そうなんだな。。。そっか〜。。。。

 

と、それしか言えない私。JOURNEYの名はもう彼にとって壁にかかった絵でしか無い。

だから譲渡、したんですね。その中に居ることは考えられず、そこに在る総てを手放したかった。。。

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-18bc41.html?-

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-1b40b2.html

 

インタビューの中で“JOURNEY”という言葉を発して無い、一度も。

That music"

と言っている。

”Our“でも”My“でも無く

“That music”...

“あの音楽”。

。。。当然だな、と思う自分と、

あなたこそがJOURNEYなのに、

あなたがJOURNEYで他には無いのに、

と想う自分の間で解決がつかない(笑&涙)。今もまだつかない。

悲しい。いや、それは適切な言葉じゃない。淋しい。それも違う。

虚しい。いや、そうじゃない。悔しい、のでも無い。悪いけどその全部。

「それが何だったか、内からすべてを知っているからこそ、

どんなふうに成されたのか、成されて来たのか、

どんなふうにもがいて、どうやり遂げて来たのかを解っているからこそ、」

今はついにそれを外から、壁にかかった絵みたいに眺められるようになったんだ。

そう彼はいう。。。

そうだ、総てを知っているからこそ、そこから立ち去った。。。

ーーあたしの青春返して‼️(笑)、いや、そういうことじゃないんだよ。。。

強いていうなら

The End Of The Innocence,

ってことになるのでしょうか。自分の新しいInnocenceって何なのか、

探す旅の始まり、

The Beginning Of The New JOURNEY,

なのかもしれません。

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STEVE様1979年〜1980年のルックス・髪型最強伝説Inマイセルフ。

私の中の永遠。永遠とは。。。あなたの別の名だ❣️❣️

 

https://www.youtube.com/watch?v=BP4LPBaavzs

(敢えて貼っておこう、この動画を。辛くて30秒と観ていられない。

でも貼っておく。こんな狂ったことが許されるなら、

世界がそこまで狂っているなら、

そこで生きるためには自分も狂わねばならないのなら、

私はそれを拒否する。

ほかの場所を探すだろう。)

 

何故よりによって、本当。。。によりにもよって一番愛していた、

その中で生きていた、文字通り青春がその音楽とともに在った、その音楽無しには「私」は無かった、

くらいに大好きな人とバンドがこのような、

利権の世界の最前線、ともいえる音楽産業の世界で起きたあらゆる利権争いの中でも、

およそ聞いたことも見たことも無いような最悪の交代劇や裁判劇や利権譲渡劇に

巻き込まれなければならなかったのか。

ただただ残念とも悔しいとも悲しいとも苦しいとも言い難い。

STEVE様の復活劇までは凄く希望をもっていた。世界が善の方向に向かい始めた、

とさえ。。。いや、今もそれは真実だと思っている。

ただその闘いは想像したよりも熾烈、そのものだ。

復活、resurrection...キリストの復活と、そのあとの2000年を経て、

黙示録の、revelationの時代が来た/来ている。。。

その後の顛末と、発覚した事実は私に何を教えようとしているのだろう。

 

(主観的過ぎてお前の日記に書いとけ!と言われそうなことばかりで

ごめんなさい、ちょっともう、全部書いて、誰かに無理矢理見せる、くらいしか

心を回復させる方法が思いつきませんでした。音楽って凄いですね、

他人事みたいですけど、ここまで自分の奥深くに浸透して影響を与える

ものなんですね。何故“宗教”と“音楽”がある意味で一体であるのか、

変な言いかたですけど、自分の過剰な反応から判然とする、浮き彫りになってるヨ、と思いました。

 

私、クリスチャンになって、音楽を第一にしてはいけない、

ということを識ったのですネ。第一は神様であり、神様に捧げるために

音楽があるのだ、と。価値の大転換が起きました。

その大転換した価値観からすると、音楽はやり方によっては

大きな罪になり得る。神様のかわりに“人”や“音楽”を崇めたら、

それはまごうかたなき偶像崇拝=Idolatryです。

神様に捧げるのでは無く人に心を捧げたら、それは二心(ふたごころ)=Double-mindednessの罪です。

クリスチャニティ的?に言うなら、私は両方の罪を犯していた。。。ということになります。

それは駄目なことだよ、と神様に裁かれ、また教えられているのだ、と

思いました。心の苦しみを信仰的に解決、することが出来ました。

別の言葉で言ったら救われる、ということ。To Get Saved,です。

“私が追いかけて来たものって何だったの、幻だったの?。。。”

という問いの答えはそういうことだったのでした。

音楽との関わりかたも、やりかたも、

これから変わってゆくことだろう、と思います。

しかし変わらないところはま〜ったく変わらない、というか変わりようが無いだろう、と思いますので(笑)、

こんな私ですがどうかおつき合いいただけたら。。。と思うのであります。

The  Beginning Of The New JOURNEY,と昨日、

思いつきで書きましたが、本当にそうなんだナ。。という気がしています。

 

 

 

 

 

 

2020年3月21日 (土)

“And after all...Tomorrow is another day.”

 

http://amass.jp/131979/

。。。しかしこの出来事は、私の中に手つかずに保たれていた何か、を破壊するにじゅうぶんの馬鹿馬鹿しさと低脳さだった。

長年のバンドメイトに1000万ドル要求するその神経も凄いが、STEVE PERRY様の真意が見えなさ過ぎる。

 

排他的、独占的、取消不能の契約でJOURNEYの名前と商標をショーンとケインに譲渡していた、なんて世界中の数多のファンにとって初耳だろう。寝耳に水、と言ってもいい新事実である。

 

何故かというと。。。JOURNEYとはSTEVE PERRYでありSTEVE PERRYの声だからである!

1978年以降にJOURNEYのファンとなった全員が同じ想いだろう。

その当の本人が取消不能、なんて高圧的な契約書にサインした、させられたのだとしたら、これは人権侵害、人権蹂躙、といってもいいようなことである。「契約書」には双方の協議や話し合いの余地を残す条項が必ず盛り込まれている。それが無い、ってどういうことなのか。

 

業界に入りたての20代ならいざ知らず、1998年はもうメンバー全員百戦錬磨の、50にも手が届こうかという頃である。

 

2017年の公の場での和解はどう考えても不自然だ。何故和解するのか。何故認めるのか。

そんな契約の存在を知らなかったからこそ、私は彼の姿に号泣したのだ。すべてを乗り越えて、歌に、音楽に戻って来てくれた。。。そう思ったから。

しかしその契約が既に20年前になされていたのだとすると話は違ってくる。だって生涯許さないでしょ普通。もしくは最初からそんな契約をする、筈が無い。和解の動機が不自然過ぎる。意図的な演出、を感じる。

 

ソロアルバムでの復帰のため、納得ずくの手打ちだったとしても、

双方の利害が、一方では一致し過ぎ、もう片方ではズレ過ぎていて違和感を禁じ得ない。

 

うん。最早真意も経緯もどうでも良い。

 

なにこれ利害と利権と、お金の匂いしかしないじゃん

 

。。。だったらもう伝説で良かった。永遠に美しい音楽と想い出だけを残し、戻って来てくれない方が良かった。

私は彼らの音楽をずっとずっと愛していられたことだろう。

 

「私の中に手つかずに保たれていた何か」。。その何かとは夢、憧れ、みたいなもの、自分の足元にたしかに在る、と信じていた地盤のようなものだった。その地盤の上で私は自分の音楽をやりたかったしやっていたし、やれると信じていた。

 

。。。最初からそんなものは無かったのだ。無いものをある、と思い込んで/思い込まされていただけだった。

 

永遠の名作『風と共に去りぬ』のラスト近くで、

私は。。。今まで幻を追いかけてたのね。。。」

と愕然とするスカーレット・オハラの?気分。

 

しかし何かがめちゃめちゃ腑に落ちたときの、青空のように(あ、今日は3/21だ❣️)せいせいした、

迷い無く完全に心を決めた時の、

悲しいけれどどこか清々しい、手前勝手にドラマチックな。。。あの名台詞の気分でもある。

 

And after all...tomorrow is another day!

 

もう純粋に彼らの音楽を“愛する”ことは出来ない。全てがこの結末に繋がっている、と解ってしまった今は、

それがどんなにか素晴らしい、自分の人生や青春のかけがえの無い一部であり継けた音楽だとしても。

。。。それで良いや、と思えるくらい、私はいつの間にか成長していた。そのことが少しだけ嬉しい。

けれど、とても苦い。

いつか。。。いつかすべてを忘れて、またあの青春に、

戻る時が来るだろうか。

ミシュス、きみはどこにいるのだろう。

チェーホフの小説の最後の一行を憶い出した。

『中二階のある家』。たしかそういう小説だった。

 

 

 

 

 

 

2020年3月20日 (金)

青春の墓標。

 

http://amass.jp/131979/

何という醜い争い。。。本当に信じられない。

10代の頃憧れてた音楽、って何だったんだ、と心から思わされるJOURNEYの利権争い。

洋楽が大好きになって、ラジオで聴いたJOURNEYに夢中になって

レコードを買ってコンサートに行って。。。

そんな自分が阿呆だった、と、1000年の恋も醒め果てる思い。何という茶番劇。

そうだったのか、Steve様はそんな契約書にサインさせられたのか。

だから数々のimitatorsが自分そっくりに歌っても、

ジャーニーを名乗って好き放題やっても沈黙を守っていたわけか。

じゃああの、わざとらしい和解の手打ちは何だったのか。。。

いくらソロアルバムが出ると言っても不自然じゃないか?

私は今のヴォーカルと笑顔でツーショットなんか撮って欲しく無かった。

撮ったとしても公開して欲しく無かった。ああいう和解?を、

ファンが喜ぶと思ったんだろうか。

(事情を知らない方すみません、もうファン目線のみで書いております)

 

何よりも救いの無いことは、

それでもあの頃の彼らの音楽は素晴らしい、と感じられること。

音楽は美しい、でも人間は醜い。

こんな人たちがやってる音楽が好きだったなんて恥ずかしい。。。

と御願いだから思わせないで欲しい、欲しかった。

 

ああ、私はJOURNEYが好きだった、愛していた、日本のオフィシャル・ファンクラブの会員番号324番だった。

まさに青春の墓標、墓碑銘。。。と呼ぶに相応しくて笑ってしまう。

 

しかし!

今の私には、それがどういうことだったのか解る。

同じひとつの敵が存在する限り、地球上どこの国でも同じようなことが起きている。

 

そんな歪んだ価値観が崩壊する時が来る。

女よ、嘆くのはやめよ。

美しいものをすべて醜くしてしまう邪悪な力よりも、

神様の力は強いのだ。Oh,God of almighty‼️

こういう時は詩篇を読むに限るのだ〜。

 

暗黒の中を行く疫病も、

真昼に襲う病魔も、

あなたの傍らに一千の人、

あなたの右に一万の人が倒れるときすら、

あなたを襲うことはない。」

 

”Nor of the pestilence that walks in the darkness,

Nor of the destruction that lays waste at noonday,

A thousand may fall at your side,

And ten thousand at your right hand,

But it shall not come near you.“

 

(詩篇第916節〜7/Psalm91:67)

 

あ〜、詩篇は元気出る!そして涙も出る。。。

時がある。

 

 

 

 

 

2020年1月24日 (金)

When I fall in Love, it will be forever❤️.

 

とという

。。。先日思ったのですが、

松本ちえこさんの『ぼく』を聴いててめちゃめちゃキューン❤️となる自分は、

レッチリの『Under the bridge』でのアンソニーのリリックと歌唱にキューン❤️となる自分、

はたまたSteve Perry様の1979年〜1982年のサラツヤ・ロングヘアとハイトーン・ヴォイスの奇跡の組み合わせに

キューン❤️

となる自分とどこがどう違うのか、どう似ているのか。

たとえば‘80年代少女としてご多聞に漏れず聖子ちゃんカットにしていた高校生時も、

聖子ちゃんにこのような類の

キューン❤️

を感じたことは無く、寧ろ高1の頃、同じクラスの男の子と「中学の時つきあってた」女の子が「昨日『スター誕生」で優勝した!」

。。。と大騒ぎになった、同い年の明菜ちゃんにキューン❤️としたりしました。

レッチリと同時期に大人気だったオアシスのヴォーカルのリアム・ギャラガーに

キューン❤️

とするかと言ったらしない。Nirvanaのカート・コバーンは卓越したソングライターで超!のつくイケメンですがやはり

キューン❤️

となったことは無い。。。

モーツァルトの音楽の優美さと精巧さに死ぬ程

キューン❤️

となるけどベートーヴェンにはならない。。。

 

などなど、たまたま同時代だったとか、カテゴリー的に似ていた、とかであの人とこの人が同じ枠に入ったり入れられたりすることってよくあるものですが、

フィッツジェラルドにキューン❤️としてもヘミングウェイにはしないとか、

『偉大なギャツビー』の野崎孝先生の翻訳にはキューン❤️とするけど村上春樹さんの訳にはしない、

とか、もう数限り無い例が(自分のなかに)あったりします。その違いとは何か?について勝手に熱弁をふるいたいところなのですが。。。

いや〜、言葉にするって難しいネ〜、

と心底思います。

しかし「個人的なことを言葉にする」ことが

文化

なのかな、とも最近感じるのです。

言葉にし難いことを言葉にする/しようとする=抽象化し普遍化することの出来る能力があるから、

人間は動物と違う、人間なのだと、

聖書を読むようになってから強く感じるようになりました。

アマゾンで買い物した時などに自動的に出てくる

“これを買ったってことは。。。あなた、これも好きなんじゃ無いですか〜?!”

と買わせる気満々のあのレコメンドにも、

あたしはこれが好きなのであって、似たような違うもの、は別に好きじゃ無い。いちいちおススメして来んな!”

。。。と言いたくなります。つまり。。。

人が何かにキューン❤️とする、心を奪われる、恋に落ちるということにはその人固有の事情と個人史に起因する

明確で不可避的な理由があり、決して「何となく」「フィーリングで」そうなっているわけではない、

ということなのですネ。

寧ろ矢鱈めったら起こることでは無い奇跡のようなものだ。

それはある種の逆上であり、

自分の内の決して触れられたくないもの、に触れられたときの逆上、でもある。

触れられたく無いものとは実は、ものすごく触れられたいもの、理解されたいもの、

誰かに解って欲しいものでもある。だから歌や音や言葉や、存在によってそれに触れてくれた(と感じる)

人や歌やモノにキューン❤️とする=心を奪われる=恋に落ちるのだ。。。

。。。つまりそれは間違い無く、ある種の宗教的な感情なのです

救いを求め、救われたいと希うことです

それは人間が人間の愛を超えた、神の愛、を求め移行しようとする前段階である

あたしゃ言い切っちゃいます。

♪逆上するように、あな〜たを、愛してる(By「水の冠」)❤️😍。

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(昔の)アンソニー〜😍❣️❤️彼のリリックが、書き言葉が私は好きです。

読んでいると言葉、と真剣に向かい合い、格闘してることを感じるから。

能天気なお祭り男、みたいに言われてることも多くて(勝手に)憤慨しております😤❗️

。。。ナ〜ンテ、自分もず〜っとそう思ってたのですから人のことは言えませんが😅😅。。。

言葉、ってある意味外見などよりも過たずその人の本質を現すのだな〜と言うことを、

Anthonyのリリックが教えてくれたのでした!

2020年1月17日 (金)

Beautiful Anna,May Grace Be With You...Forever.

 

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ノンアクセが好きなのです、貴金属を身体に付けてるのがどうしても馴染まない。

買っても失くす、ちょっと高いのだったら無くさないだろう!と思っても失くす。

何でかナー、と思ったら映画のなかのこの人も、いつもノンアクセだったことを憶い出しました。

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ほら、どの写真でも、耳にも胸にも腕にも指にも、貴金属を付けていません。

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20代の頃アンナ・カリーナに憧れて憧れて。。。髪型や赤いワンピース、ぬいぐるみのポーチ、

ジャケット写真等で真似しまくりました。デザイナー/アート・ディレクターの平野文子さん

ノリにノッてくれて、「」をテーマにとても素敵な世界を作ってくれました。

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しかし無意識のうちに影響されていたのは目に「見える」もの、「在る」ものであると同時に

無い

「しない」

ということだったんですネ。

(そういえばあのジェーン・バーキンも殆どアクセサリーをしてません。若い頃の写真では単純なゴールドのネックレスをよく付けていますが、40代以降は殆どノンアクセで、これってフランス女性の特質なんだろうか?と思いました。)

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アンナ・カリーナの魅力って。。。

自然で、奔放で、野生的。どこか哲学的。

そして。。。可愛い😍❣️❣️それに尽きます。

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(『男と女のいる舗道』、この映画の彼女も可愛かった。。。有名なワンショットの、キャメラが

ひたすらアンナの一挙手一投足を見つめ継けるシーンは本当に美しく、

彼女の捉えきれない生命力を何とか画面に捉えようと永遠に足掻いている。。。

かのように思えました。)

あの可愛さってお人形的な、お馬鹿さん的な「可愛さ」と全然ちがう。

そういうところにひどく魅かれ、無意識のうちに真似したかったんだと思います。だって、

ああいう「可愛さ」って日本では生まれないものだから

女性が女性として生き生きと生きられる場所でしか、あの自由さは「可愛く」視えません。

真似しても絶対に真似の出来ないものに「憧れた」わけなのです。

何か赤い服が着たくなって、東京と京都のライブで赤を着てみたら、

気狂いピエロ』や『女は女である』を無性に見直したくなりました。

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これらのゴダール映画を初めて観たときの解放感、「自由」に焦がれる想い、

あれは一体何なんだろう?と思います。青春ーーそう、永遠の、色褪せない、誰のなかにも在る

青春

が、私たち自身に繰り返し訴えかけてくる何ものか。

アンナ・カリーナの纏った

赤」

は、その象徴である気がします。

青春」には飾りなんて必要無い。

精神と肉体だけで充分、だってそれが「生命」だから。

Beautiful Anna,May Grace Be With You Forever...And Ever.

“RIP”

なんて言葉は、奔放で可愛い貴女には絶対に似合わないのです。

 

 

 

 

 

2019年12月26日 (木)

曲が。。。出来た。。。かも?!

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先日ドイツのバンド、CANのヴォーカリスト・ダモ鈴木さんの歌を初めて聴いて、
その生き方を知って現在の歌を聴いて、
何かこうぶっ飛んだというかブッ飛ばされたというか。。。
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凄いものに出逢ったとき特有の、興奮しつつもボーッとした酩酊の様な気分の中に居たら何か曲が浮かんで来ました。ダモ鈴木さんの音楽とは全く関係無いようなフォーク調の曲なのですが、そのヴォーカル・スタイル“Instant composing”をぜひ採り入れることが出来たら。。。と(生意気にも)思います!
タイトルは。。。「何故人生は優しいんだろう?」
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何故あんなところに居たんだろう?
何処にも行き着かない道で、
何故あなたに出逢えたんだろう
何故人生は優しいんだろう。
どこかに行けると
信じて歩いた。
何故それが解らずに居たんだろう?
何故人生は優しいんだろう。
神様に向かって歌った。
悪魔を滅ぼし尽くす為に。
この先に継いてく道で
何故、光に出逢えたんだろう?
喜びの歌を
あなたが教えた。
なぜ あんなところに居たんだろう?
何処にも行き着かない道で。
何故、あなたと出逢えたんだろう?
なぜ、すべては美しいんだろう。
(I JUST CAN’T GET BACK NO MORE.)

2019年12月 7日 (土)

「学生運動」と「乙女チック。」〜松本ちえこさんの逝去に想う。

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松本ちえこさんの1976年のヒット曲『ぼく』、2018年にライブでカバーしたこともあるくらい大好きな曲なのです。当時小5くらいだった私のココロに非常なインパクトを残したのはこの曲の、一体何だったのでしょうか??

https://m.youtube.com/watch?v=AQv648UwUyohttps://m.youtube.com/watch?v=AQv648UwUyo

松本ちえこという人は大変印象的でした。何が?と言われると困るのですが、

私の中の乙女心的な(←当時。)憧れにクリーンヒットする何ものか、が、何故か当時も今も在るのです。

うーん、漠然とし過ぎてるな、何だろう?

乙女チック、というワードは1970年代に岩館真理子さんや陸奥A子さんの少女漫画が

「オトメチック・ラブコメディ」と言われていたことに由来して生まれたもの、と思います。

リボンのついた麦わら帽子と白いワンピース、アンティークの家具、レースのカーテン。。。

小坂明子さんの名曲『あなた』に登場する理想の家も広い意味で乙女チック、と言えると思います。


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女の子のロマンチックな憧れ、夢、ステキなBF(←今あるのか?この言葉)とアイビールック(懐)で週末にデートする、

みたいな世界、もちろん彼とペアルックの、ギンガムチェックのボタンダウンのシャツ、

(その場合「私」は赤のギンガム、BFは青のギンガムと相場が決まっている)。

行く場所は主に公園、図書館、海、遊園地。チューリップ・ハットにジーンズ、スヌーピーのランチボックス。。。

あ〜素敵❤️‼️これってある世代にしかわからない、“時代の空気”込みの独特の共有感なのかもしれません。

。。。しかし松本ちえこさんはそういう世界に登場する女の子としては、

一歩間違うとコケティッシュの方に寄り過ぎる、ちょと危うい感じがありました。

それを

「ひとつ選んでその理由を述べよ。」(恋人試験)

「議論なんかもたまに戦わせるんだ。」(ぼく)

なんていうリリックで無理矢理優等生路線に寄せてバランスを取る、その絶妙のキャラクター設定がまた良かったのです。なんと言うか、

 

学生運動とか全共闘世代の後に生まれてきた、ちょっと生意気でちょっと可愛い女の子、

的な。。。

全共闘世代が運動に挫折した後に描いた、ある種の理想の女の子=お嫁さん像

と言うのでしょうか。

 

高野悦子さんの『二十歳の原点』の、もっとノンポリで庶民的で乙女チックな進化形、

(って最早解ってもらえることは期待せず主観のみで書いております💦)と言うのでしょうか。つまり

『ぼく』のリリックに登場する

「いま大切にしてる詩集」

は“乙女チック”なリルケとかハイネとか外国のものであって、

間違っても(高野悦子みたいに)石原吉郎とか金子光晴とかでは無い、

そこまで行かないところが可愛い、という。。。

裏を返せばそこまで行く女は

可愛くない

わけで、自分のことを「ぼく」、とジェンダーレスな一人称を用いながら同時に“乙女チック”を発散させる、時代が求めたそんな“可愛さ”を離れワザ的に体現していた、という点では本当に大きなインパクトを残した人だと思うのです。

 

学生運動」

「乙女チック」。

多分私の中にはこのふたつの相反するように見えるもの、に対する何らかの親和性があるのでしょう。だから松本ちえこさんの逝去に、いま、非常に感じるものがあるのだと思います。。。。って事は私、そういう女になりたかったのか?いや、そういうこととも違うんだよ。。。と、この問題はまだまだ答えが出ません。神様の国へ旅立たれた松本ちえこさんの魂が、いつも主とともに在ります様に、心からお祈りいたします。

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1976年発売、スヌーピーのランチボックス(もちろん持っておりました)。まさに『ぼく』の歌世界に相応しい乙女チック・アイテム。主人公は永遠に“ブーツカットのジーンズ履いて、原宿や鎌倉なんか”に遊びに行っている気がします。

2019年11月10日 (日)

ひばり、カレン、コーちゃん=天才の証明。

 

美空ひばり、カレン・カーペンター、越路吹雪。

 

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名前を口にするだけでため息の出そうな、不世出の歌い手である3人の女性たち。

この方たちを

女性歌手

とは呼びたく無いのです、歌手である女性、とどうしても言いたくなってしまう。

性別を超えて、しかも女性、そのものである歌い手。。。と言ったら良いのでしょうか?

3人の名前を何故いま挙げたくなったかというと、この方たちがもの凄い歌い手である証明は何よりも

ブレスの位置!!

だとあらためて再認識したからなのです。

 

 

声を出している、発している場所では無く「声の無い場所」が大事だということ、


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ブレスさえも声の、歌の世界の一部でありそれによって何かを「語る」ことが出来る、

。。。ということを識っている優れた歌い手はたくさん居ると思いますが、

ブレスを取らない

ことで「語る」

というのはさらに次元が上である。。。とひたすら敬服してしまうのです。

 

 

以前も書いたことがあるのですが、美空ひばりさんが「みだれ髪」の名フレーズ

憎や恋しや 塩屋の岬

「恋しや」と「塩屋の岬」を、区切っているけれどブレスは絶対に取らない、ということ、

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-402b.html

 

カレンが「Superstar」の冒頭

Long ago and oh so far away

を一気に歌って一度もブレスをしていないこと、

 

越路吹雪さんが「愛の讃歌」のクライマックス、

心溶かす恋よ

の大きなテンポ・チェンジでまったくブレスの場所を作っていないこと!

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。。。これだよ、これが天才の証明です。

歌ってみるとわかるのですが、どうしてもブレスをしなければならないという圧が

歌い手にかかるところであり、しかも歌の印象を決定づけてしまうような最も大事な部分で、

いや、大事な部分だからこそ、

 

 

ブレスをしてはいけない!

 

リリックの物語性を分断してしまうからであり、

音符のスムースで美しい流れを中断してしまうからであり、

聴き手の心に物語を浮かびあがらせることが出来なくなるからです。

 

それが「解る」、そして「行える」人だけが天才なのだ、と心から思います。

天才でない者はひたすら努力、勉強あるのみ!

 

60歳になる頃に少しでも、ほんの少しでもその域に近づけることがいまの

「大きな、大きな望み」なのです!!

 

2019年10月31日 (木)

My love to A・C is...

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“... people tell me that I’ve been wrong in every step of the way,
But in retrospective it doesn’t look like I was so wrong after all.”
ーーAlex Chilton.
https://m.youtube.com/watch?v=vkOF2PeYqMg
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「彼の曲は美しい、切実で身を切るように愚かしくて聡明で、
メンフィスの地に生まれ運命づけられた彼はまた、
古へのブルーズマン達がそうしたように木と鉄で造ったギター、
と呼ばれるものをエレクトリファイした楽器を抱いて、
南部のむせかえる花の香りとうだるような晴天と、
行き場の無い彷徨うソウルが1971年のボウリング場に
ドーナッツとソフトクリームの甘さで蘇ったような歌を作り歌った。」
。。。なんでこの人の曲って
こんなに切なくて胸をかき乱すのでしょうか。
彼のバンド、Big Starのドキュメンタリー・フィルムが2016年に出てるのを発見して、
昨日思わず購入しちゃいました。
この人の曲には非常にダークな熱情と、まかり間違えば犯罪者、とかにもなり得るんじゃ無いか?
。。。と思うような危なさがあります。どんなメロウな曲のなかにも、
美しい曲のなかにもそれが在る、から本当に不思議。
この人って何なんだろう?Who is Alex Chilton?
。。。聴くたびに思うけれどその謎はまったく解けない、
解けたことが無いのです。
アマデさんにもそういうところがあるけれど、甘美さも度が過ぎると自己放棄的になるって言うか、
優美さの極地で頽廃に引っくり返ると言うのか、とにかく人を危うい場所まで誘い込んでゆく、
何か魔法がありますネ。音楽においてこの人が出来なかったことがたったひとつだけあるとしたら、
自分の闇を、危うさを全き光に転化すること、ただそれだけだったような気がします。
人生のすべての階段を踏み違えた、と人は言うけど、
思い返してみて。。。結局、自分がそう間違ってたとは思わない。”
Yes!!I can't agree more!
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