10/19(Sat.)試聴室その3での「鈴木祥子独りシンポジウム&ライブ第4回〜アルバム『水の冠』を考える。」にお越しくださって本当に有り難うございました!
先月のライブでいただいた御意見やお叱りを生かして今回は客席の真ん中でやろう、と思い、三沢さんとPAの佐京さんにお話しましたらあのようなコーナーを作ってくださって、何かこうフォーク村、のような(←三沢さんの命名。)雰囲気が生まれてとても嬉しかったです!

フォーク村、で”新宿フォーク・ゲリラ”とか”中津川フォーク・ジャンボリー”を想い出し、
特に後者のことは“伝説”として伝え聞くのみで、その実像は全くといって良いほど解っていませんでした。

ドキュメンタリーを観たり当時のインタビューなどを読んだりして、
自分がフォークというものに魅かれるのは何故か、それはやはり
言葉
の強度、というものなのだなア。。。と再認識しました。
それは所謂“流行り廃り”などの全く及ばないものであり、
「フォークの時代からロックの時代へ」、
などというのは誰が言った言葉か知りませんが、
まったくもってナンセンスだった、ということが解りました。
それを言ったらレッチリのアンソニーのリリックだってフォークになり得ます。
『Californication』なんてまさにリリックも音もフォーク的なアプローチだし、
https://m.youtube.com/watch?v=YlUKcNNmywk
エレキ・ギターだから「ロック」、アコギだから「フォーク」、
なんてのも実にくだらない分類なのだなア。。。とあらためて思いました☹️。
ピート・シーガーの生誕90年(!)のコンサートに老若男女が集って、
老いも若きも1960年代の反戦の歌をシングアウトする、
あの場面がフォーク、そのものだと思います。
(2009年の8月に、ハワイのテレビで偶然そのコンサートの録画を観て
めちゃめちゃ感激したのでした❤️。今調べたらそのコンサートは2009年5月3日、
N・Yのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたものでした。)
私はフォーク・ブームの後の後、くらいの世代で、
自分が生理的にフォークに魅かれることと、
何故かフォーク、というものに対して揶揄的な世間の空気があること、
を両方感じて成長しました。
今はそれが何だったのか、何故だったのか、理由がハッキリと解ります。
。。。それを書いちゃうとまた長くなる(笑)ので別の機会にするとして、
そうそう、フォーク村、からすっかり脱線してしまいました。
また追って続きを書きたいと思います❣️

2005年に京都拾得でのライブで御一緒して以来、14年ぶりに関美彦さんにお会いしました!
最近のコメント