Religious beliefs

2020年2月 1日 (土)

I say a little prayer❤️〜お祈りのあとに浮かんだ言葉。

2/1、カバー・アルバムの録音がちょうど1か月後になった。

3/1までに完璧に練習しておかなければ、と久しぶりのスタジオ録音に圧を感じつつも、

大好きな曲を好きなように歌い、演奏出来るなんて楽し過ぎる❤️という想いでワクワクする。

言うべきことは聖霊が教えてくれる、と、イエス様も仰っているから大丈夫なのだ❣️

新約聖書には本当に頻繁に、「聖霊」という語句が登場する。

「父と子と聖霊の御名によって。。。」というお祈りの言葉のあの「聖霊」=Holy spirit だ。

一心に祈る人に、神様は聖霊というエネルギー、見えない電磁波のようなパワーを

注いでくださる。携帯電話(いや、スマートフォンですネ!持ってないけど。笑)を

充電するようなもので、人間には毎日パワーの充電が必要だ。

だから祈ることで、聖霊のエネルギーに満たされて明日に備える。

聖なる霊、と読んで字の如く、それは次元の高い美しいパワー、波長、波動。。。

人間の霊に宿り、同じような高次元の光で充満させてくれるエネルギーだ。

。。。ってなことを言いますと、必ずや「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」と

紛らわしくなって来るので正直、あまり言いたく無いし書きたく無い。。。😭

ってところがあったりします。

でもそれはズルいですネ!わざわざ言うこと無い、自分さえ満たされてればそれで良いジャン❤️

。。。って自己中心の考えは、クリスチャニティに反しちゃいます。

そうそう、クリスチャンになった時、知人や友人にも言われました。

そういう「宗教がらみ」のことは対立や争いを引き起こすから公に言わない方が良いよ、

みたいなこと。

しかし‼️

あなたがもし、誰か大切な人を失ってもう自分には希望が無い、と思っているような時、

そばに来て何も言わず寄り添い、あなたの心が回復するまで辛抱強く、立ち去ることなく、

深い愛の目で見護ってくれる。。。そんなひとが居たら、

その愛に報いたいとは思わないだろうか。

あなたは感謝しないだろうか。

同じようにその人の力になり支えになり、そばに居たい、深い愛の目で見つめたい、

その人が自分にしてくれたように。

。。。そう心から希わないだろうか。

神様と自分の関係はそれに似ている。深い愛を注いで見守ってくれた人のことを、

公にするのが恥ずかしいとか、自分が変に思われる、争いや対立の元になる、と考えて

黙っているならば、それはそのように考える人の心の中にこそある争いであり、対立でしか無い。

私には関係が無いどころか、愛を覆い隠し視えなくさせる害でしか無い。

そのような愛や感謝を弱さや依存、だと捉えて嘲笑する人も同様だ。

そう言う人の心の中にこそ愛も、感謝も無い。そのことをただ表しているだけだ。

愛は依存では無い。強さだ。愛に自分を委ねることの出来る強さだ。弱さでは無い。

盲目的な愚かさでは無い。

愛は目を開き、きちんと視ている。目を閉じてやり過ごし見ないようにするなら、

それは愛では無い。

言葉にしなさい。言い表しなさい。あなたの愛を、あきらかに伝えなさい。

光に生きる者となりなさい。

その光でもって照らしなさい。愛で照らしなさい。あなたの大事な人も、

それを何よりも喜ぶだろう。

「愛している。」

。。。と、お祈りのあと、このような言葉が浮かんで来ました❤️❣️

不思議です。私であって私じゃない「言葉」なのです。

 

 

2020年1月10日 (金)

しょうこのベアフォレスト伝道タイム💒❣️〜「悔い改める」ってどんなこと?〜2.

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先日、『〜「悔い改める」ってどんなこと〜?1.』の記事を掲載したすぐ後に、S内J聴さんが
不倫でもかまわない、どんどん恋しなさい、という意味のことを公に発言された、
という記事を読みました。
。。。仏教、大丈夫か?
と正直、思いました。私は瀬戸内晴美時代の『夏の終り』という恋愛小説が
今でも大好きです。仏教の解説本なども何冊か読んだことがあります。
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「恋」は至上の歓びと呪いのような苦しみ、それを同時に経験出来るという意味では他に無いもので、自分でも随分と曲の、歌のテーマにして来ました。
「雷に打たれるようなもの」ーー年齢や立場に関係無く落ちる時は落ちる、
それが恋である、というのはまさに同感だし、真実だと思います。
しかし若年の人たちに向かって「不倫でもいいから恋をしなさい!」とけしかける、というのは、
全然意味が違います。ごっちゃにしてはいけないものをごっちゃにしています。
宗教者ならもっとほかに教えるべきことがあるはず。。。『夏の終り』のテーマは不倫の恋ですが、その迫力ある筆致と、真実に迫る視点の確かさは今でも色褪せていません。「恋」というものの真実、実相を、虚飾無しに描き切った傑作だと思います。
ですのでこの発言にはがっかり、を通り越して義憤が湧いて来ました。
どうか若い人たちがそんな発言を真に受けませんように、
と祈るような気持ちになりました。
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。。。それを踏まえてベアフォレスト伝道タイム💒❤️〜「悔い改める」ってどんなこと?2.
に突入したいと思います❗️
1.はこちらです💁‍♀️。
前回のあらすじ✨
仕事を通じて素敵な男性に出会い、食事に誘われた鈴木巳子は「また会おう」という彼からのメールに一瞬ココロをときめかせた。しかし彼は既婚者。仕事上の御願い、で会うなら良いんじゃないか?。。。と思いかけて、その心が既に罪、なのだと実感する。そしてその夜、神様に悔い改めさせてくださるよう必死に祈る巳子であったが。。。。。✨
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打算。不純。姑息な計算。
。。。もう、神様が厭われ、嫌われ、禁じられることがフルコースで
入っちゃってます。いつも祈って、聖書も読んでクリスチャンのつもりで居たのに、
未だにその程度の人間だったんだ。。。
落ち込みました。必死で祈りました。
神様に許して欲しくて。
見捨てられたくなくて。
。。。そうしたら神様が仰ってくださいました。
今これをやっておくのは良いことだ。そうすればあなたはこの先、
もうこの類の失敗や誤ちを犯すことがなくなる。」
(私、いや巳子の頭にふっ、と浮かんだ言葉です。神様は真剣に祈る者に必ず、こうした言葉、
啓示、インスピレーションをくださいます。)
これから大きく躓くことの無いように、神様はあえて道に石を置かれ、
小さく躓かせることで間違いを教え、悔い改めさせた。。。
それが解ったときには涙がこぼれました。
何と優しく、厳しい愛で神様は
導いてくださっているのか。。。と思ったからです。
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ーー「アハハ!今どきそのくらい誰にでもあるジャ〜ン、「罪」なんておおげさ過ぎ!」。。。
と、本当に言えますか?
私は言えません。
神様はこのように善と悪、をきっぱりと、ハッキリと分かたれます。
その間、中間、と言うものは存在しません。
人間が(浅知恵で)都合良く考えるその
中間
にこそ、サタンの入り込む隙が生まれ、サタン=悪魔の為ににわざわざ自ら
オープンスペースを用意してしまうものであることを、誰よりも誰よりも解っておられるからです。
(先のS内さんの御発言はまさにこれ❗️途中まで良いことを言い、やがて善悪をごっちゃにして人々のモラルを混乱させる。。。非常に悪質です。)
だって6000年間、サタンと闘って来られた方です。
人間のために。
教えるために。
ただ導くために。
護るために。
神様のその愛が、一層深く感じられる夜になりました。
日中はずっとモヤモヤして苦しかったけど。。。
今は感謝にあふれて、幸せです。
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彼には明日の朝、こう御返事を書くでしょう。
「◯◯さま。
ありがとうございます。でも、お会い出来ません。
大阪でのコンサート、素晴らしい演奏になりますようお祈りしています!
鈴木巳子。」



2020年1月 8日 (水)

新年第一回めのベアフォレスト伝道タ〜イム💒❣️〜「悔い改める」ってどんなこと?〜1.

 

彼らは出かけて行って、悔い改めさせるために伝道した。」(マルコによる福音書/第6章8節)

“So they went out and preached that people should repent.”(MARK6:8)

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ーやって参りました新年第一回めの、

しょうこのベアフォレスト伝道タイム💒❣️の時間のタイム、

皆さま、どの様な新年をお過ごしでしたしょうか??
先日のご挨拶でもお伝えしたのですが、あの、日本古来の新年のご挨拶、
私クリスチャンになりましたので述べることが出来ません。
あなたの一年が実り多き時間と、真実の喜びに満たされますよう、心からお祈りいたします。
今日は。。。ついにこの時が来てしまいました。。。(←おおげさ。)
罪とは何か、私の経験に照らしてお話します、などと申してしまったものだから、
後から「どうしよう。。。」と途方に暮れました(笑)。アレはあまりにも生々しいナ、
コレはちょっとシャレにならない。。。そうです、わたくし、今まで数限りなく
様々な罪を犯して参りました。
それを全て悔い改めて、神様に清めていただくために毎日お祈りをしている、
ようなところがあります。
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🍓なぜ「毎日」なのか?
罪、はひとつ悔い改めてもまた芽生える。これを悔い改めたらあれも罪だった。。。
人間は、そんなふうに罪を重ねてしまうものだからです。
🍓ハ?🙄そんな、言うほど悪いことなんてしてないし。。。
そう思いたいのはやまやまなんですが、してるんだナそれが。。。
。。。何故かと言うと神様の世界では
「行い」だけが罪でははなく、「心の中で」犯した罪も同じ罪
にカウントされてしまうからです❗️🤩😭😱
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以下、生々しさを軽減する為に(笑)仮名を使わせていただきます。
も少し若い時分の話、と思ってお読みくださいませ。
敬虔なクリスチャンを自称?する巳子はある日仕事を通じて、あら素敵、
と感じる年上の人に出逢いました。
その人は著名なオーケストラの、元首席管楽器奏者。今はご自分の結成した管楽器ユニットで
活動されています。
食事のお誘いを受けて巳子のココロはちょっと踊りました。が、
単なるお食事会だし。。。という冷静な気持ちもありました。
当日はとても楽しかったです。彼は若々しく紳士的、音楽の話も大変面白く、
お勘定もスマートに済ませてくれ、思った通りの素敵な男性。しかし勿論、
既婚の方です。
その日のうちにメールが届きました。
「今日は本当に楽しかった。
巳子さんにお会い出来て嬉しかったです。
今度の◯日はどうしてますか?
その日、ちょうど大阪のコンサートから
戻る日なんだけれど、良かったらまたお食事しませんか?」
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わた。。。じゃなかった巳子は勿論お断りする気で居ました。
彼は魅力的な方ですが既婚者です。
たびたび会うことが良いとは思えませんし、
正直、女性の扱いに相当慣れている。。。と感じました。
しかし。。。
サタンの入り込む余地は、サタンの為のスペースはここで既に用意されてしまっているのです。
巳子は一瞬思いました。
「仕事上の御願いごとをするんだったら。。。
良いんじゃないのかナー??」
。。。実は巳子にも
ちょっと会ってもいいかナ〜、
。。。という気持ちがあるのは明白で、
そのやましさを誤魔化す為に、
仕事上の御願い」
なんかにモンダイをすり替えようとしているのです(姑息❤️)。
あなたなーら、どうする?正解はお判りですネ。
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NO WAY‼️ダメです。全くダメです。
打算的で、純粋さがありません。彼の好意?のようなもの、を利用しようとしています。
この時点でもう罪、それも大きな罪です。行いだけでなく思いも罪なのです。
彼もまた、自分の楽しみの為に女性の時間を奪う=利用することになります。
それに神様の祝福である「結婚」を軽んじることは
神様の世界の、およそ最悪の罪です。
。。。女性の姑息な打算が、結果的に男性にも罪を犯させることになる。
旧約聖書『創世記』の、アダムとエヴァ(イヴ)の「原罪」は、
現在“でも恐ろしいくらい普遍的な真実なのです。
思い、は常に行い、に先んじます。思うから行い、行ったら次の思い=欲望が必ず芽生えるのです。
ー巳子はその日一日、モヤモヤしたイヤ〜な気分に苦しみました。
何だか自分が駄目な人間のような、自信を持っちゃいけないくだらない人間、みたいな。。。
何だろうこのイヤな気持ち、おかしいな、特に何にも思い当たることが。。。
あった‼️あったヨ‼️
昨日のメールにココロがちょっと動いた。。。
一瞬邪な気持ちがよぎった。
ほんの一瞬で打ち消したけど、神様にしっかり見られていた。。。
聞かれていた。
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その夜はもうひたすらお祈りをしました。ほんの一瞬でも邪な思いを抱いたこと、
その思いは尊敬も純粋さも無い、人を利用するようなものだったこと。
〜「悔い改める」ってどんなこと?〜2.に続く。〜

2019年12月27日 (金)

しょうこのベアフォレスト伝道タイム💕❤️〜”If You Pray,Anything is possible❗️“〜

 

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If You Pray...Anything Is Possible.“

あなたが祈れば、すべては可能”。

私がいつもインターネット上でお説教を聴いている牧師先生が今日、
仰っていた言葉です。凄く印象的だったのでここに書いておこう!と思いました。
今、非常に政情不安定な世の中ではありますが、これは悪から善への、
神様が完全な主導権を握るための生みの苦しみのようなもの、
なのだそうです。
だって。。。御存知のように物凄い悪辣で下品❤️な、
庶民死ね!😊みたいな方たちがお国のトップの座にいらっしゃいますから、
安定しないのも当然ですよネ。
平成の30年間は祈る人が本当に少なかった、
完全に神様に放置されていた時代、
だからその悪辣なる(笑)方たちも、
何でも気にせずやりたい放題
だったそうです。
しかしここに来て急激に神様に祈る人が増え、
神様を信じる人が過去2000年間無かったほど多くなってきた。。。
。。。そう言われれば私もそうです何でだろう??
まさか自分がクリスチャニティに魅きつけられ、
本当にクリスチャンになるなんて、今年の3月までは
思いもしませんでした。
直接のきっかけはViennaに行ったことですが、
そのViennaで不思議だなア。。。と思うことがいくつかあり、
「何かが、誰かが自分に何かを伝えようとしている、
教えようとしている」
としか思えないことが重なりました。
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しかし偶然と言ってしまえば偶然かも知れないし、
あまり出来事に意味を持たせ過ぎるとスピリチュアルにハマった人(笑)
みたいでコワイし、ここは現実的に考えないと。。。と思いつつも、
いや、やっぱり偶然にしてはうまく行き過ぎてた、
という想いとの葛藤状態でした。
そんな時に本当に久しぶりに聖書に触れることになり、
ある箇所に来たとき
だーっ、と涙が溢れて、
それは悲しい、苦しい。。。とかでは無く雷に打たれたような、
一瞬にして「すべてを理解した」ような強い、激しい感情でした。
。。。考えてみますと小4〜小6の3年間教会の日曜学校に通っていましたし、
曲を作ると賛美歌や、聖歌に似たコード進行に魅きつけられるようなところがありました。
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「風に折れない花」という曲のレコーディングで、編曲をしてくださった小林武史さんに
この曲何か讃美歌っぽいね、祥子ちゃんの曲って教会音楽の影響が凄くあるよネ。」
と指摘され、
「あ、そう言えば子供の頃日曜学校通ってました!」
みたいな会話をして初めて、その経験が思いのほか自分にとって大きなことだった。。。
と気づかされた、ということもありました。
そういうのを「潜在的なクリスチャニティ」、と今は呼んでいます。
キリスト教を学ばなくても、信じてなくても、クリスチャン的な体験や感情が
「意識の中に」蓄積されている、ということですネ。
とにかく聖書を読んで見よう見真似で毎日お祈りするうちに、
言葉がふっ、と浮かんで来るようになりました。
ピンと来ると言うか、何か考えていてアッ、と思うこと、
何かが閃くことって、
普段生活していてもありますよね?
あれをもっともっとバージョンアップさせたような感じです。
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(その頃の自分。顔つきがどことなくそれまでと違う様な。。。)
長いセンテンスのときもあれば、
ひと言の時もあります。
最初は自己暗示とか、単なる思い込み??と思ったのですが、
どう考えても自分からは出て来ないような、発想じたいしないような言葉が
浮かんで来るので本当に不思議でした。
とにかくその「言葉」によって、
私は「罪」とは何か、を識るようになりました。
罪、というと警察のご厄介になるような犯罪行為、
のことを想像しがちなのですが、人間には実に様々な罪がある。。。
ってことをそれまで全く知りませんでした。
良いことじゃ無いのは解ってるけど、まあまあ、
人間だから仕様が無いよネ、とつい思ってしまうようなことも、
神様の嫌われること、厭われること、禁じること、すべて罪になります。
もの凄く簡単に言うと、
堂々と人前で言えないこと、
白日の元に晒された場合恥ずかしい、やましいと感じること、
すべてが罪です。
神様は全き「光」の存在なので、「影」や「闇」を非常に嫌われるのです。
高慢になって奢り高ぶること、もことの外厭われます。
自分を愛さず疎外感をもち、卑下したり自虐したりするのも大きな罪です。
神様がこのようにお造りくださったもの=自分、を否定することになるからです。
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誰も見ていないから良いだろう、と思っても、
それを行ったことを神様と「自分が」知っているので、
いつしかそれは「心の重荷」となって少しず〜つ、精神を
侵食してゆきます。最初は気づかないくらい少しずつ、
しかし徐々に重みが増し加わってゆきます。
それでも自覚しないで「罪」を犯し続けると、
本来持っていた洞察力や、直感力がちょ〜っとずつ削られて来ます。
その状態で言葉を発したり、行動したり、決断しなければならないので
判断を誤ったりすることも増え、
少しず〜つ自信がなくなり、精神に何気に圧がかかって来ます。
そのストレスと圧から一瞬でも解放される為に、
例えば過度にお酒を呑んだり、
異性に走ったり、
課金のゲームがやめられなくなったり、
ギャンブルにハマったり、
矢鱈と傲慢になって周りを従わせようとしたりします。
この
少しず〜つ
ちょ〜っとずつ
がミソなのです!
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 。。。一気にキタ‼️としたら誰だっておかしい、と気づくけれど、
そうじゃないからタチが悪いのです。あくまでも
少しず〜つ、
ちょ〜っとずつ、
それとわからないくらいの速度で。
しかしその攻撃は確実で、執拗です。
こういう状態に陥るのは
自分の内側に侵入してきた何者か、に内からも外からも攻撃されているから。
これが所謂「サタンの攻撃」というもので、
この状態をクリスチャン用語で
サタン=悪魔に条件を奪われた状態」
と言うそうです。
おっ、遂に出たなサタン‼️
このサタン、悪魔、悪という概念、ヨーロッパやアメリカの
キリスト教圏ではお馴染みというか、
神の善とサタンの悪、の飽く無き闘い
という図式は聖書の根幹を形作るものであり、人間の倫理観の大元になっているので
深く浸透していますが、
日本人には大変わかりづらいことだと思います。
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。。。しかし考えてみれば各種RPGやアニメのエヴァンゲリオン、など、
聖書を基にして物語が構築されているのは明白な事実です。
“エヴァンゲリオン”は「福音」というキリスト教の言葉ですし、
堕落と救済、罪と赦し、
などをテーマとしたこれらのアニメは明らかに聖書のパク。。。いえ、
影響下にある、と思います。だから
キリスト教圏の(欧米の)人には解るけど、日本人には馴染まない概念」
などということは全く無いのですネ。
しょうこのベアフォレスト伝道タイム💒❤️、今日はまた、凄〜く長くなってしまいました。
次回は「罪」についてもっと具体的に、
自分の経験に照らして(恐いナ〜。。。)お話してゆきたいと思いマ〜ス❗️
See U Next Time‼️

 

2019年12月24日 (火)

しょうこのベアフォレスト伝道タ〜イム💒❣️〜クリスマス編〜 “Rejoice always,pray without ceasing,in everything give thanks.”

 
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いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」

“Rejoice always,pray without ceasing,in everything give thanks.”

(テサロニケの信徒への手紙一第5章16節〜17節/THESSALONIANS;5:16〜17)

クリスマスに相応しい聖句を贈ります✨💒✨💒✨💒❤️❣️

聖書にはイエス様のお誕生日についての記述はありません。それがいつか、も正確にはわかっていません。

この聖句はとっても有名ですが、

「エ〜そんなの無理だから😂❗️」

と思われる方も多いのでは。。。

だってヤなことがあったら喜んでなんていられないし、感謝なんてする気になれないし、

そもそも祈る、って逃避的な弱〜い感じがするし。。。

聖書の聖句は美しく響きが良いのでいろいろな場所で引用されたりしますが、

その奥にある心、を理解しないと解釈が難しく、寧ろ誤解されることも多いのかと思います。

。。。ナ〜ンテ新米クリスチャンの私が言うのもヒジョ〜。。。に気恥ずかしいのですが、

聖書を読んで感じた私なりの実感、をお伝えしたいと思います!

🍓Q.どうしていつも喜んでいられるのか?と言うと、

A.神様がそばに居てくださるってことが解っているからです。it’s understood,なのです。

🍓Q.どうして絶えず祈れるのか?と言うと、

A.祈ったら必ず❗️答えが来ることを識っているからです。

🍓Q.何故どんなことにも感謝出来るのか?って言うと、

A.悪いように“一見”見えることが、実は唯一にして最善の道だった。。。🤩

そのように導いてくださっていた、ってことに、後から気づくからです。

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気づくから感謝する。感謝するから喜ぶ。

喜ぶからもっと祈ろう、

神様に話しかけよう、つらいことを打ち明けたり、

嬉しいこと、気づいたことを御報告しよう❣️と想う。

また祈る。喜ぶ。感謝する。。。

どうもそういう循環が起きているみたいなのです。

ーどうか今日と明日(出来るならいつも!)、

そんなふうに祈ってみてください。わからないこと、方法が思いつかないことを、

神様に訊いてみてください。

「マジかよ、ホントかよ🥴。。。」という半信半疑な気持ちじゃなく、

切実な気持ちで。答えが来ると信じて。

静かな場所で、落ち着いた心で。

今年は神様が、いつにも増して近くで私たちを見守ってくださっているそうです❣️❣️

今祈らないと一生の大損‼️マジです、マジ❣️

ーー生活のなかにぜひ、お祈りの時間を取ってみてください。

きっと何かを受け取るはずなので、それを実行してみてください。

時間がかかることもあるし、アッ!という間に受け取ることもあります。

神様の深い愛を、優しさを、温かさを感じてみてください。



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。。。神様って、

同時にめっちゃ恐ろしく、厳格で、怖い方でもあります。でも、

というか、だからこそ、

信じて祈る者にはどこまでも愛情深く、巨きく、優しく暖かい方だってことを、

あなたの心で、身体で、Spiritで、その全部で実感してみてください❤️。

✨I WISH YOU A VERY MERRY CHRISTMAS.✨🌲

 


2019年12月22日 (日)

ベアフォレスト伝道タ〜イム❣️💒On the weblog〜番外編〜間違った「伝道イメージ」について。

 

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こんにちは、鈴木祥子です。

昨日に引き続きやってまいりました

しょうこのベアフォレスト伝道タイム❤️💒〜番外編〜の時間のタイム、

今日は今までの人生で見聞きした

クリスチャンの伝道」と、

自分が実際にクリスチャンとなって実感した

「伝道」の違いについてお伝えしたいと思います💒!

まず。。。私が最初に思い出す「伝道」は、

あやしい風態の外人の方が駅前に立って、道ゆく人に聖書片手に

アナタハ、カミヲ、スインジマスカ〜⁉️”

。。。と次々に声をかける、というものです。

アナタハイマ、スイアワセデスカ〜⁉️”

。。。という別パターンもあって「#7Suffle」という曲のリリックに登場させたりしました。

あれは。。。

どう見ても異様でした🤩‼️

真面目にやってた方、本当にすみません。

もうひとつは大晦日の鶴岡八幡宮。1986〜7年くらいでしょうか。

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初詣客でごった返す参道に、白い街宣車が横付けされました。

「この終わりの時に、私達に神の裁きがくだされようとしています。

罪を悔い改めましょう。

イエス・キリストの救いに今!目覚める時です。」

割れまくったスピーカーで轟音のお説教が始まり、

轟音なのにヤケに淡々としたその声が、

「終わり」「裁き」「悔い改め」

というワードとともに非常〜。。。に恐かったのを覚えています。😂。

そのうち初詣に浮かれた人の群れから、誰からともなく

「ザンゲ、ザンゲ❗️」

のシュプレヒコールが沸き起こりました。

どこからか笑い(失笑?)が起こりやがて爆笑の渦となり、

ザンゲ‼️懺悔⛪️‼️」

の大合唱。

。。。もう、皆の心が(ライブのように)完全にひとつになっていましたネ。

(このスタイルの伝道は効果的。。。なのかどうかわかりませんが、

ただ大勢の集まるところで福音を述べ伝える、ということ、

クリスチャニティの甘くない、

厳格な一面をアピールするのには間違いでは無いのかも🤔⁉️とも思えます。

アピールし過ぎ、ってウワサもあるけど。。。

なので後述する“キリスト教に故意にダメージを与える”ことには当てはまらないかも、

とは思います。)

もうひとつは1976年のホラー映画、ブライアン・デ・パルマ監督の傑作

キャリー』。

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あの映画に、パイパー・ローリー演じるところの

狂信的なクリスチャンのお母ちゃん

が登場するのを覚えてらっしゃいますでしょうか?!

昼も夜も真っ黒な、スモックみたいな服に、存在感を放ちまくる不機嫌フェイス。

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聖書片手に近隣の家を巡って布教して皆に迷惑がられてるけど、

本人全く意に介していない。。。どころか、去り際には献金を要求して来て

ますます嫌がられる始末。決め台詞は

イエスの教えに目覚めなさい⛪️‼️」

(微妙にキレイなところがリアルでまた恐い。↓)

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娘のキャリーに初潮が来たら

女になった。。。」

と言って激昂し、おもむろに大判の聖書を持って来て殴りつけ(だから聖書をそんなふうに使わないで〜泣!)

罪という名のカラスである!言え!言いなさい!

罪という名のカラスである!!」

叫びつつ横っ面をバンバンはたきまくる。。。

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(今画像を見たらこれ↑、聖書じゃ無いですネ!聖書にはこんな項目、章はありません。

何か聖書の解説書、当時のスピリチュアル本みたいなものでしょう。

狂信的な方は得てして聖書そのものを大して読んでおらず、

そのくせ聖書はニセモノ!とか言い出したりする。1度でも通読してから言って❤️って思うのですが、

さすがデ・パルマ監督、芸が細かい。。。って感心してる場合か⁉️)

 

いやもう怖いのなんのって😂💀、

あの「キャリーの母ちゃん」の狂信的クリスチャンぶりはその後も永きにわたり

私の

キリスト教って何かめっちゃ恐い!絶対に関わり合いになるのヤメよう。。。」

というイメージを形作っていたのですから、映画やテレビといったメディアが与えるイメージ、

もっと言うと洗脳、というものがいかに強く効果的であるか、が判然とするというものです。

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しかし‼️

私が“今”感じるクリスチャニティも、聖書も、伝道も、

そんなイメージとまったく違う、別物なのです。

これは物凄い発見でした。

それは上記のような

おどろおどろしい👿

暗い👻

恐い💀

ものではなく、

明るく💒

パワフルで✨

純粋な🌈

世界でした。

神様を愛し人を愛し、自分を愛する、あの分厚い聖書の教えは、言ってみればこれだけなのです。

これだけのことを実践するための心得、行い、どうしたらそのような人間になり、

不安・心配、不平・不満の無い、喜びと希望のある人生を生きてゆくことが出来るのか。。。

その指南書のような面さえあります。

前者の「暗い・恐い・おどろおどろしい」の三重苦イメージ⁉️

を広めることでダメージを受ける人って誰でしょう?

クリスチャン?バチカン?ローマ法王?

。。。いいえ、言うまでも無く、

イエス・キリストその人です。

後者の「明るく・純粋・パワフル」な良いイメージが拡められ、伝えられることで喜ぶ人は?

そうなのです、

イエス様を伝道の為にこの世に送った御父・ヤハウェ様その方です。

。。。ここで素朴な疑問です。

🍓何故そんなに手の込んだことをしてまで、誤ったイメージを流布してダメージを与えたいのか?

🍓それだけパワフルなものだということ、これが真理だということを解っているからではないのか?

🍓。。。誰が?

ーーこの世というのは教えられて来たものよりずっとずっと霊的な世界であり、

神、というものは、神様、は単なる概念では無く想像でもお伽話でも神話でも無くリアルな、

現実の存在なんだ、

ということが、そのような思考の諸段階を経てじょじょに確信されて来ました。

。。。あ、その先まで行こうと思ったら長くなっちゃった。

この続きはまた

ベアフォレスト伝道タイム❤️💒

の時間のタイムにてお伝えしたいと思いマ〜ス!

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それでは淀川長治先生の真似で、

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ❣️SEE U NEXT TIME‼️

 

 

2019年12月21日 (土)

ベアフォレスト伝道タ〜イム💒❣️ On the weblog〜「愛には偽りがあってはなりません。」

 

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こんにちは、鈴木祥子です。

ベアフォレスト伝道タイム❤️💒の時間のタイムがやってまいりました。

「ローマの信徒への手紙」第12章9節/Romans12:9

「愛に偽りがあってはなりません。」/”Let love be without hypocrisy.”

という言葉のことを考えていたら何故か

ダメな自分も愛したい」

「そのままでいいんだよ、人間だもの

って言葉が浮かんで来ました。

。。。それってまさに

「偽りの愛」、“Love with hypocrisy”

だナ、と思ったのです。

だって

自分を愛する」

ってことと

ダメな自分も愛する」

ってのは全然違うこと、一緒にしてはならない別のことです。

てにをは、も違えば意味も全然ちがう。

ーーお恥ずかしい限りですが、私は本当に愚かしい人間だったので、

。。。と過去形にするのがちょと申し訳無いところが今でもあるんだけれど、

たったひとつだけ

。。。格段に進歩したんじゃ無いか?

って点があってそれは

ダメな自分、っていうのがどれくらいダメで、

そんなものを「愛する」なんて言葉の遊びがどれだけ偽善的なのか

が解るようになった、ってことなのです。

ダメな自分では「ダメ」であり、

「そのままで」全然良くないのです。

じゃあどこをどう変えてゆけばいいのか?を真面目に具体的に考えさせない為に、

「ダメな自分を愛したい」

「人間は完全じゃない、そのままがいいんだよ」

なんて言葉を流布させて偽りの安心感を与えて、思考停止させようとしている。。。

うーん、まさにhypocrisy‼️=偽善。

そんなwith hypocrisyなLoveにコロッ、と騙されちゃ駄目なのですネ。

 

RealでPureなLoveというのは神様の愛、

時に本当に厳しく自分を変えること、鍛えることを求められるけれど、

それはダメな自分から愛せる自分に、

そのままでいい、まあ仕様が無い、人間だから。。。と思っちゃってる自分から

もっともっと個性を輝かせて生きることの出来る自分に、

とことん努力して練磨しろ❗️ってことなんですネ。

しかしそれはどうしても、特にこの日本では

ポジティブシンキング」や「スピリチュアル」と混同され、一緒にされてしまいがち。

神様の世界では厳しさが優しさであり、恐さが暖かさであり、

その人の為にならないヌルさ、甘え、依存を許してくれません。そのかわり、

唯一にして最善の道、を教えてくださいます。

それも1日1〜2時間とか、週イチ、月イチのカルチャースクールみたいなレベルじゃアありません。

期限無し、相応しい自分になれるまで。その時が来るまで。

。。。簡単なことでは無いですが、神様がその都度導いてくれるから大丈夫なのです。

ブレスレットとか関連グッズとか関連本とか(壺とか。。。笑)

一切必要ありません。

上に行くごとに高価になる(らしい)セミナーやクラス、なんてのも一切ありません。

大事なのは「聖書と、お祈りと、賛美と、伝道」。

読んで、

祈って、

歌って、

伝えること。

それはクリスチャン用語で

「信仰の4本の柱」

って言うそうなのですが、これら4つのことは総て

言葉」と

「音」

に通じているということ、お気づきになりましたでしょうか⁉️

そうなのです。。。これが私がクリスチャニティに魅きつけられた大きな、大きな理由です。

私は今まで曲を書いて歌うことで、まさに音、と言葉によって生きてきて、生かされてきました。

それが自分のもの、なんかじゃ無く神様のものであり、

神様が与えてくださったものだった。。。と気づいたときに、

何かこう大きな転換、自分にとっての

パラダイム・シフト

が起きてしまったのでした。

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言葉のもつ力、の強さや正確さに気づくと、

神様がそこに強力に宿って導いてくださっている。。。

ってことを実感するようになります。

「悪い言葉は言霊が悪いから使うな、

良い言葉は言霊がいいからどんどん使おう、

言ってるうちに思考が変わる、現実が変わる」

という考えかた、それはある地点まで有効です。

「言葉は神と共にあった。神は言葉であった。」

「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」

(ヨハネによる福音書第1章1節・4節/John1:1/4)

。。。って聖書に書いてあることを、

わかりやすく簡易な言い方にしているだけです。

ただ、私がまさに!そうだったように、

それが全て神様から来ている。。。ってことを私たちは教わらない/教えない/識らないので、

“言霊”だけに注意していても「自分を変える」、ってところまでは絶対に行き着かないでしょう。

Let love be without hypocrisy.” 「愛には偽りがあってはなりません。」

それは人を愛するためだけじゃなく、

自分をもっと愛するための御言葉でもあるんだなア。。。と、

あらためてその言葉の力、に感じ入ってしまう私なのでした。

じゃあ「自分を愛する」って具体的にはどういうこと?どうしたら「自分をもっと愛せる」の?

次回は聖書に照らしてそれをお伝えしたいと思いマ〜ス!

しょうこのベアフォレスト伝道タイム❤️💒、本日はこれでお別れです!

また次回お逢いいたしましょう‼️See U next time‼️

 

 

 

2019年11月25日 (月)

ひらめきの呼び水。

昨日のお祈りの時間、神様に怒られてしまいました、

「もっと勉強しなさい!最近やっていないし聖書の読み込みが足りない!」

ーー早速今日は朝から旧約聖書の

「民数記」=“Numbers”

をおさらい、というか、この章は難しいイメージがあって次の

「申命記」=“Deuteronomy”

に飛んでしまっていたのです。あらためて「民数記」=“Numbers“

を読んでゆくと。。。

。。。不思議なのですが、

次にやるべきことのアイデアが次々に浮かんで来ました。

あ、やっぱりこれで良いんだ、

迷ってたけどこっちを選んで大丈夫なんだ、

あの人に電話してみよう、

この場所でやってみよう、

来月実行に移してみよう、

考えてしまって停滞していたことが、

するすると解けてゆくような感じ。

神様は怒ったのでは無く、

「ヒントを与えるには勉強させるしかない」

から苦言を呈してくださったんだな。。。ということもわかりました。

うーん、どんなことでも「勉強」って大事ですネ!要するに脳を使うということは、

次の閃きの呼び水になるということなのですね。

キラキラッ✨と水がきらめくように、

アイデアが閃く。。。

それをひたすら実現させてゆくことが私=人間の使命❣️

これからも毎日、日本語と英語で聖書を読むことを根気良く継けてゆこう、と思いました。

決して投げ出さず、忍耐力をもって、コツコツと、勤勉に。

(あ〜自分に足りないものばっかりだ〜!頑張らねば❗️)

神様、心から感謝いたします‼️✨

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先日AさんとMさんとお出かけした時、Aさんにいただいたバラ、Mさんにいただいたお茶。

綺麗な色、良い香りです🌹🍪☕️❣️

2019年11月 2日 (土)

私の証その1。〜”不敵で純粋“に生きること。

 

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神様が以前教えてくださったのは、

私は男として生まれるはずが、先人の罪によって性別が混乱し、

女に生まれて来てしまった、ということ。

だから女として「だけ」生きようとする時最も生きづらく、

人生がより困難になってしまう、ということ。

わかる、わかるよ!!わかります神様。

(『鈴木祥子』そして『Sweet Serenity』というアルバムに作品化されているのはまさに

女、として「だけ」生きようとしていた頃の自分、そのもので、

もしもこの2枚のアルバムを聴いてもらえればそれがどんなだったか解ってもらえると思う。)

 

話は戻るが私の父と、父の祖父は病的な浮気性だった。父が亡くなって戸籍謄本を

取り寄せる必要が出て来た時、初めて曽祖父の人生の負の一端を知った。

勿論会ったことは無いけれど富裕で、息子である祖父が明治生まれの日本人には珍しいほどの

長身(182cm)だったことから想像すると、いろいろな意味でパワフルな男性だったのだろう。

先人の罪とはまさにこれだ、と思った。

 

女性を苦しめた罪、クリスチャン的に言えば異性の罪が、

次の世代、さらにその次の世代に受け継がれ影響してゆく。

これはオカルト話や、スピリチュアル話の類では無い。人間の霊的な真実だ。

私はある意味その犠牲者なのだけど、

犠牲を武器に変えられるかもしれない。

その強さが自分に備わっているのを感じる。

備えてくださったのは神様だ。そう教えてくださったのも神様だ。

私に音楽を与えて「女」の「役割」から解放してくれた。

どうして自分は孤独なんだろう、と思っていた、以前は。

一面、それを大して苦痛に感じない、寧ろ愉しんでいることを不思議に感じてもいた。

人と居ても誰と居ても完全に満たされることが無い、

その孤独は実は祝福されていた。祝福された孤独だった。

 

Anthonyは女性を取っ替え引っ換えしているけれど、

孤独なんだなと感じる。

最近の彼の目に以前のような無邪気さや不敵さが無いのも、加齢し、父親になって落ち着いたから、

というより異性の罪に疲弊している、ような感じがする。

私の肉体が男だったらやっぱり女性を取っ替え引っ換えしていただろう、ひょっとしたら今でも。

父や曽祖父の血が私にも確実に流れているからだ。

女だからその罪を免れている。

女が肉体的に頽廃、したら男の100倍、1000倍悲惨だと解っているからだ。

その意味でも救われている。

「神様はあなたを特別に愛している。」「あなたは神様に特別に愛されている。」

クリスチャンになる前はそんな言葉が真実であることを知らなかったし、信じられなかった。

あなたに神の祝福がありますように、とかクリスチャンの人が言うのにも、

何か違和感を感じたしほっとけヨ、と思っていた(その違和感は半分正しかった、ことがわかった。

バチカンの悪が次々に暴かれて世界的なニュースになったことで、

自分のその「なんか上手く説明出来ないもの凄いイヤさ」に確たる根拠が得られた気がした)。

http://rapt-neo.com/?p=19086

(私を小学生時以来再び聖書に、偽物じゃない本当のクリスチャニティに引き戻してくれたBlogです!)

 

(この動画も御覧になるとわかりやすいかも。ひとつの世界、人類はひとつ、という一見理想主義的な

スローガンの、本当の意味が解ります。)

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=LTvy4JSsy44

 

今は違う。神様は私に、自分という人間の生命の秘密を、その祝福を総て解き明かしてくれた。

孤独が武器になることも。

その武器をとって“全力で”生きることも。

迷ったら神様に祈って、行動することで解決する。

幸せは「得る」ことだけじゃ無い(それはほんの一面に過ぎない)、

充足って外から「与えられる」ものじゃない。

内から溢れるもの、輝きだすもの。それは愛、にほかならないと、

今、かつてないくらい強く感じている。❤️

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I will rely on God’s Love ❤️ from now to eternity.

 

 

 

 

 

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