Religious beliefs

2022年10月 8日 (土)

もう秋ですネ❣️まもなくお知らせ出来ることがあるかも。。。

 

Happy October🍂もう秋ですネ❣️

 

まもなく来年のお知らせが出来るかも知れません❗️

そう、何を隠そう来年2023年はデビュー35周年。

15年ぶりにニュー・アルバムを作ろうかと思っております。

 

そんなに長いこと出さない、というつもりも特に無かったのですが、

何か今じゃない、いまそういう気分じゃ無い、

とか言っているうちに、

気がついたらデビュー20周年からさらに15年経っていました💦。。。

 

気づけば曲も結構あることだし、いよいよThere Comes A Time‼︎

って気がしてきました。お知らせも含めてどうか、いま少しお待ちくださいませネ❗️

 

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SZK28/July,1994。

 

 

主は私に、余計なものは捨てなさい、と仰います。

この世界はあまりに多くのものを持て、多くのことをやれ、と圧をかけて来るので

ついそうしないといけないような気がしてしまいますが、

 

その殆どはじつは要らないものだったり、

やらなくてもいいこと、追い求める必要のないものだったりします。

 

必要無いものを求めるから、そしてそれに気づかないから、

消耗してしまう。疲れて、希望を失くしてしまう。

 

自分に合わない、そぐわないことをしているのだから当然といえば当然なのだけど、

そのなかに居るときは気づかないものなのですネ。

寧ろそれをすることにプライドとか生き甲斐、を持っちゃったりしているので、

非常に根が深いのです。

 

本当に必要なものを、真に行うべきことを、

いつもしっかりと見極めていたい。そのためには主の御言葉が、助けが、

アドバイスが絶対に必要なのです‼️

 

“信じて、祈って、愛して、待ちなさい。

大丈夫だから!”

主はそう仰いました。

これ、とてもとても大事なことです。

 

だって皆んな(自分も。。。)

信じないし、祈らないし、(自分を)愛さないし、

待たないでしょう(笑)!

 

そのまったく逆を、やりなさい。

と主は仰る。

 

人だけを愛しても、自分だけを愛しても、

主の仰る愛にはなりません。

自分を愛するように人を愛する

のがBiblicalな愛、

神様の愛だから。。。

 

そう、出来そうにみえて出来ないこと、

簡単なようでやっていないこと、

 

それをやりなさい、と主は仰います。

 

“信じて、祈って、愛して、待ちなさい。

大丈夫だから❗️“。。。

 

もしかしたら私いがいにも、いまこの言葉が響く方がいらっしゃるかも知れない。。。

と思って書いてみました。

 

Believe,Pray,Love,Wait.Then…

It's gonna be alright😉.

 

 

“救い主 イエス・キリスト。

あなたに出逢い、

救われた喜び。

感謝を捧げます。”

(讃美歌「この方いがい」より。)

 

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夏のおもいで。ニュー・バランスのbeigeのスニーカーを買いました👟❣️

 

 

(文中の神様、主、祈り、というワードは旧約聖書・新約聖書に基づくものであり、

いかなるキリスト教系の新興宗教とも、スピリチュアリズム・自己啓発系の教義とも

関係がありません。)

 

 

 

 

 

2022年8月20日 (土)

ベアフォレストmini・ミニストリー💒、今日は真面目にセマッてみたいと思います❗️

 

いまこのタイミングで神様のことを書くのは誤解を招くことかも知れないのですが、

書く必要があるような気がしました。

 

私はクリスチャニティや神様のことをブログに書くとき、(エラソーですが。。。)

いつもこのような↓注釈?を付けていました。

 

「文中の神様、主、祈り、というワードは旧約聖書・新約聖書に基づくものであり、

いかなるキリスト教系の新興宗教とも、スピリチュアリズム・自己啓発系の教義とも

関係がありません。」

 

日本において三位一体の神=(神様とイエス様と聖霊さま/Father and Son and Holy Spirit)

だけが神でありほかに神はない、という一神教の概念は一般的ではなく、

自然現象や森羅万象に“八百万の神”が宿っているというアニミズムの概念が

国民的な「宗教観」であり、

 

 

宗教」といえばあやしいもの、高額のお金で物品を買ったり買わせたりするもの、

そもそも神様を持ち出す時点で何か胡散臭い、というような印象も根強く、

一見いいことを言ってるように「見える」自己啓発や“〜系スピリチュアル”が

一種「マイルドな宗教」と化して多くの人を魅きつけている、

そういうものとBiblicalな(聖書的な)キリスト教のちがい、は非常にわかりづらいのではないか❓

ーーどう違うか、よりもとにかく

「まったく別のものである」ことが伝われば、と思ったのです。

 

 

私は昔から何らかの宗教的な感情や感覚無しに人間は生きることが出来ない、

と強く信じている人間でした。2019年にヨーロッパ圏に旅したことがきっかけとなって

クリスチャニティを信仰するようになりましたが、

小学生時代は日曜学校に行っていたし教会音楽が好きだったので、

キリスト教の世界観、じたいは非常に近しいものでした。

 

そこから本当の信仰。。。に進むまでには長い年月を要しましたが、

やはり音楽をやっていたことは何より大きかった、と今にして思うのです。

 

信仰をもったこの3年のあいだに、少しずつ自分のやって来たことに疑念、

を感じるようになりました。

すべては必然であったし意味のあることであった、

という思いがある一方で、

 

ーーそれは自分に合った道のように見えながら、

知らず知らずのうちに少しだけ、間違った方向に進んでゆくことではなかったか。

 

ーー「個人の感覚」「個人の生き方」を模索する過程で、

根本的な創造主への畏れや、感謝を置き去りにしてはいなかったか。

 

ーー女性というものの本然の姿は、かつて自分が傾倒したフェミニズム、

ウーマンリブの思想とは、およそかけ離れたものではなかったか。

 

そして最も大きな疑念は、ーー

偶像崇拝を固く禁じる律法に対して、

音楽といういわば神の二次創作ーーと言ったら語弊があるのでしょうが、

 

神が言(ことば)を創造された過程のなかで、言、から生まれた音、

音、から生まれた音楽、という順理を無視してそれを熱愛し、

信奉し、直接的な生きる糧とすることはーー正直に言えば

「『自分』を商品にする」ことは、神の御心に叶うことなのか❓❓

 

それも一種の偶像崇拝じゃないか。

 

神に反逆した天使・のちのサタンであるルシファーがまさにそうであったように、

音楽を行う者、というのは無駄なプライドをもちやすく“自己“を過信しやすいーー

同時に自己懐疑も強い。そういうパーソナリティは人の承認や“賞賛”を求めがちで、

音楽が承認欲求を満たすための手段、にもなりやすい。ー

 

それは主の最も厭われる高慢の罪であり、

サタンの道をまっしぐらに進むことになりかねない。ーー

音楽を生業とすること、は

常に神の御心に背き、サタンの道に引き込まれる可能性、

危険性を孕んでいる。ーー

 

もちろん全員が全員じゃないです。私自身もそこまで承認欲求の強い人間では無いですが、

そうなりやすい魔をその根底に含んでいる、ということはあると思うのです。

 

 

事実キリスト教国家であるアメリカやイギリスでも、

一部の音楽アーティストは反・キリスト、反・聖書を堂々と標榜している(としか思えない‼️)し、

アンチ・クライスト、アンチ・バイブルの思想を基にした音楽というのは、

如何に格好良く見えようとももう身体が受け付けない。。。

 

というのが正直なところなのです。

 

我が日本はキリスト教国家でないのは勿論

無神論(Athiesm)

が一般的であって、

神社仏閣や八百万の神、を信じるともなく信じている、

というような融通無碍な国民性がおおらかな寛容さにも繋がっているーー

 

しかしこの時代にあってその無防備さは危険ではないか、と今、感じています。

 

 

神様は私たちに、高額の寄付や物品、お金を要求したりなさいません。

神様が望まれるものは愛、人間が祈り、神を信じること、愛し合うこと、

神様が真に喜ばれることを行い。真理と愛の人に成長してゆくこと、

希望と喜びのなかで生きることです。

 

そのために神の律法があり、それを堅く守れ、と仰る。

罪を抱えたままでは人間は不幸になってしまうから、

神は私たちに律法を総て守らせようとなさる。

 

大変厳しいようですが実はそれは深い愛情であり、ーー

迷い易く堕落し易い人間を思いやり、悲しみ、

慈しむ心から生まれたーー限り無い優しさと表裏一体の厳しさ、

なのだということを、この3年間で私はじょじょに悟ってゆきました。

 

これこそが神様の慈悲、

よくロックの歌詞に出てくる

GOD Have Mercy,

というフレーズの本当の意味なのですネ❗️

 

 

あの著名なY・T先生が「キリスト教は消滅してゆく思想である」、と

トンデモ論を展開なさることと同じ文脈で、

(最近は”日本語は悪魔の言語“というタイトルの動画も流れて来ました❗️

Y・T先生飛ばしてらっしゃいますネ。。。これぞアンチ・バイブル‼️)

 

キリスト教も“キリスト教系新興宗教”もごっちゃに語られ、

ただしい宗教感(観)というものが人間にどれほど巨きな恵みや救いを与え得るか、ーー

 

。。。これは客観的な言いかたですネ、主観的にいうと

 

聖書の神様、ほんとうの神様を愛して、行いを正しくして心を清めて祈れば

何が起ころうとも護られ、必要なものはすべて与えられる。

自分に最も相応しい道を、大きな希望と喜びをもって生きてゆくことが出来るーー

 

この真実がますます隠され、不可視化されて

宗教=すべて悪

という図式が拡まってゆく危険性がゼロでは無いーーいや、大変、高いのではないか❓。。。

 

そんな危機感を抱いています。

 

日本って本当に恵まれた国、神に護られている国なんです。

自然に恵まれ環境に恵まれ、水は美しい。あきる野に住んでいて心からそう感じます。

 

そして日本語は陰影に富み、喚起させるイメージの情報量が圧倒的に多い。

抽象能力が高い。

そんな言語を使いこなす日本人は本来、頭脳の働きがブライトで先見性があって、

心が高潔で柔軟で。。。だからこそ神様と引き離されたのですネ。

 

 

何故って神様に愛されたからです。だからこそサタンに生かしちゃおけねぇ、と思われ、

必要以上の攻撃を受ける。

これはまさに今、私たちの目の前で起こっていることです。お伽話でも神話でも、

都市伝説でもありません。

 

 

ある政党のことについて質問をお寄せくださったTさま

御質問ありがとうございます❗️

私は特定の政党を支持したり信頼を置く、ということはしておりません。

理由は、見た目が好きじゃないから

。。。というのは冗談‼️ですが、その主張に完全に納得し共感、

共闘出来ると信じるには至っていない、ということが大きいかと思うのです。

 

この世は愛、よりも数、が巨きな権力をもつ世界になって(されて)しまったので、

それを得るために何を成すべきか、誰を味方につけるべきか、いかに生くべきか❓。。。

。。。という発想が当然生まれてくる。

 

もちろん大事なことではあります、しかし度を超えて数や数字を追うこと、

それによって私益を得ようとすることはやはり、紛れもない偶像崇拝でありサタンの思想です。

 

 

神様の道を識る前から、私はそういう生きかたをして来なかったし

これからもしないでしょう。

ナンといっても”性に合わない“のです。人間にはもっと大事なものがある。

 

「世の友となることは、神の敵となることです。」

 

という大使徒パウロの聖句をいつも忘れないでいたいのです❤️❣️

 

 

「世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。
世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」


(ヤコブの手紙/第4章第第4節)

“Do you not know that friendship with the world is
enmity with God? whoever therefore wants to be a
friend of the world makes himself an enmity of God."
(James;4:4)

 

そして。。。


「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、
その人の内から生きた水が流れ出るようになる。」

(ヨハネによる福音書/第7章38節)

 

"If anyone thirst,let him come to Me and drink.
He who believes in Me,as the Scripture has said,
Out of his heart will flow rivers of living water."

(John7:38)

 

生きた水=Living Water。

 

生きた水が内から流れ出るような人になりたい。。。と思うのです。

 

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あきる野市の川自慢、水自慢(笑)。これから泳げるようになるのが楽しみです❤️。

読み返してウワ〜、長っ、と思いましたがこのままアップいたします。もしも

気の向かれたときお読みいただけたら嬉しいです❗️

 

 

2022年5月17日 (火)

偉い先生も嘘を言う⁉️〜しょうこのBEARFOREST miniミニストリー💒。

 

こんにちは。しょうこのBEARFOREST miniミニストリー💒

時間のタイムがやってまいりました❤️

本日のテーマは、

 

偉い先生も嘘を言う⁉️」

”Why do they tell a lie⁉️“

 

わたくし、先日偶然おすすめに出てきたこちらの動画を拝見し、

文字通りビックリ仰天‼️いたしました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DlE8j3nwFuk

 

Y・T先生に傾倒なさっている方がいらしたらごめんなさい。

でも、

 

キリスト教は「自分を立てていく」教えでも、

21世紀に壊れていく世界」でもありません。

 

そもそも自分を立てていく、って何でしょう

 

キリスト教は神に委ねて、すがって、もがいて、

希って、祈って、行って、

 

進むべき最善の道を神様におしえていただく、

導いていただくーー「自分を立て」るんじゃなく、

むしろ自分の弱さを悟って、

神様の前でどこまでも謙虚になる」世界です。

 

 

自分を造ってくださった神様にしか、

「自分の最善の道」などわからないのです。

 

 

祈りなさい、悔いあらためなさい、罪を犯すのをやめなさい。

そう神様は仰います。時に残酷と思えるくらい、厳しく罪を裁かれます。

 

 

それは人間にとっていちばん幸せな道を歩ませるためーーです。

 

 

神様の目に義なるもの、善なるものとなるためーー何よりも

愛、を行うものとなるために。神様に近いものとなれるように。

 

 

その時初めて迷いの多い、罪深い人間は清くなり、

生まれ変わり、完全に新しくされ、

神様がそのように造ってくださった本来の輝く姿となって、

大きな喜びと希望をもって生きてゆくことができます。

 

 

自分を立ててゆく(主張してゆく、ってことでしょうか❓)、ナンテこととは

およそ真逆です!なんじゃそりゃ。

しかも壊れていく世界、って()、

それって真実でも何でもなく先生の願望ですよネ⁉️

ア〜、ビックリした。

 

 

私は一介のミュージシャンであって先生に何の恨みもございませんが、

公共の場でキリスト教についてこう堂々と非・真実を語られて、

それを目にしながら黙ってるようじゃァクリスチャンの名がすたる、ってことで

僭越ながら拙い(でも本当です。)訂正をさせていただきました❤️

 

 

そうか。偉い先生でも聖書は読まれていない、とみえます。

途中で仏教のお話をされていますから。

仏教は諸行無常、を教えます。すべては空(くう)だと。

 

でもキリスト教の世界では、命は永遠です。

 

善なる行いをしなさい、義なる者となりなさい。

神を、人を、自分を、愛しなさい。与えられた肉体の一生のあいだ、

成長し継けなさい、あなたの光を輝かせなさい。

永遠の命にたどり着くために。

 

神様はそう仰います。

 

キリスト教の真理はもちろんのこと、こういった嘘もバッチリ❗️

わかってしまう。

非・真実を、非・真理ハッキリ、くっきりと炙りだしてしまう。

有識者だろうと、お偉い先生だろうとです。

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2022/04/post-541b63.html

 

それが聖書=神の言(ことば)の底知れない力であり魅力であり、また

恐ろしさ、でもあると思うのです❣️

 

 

書いているあいだじゅうずっと、この聖句が頭のなかに

繰り返し響いていました❤️

 

“ーというのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、

どんな諸刃の剣よりも鋭く、精神と霊、

関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、

心や思いの考えを見分けることができるからです。”

(ヘブライ人への手紙第4章12節)

 

 

“For the Word of God is living and powerful,

and sharper than any two-edged sword,

piercing even to the division of soul and spirit,

and joints and marrow,and this discerner

of the thoughts and the intents of the heart.”

(HEBREWS4;12)

 

 

。。。そしてイエス様のこの御言葉も浮かんで来ました❤️❣️

 

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

(マルコによる福音書第3章31節)

 

 

“Heaven and earth will pass away,

but My words will by no means pass away."

(MARK13;31)

 

 

 

 

 

2022年4月29日 (金)

All You Need Is FAITH‼︎2.

 

先日、通りかかった垣根の黄色い薔薇が雨に濡れてとてもきれいだったので

思わずウワ〜、可愛い❤️と手を触れてしまいました。

 

その瞬間指先から身体に、

心にあっという間に喜びが伝わってきて、

 

あ、生きているって愛なんだ、愛って命なんだ

 

と思いました。

 

なんじゃそりゃ、と呆れないでください(笑&泣)‼︎

 

瞬間的にそう感じたので、それがどういう意味か、

理論的に説明。。。は出来ません。

 

ただ、雨に濡れた薔薇が生き生きと喜んでいるように見えて、

感動して手を触れたら一瞬で喜びが伝わってきて、

感じること、触れることで愛は伝わる、

だからこそ人は人と感じあいたいし、伝えあいたいんだ、

命とは本質的に愛、なんだ。

 

そう思ったのです。

 

「私は道であり、真理であり、命である。」

(ヨハネによる福音書第14章6節)

 

イエス様の御言葉が浮かんできました。

 

Jesus answered, “I am the way and the truth and the life.

(John14:6)

 

神様は命であり、光であり、愛であるーー

 

その神様が御自分自身に似せて創られた人間も、その命も必ず

愛、に響きあうように、愛、に周波数が合うように出来ています。

愛、で作られたものには必ず愛、が宿る。伝わる。

 

 

私は雨に濡れた薔薇に思いがけず愛、を教えられたわけなのですが、

それが人間どうしならば尚更、深く強い愛を伝えあえると思うのです。

 

愛は、勝利する。何故ならそれは真理だから。

 

『鈴木祥子私的讃美歌集1.のリード・トラック、

「わがままな彼氏」のリリックはまさにそのことについて書いたのです。

 

ー愛だの恋だの、若いうちだけのこと。

愛は醒めるもの。いつか終わるもの。

そんなたわごとより実際的な、現実的なことを考えるべき。

 

ーーそんな時代が確実に終わりつつあることを感じています。

それこそがたわごとであり、いつか滅ぶべき考えかたであり、

もう既にその時は訪れているーー主はそのように仰います。

 

生き延びるためには愛など要らない、それは真逆であって

愛がなければ生き延びることは出来ない、のです。

私たちは永いあいだそんな真逆の、フェイクの、

真理ではなく嘘の、

数々の言葉を摂取して/させられて生きて来たけれど、

もうこれからは違います❤️

 

真実が、真理が、愛が、

大いなる光となって私たちを照らす、進むべき道を教えてくれる、

そんな時代がやって来ます。

 

だから、

People Get Ready,There's A Train A-Coming‼︎

 

 

 

 

 

2022年4月 3日 (日)

All You Need Is FAITH‼︎

 

ひとびとよ、準備しなさいー

 

ひとびとよ、準備しなさい

もうすぐ汽車がやって来る

荷物は要らない、ただ乗るだけでいい。

必要なのは信仰だけ。

ディーゼルの音が聴こえるだろう。

どんな切符も要らない、

神に感謝を捧げればいい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=yC_j_dzkaVE

 

名曲“People Get Ready”の冒頭の部分です。


All You Need Is Faith.“...

これはクリスチャンとして本当に心に響くフレーズなのです‼️

 

必要なのは信仰だけ、All You Need Is Faith,

神に感謝を捧げればいい。You Just Thank The Lord.

 

本当に、本当にそうなのです。主がひとびとに望まれることは、

お金でも地位でも名誉でも無い。

まっすぐなただしい心で、打算の無い心で

神様を信じて愛することです。

 

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ーー最近、お祈りの時間に、

どうか完全に清くしてくださいますよう。」

といつも御願いしています。

清い、っていうのは。。。所謂

清廉潔白、っていう言葉に。。。似ていなくも無いのですが、

もっと他愛無く単純なことなのです。

 

 

悪い心をもたないこと、切符売り場で手間取っている人が居たら

イライラするんじゃなく待つ、声をかけてみる。

どうも苦手だナと思う人が居たら、

悪口を言うんじゃなく心から追い出してみる。

その人にはその人の理由があるしやり方がある。

それは自分とは関係の無いことだから、

好きな人やワクワクすることにもっとフォーカスしてみる。。。

 

 

ーーと、ここまでは巷の成功法則とか、スピリチュアル本などにも

書いてあることですネ。問題はその先、

 

必要なのは信仰だけ、All You Need Is Faith,

神に感謝を捧げればいい。You Just Thank The Lord.

 

の部分です。どうやって信仰を保ってゆくのか、

神様への感謝ってどうやって表せばいいのか。

 

私にしてみるとそれは思うより簡単なこと。

お祈りをしたときと/しない時。

神様のことを考えるときと/

世の中のことを考えるとき。

 

その違いを感じてみることです。そこにはもう、

圧倒的な違いがあるからです(当社比)。

 

集中してお祈りが出来たとき、

心は希望に満ちあふれます。

余計なことを考えなくなります。

身体が熱くなったり、涙が出てくることもあります。

ふとアイデアが浮かびます。

ヨ〜シ実行しよう、その方法を考えてみよう。

そんな積極的な想いが生まれます。

思わぬ人を紹介してもらったりします。

その人が自分がやりたかったことを実行するための

ヒントを与えてくれたり、背中を押して大きな確信を与えてくれたりします。

 

時代がどうあっても今日を、また次の日を喜びのなかで生きることが出来る。。。

これが恵みでなくて、救いでなくて何なのか‼︎。。。

そう心から思わずにいられないのです。

 

 

世の中の基準ですべてを測るとき、

不安に駆られる、この先どうなるのか、と迷う。

前はこうだった、と過去を振り返ったり、

多くのものを失ってしまった、と嘆いてみたり。。。

 

それは“愛のない状態”です。

自分を愛しておらず、人を愛していない。

 

何故神様が罪を嫌われ、時に厳しく裁かれるのかというと、

人間は、罪を抱えたままでは決して幸せになれないからです。

 

闇や影や罪はサタンの最も好むところだから、

待ってました、とばかりに心に入り込み、

もっと大きな影や深い闇で私たちを覆い、滅ぼしてしまおうとするからです。

 

神様は罪を厭われ裁かれる。だって、人間は光と希望の存在だからです。

神様がそのように創られたからです。

だから間違った道に進もうとする時、

厳しく裁くことで身をもってわからせようとするのです。

 

(ひとつ前の記事でどこどこ大学の何某教授の言説がくだらない、

と言ったのは、それが神様の御意思と真逆だから、なのですネ。

 

 

男性の聖なるエネルギーと/女性の聖なるエネルギーが結びついて、

共に支えあい、学びあい成長するために、

神様は男と女を異なるもの、異なる身体として創造されたから。

そこに優/劣なんてありません。その神聖さにおいて男性/女性はまったく平等です。

(バイ・「創世記」第1章/Genesis:1.)

 

「男女それぞれに役割がある」と考えるのは

「ジェンダー・バイアス(笑)に侵されているから」ってアンタ。。。😩😩

言ってることが無茶苦茶、神をも畏れぬ、ってのはこのことです❗️

異なっている、ことが何故差別なのか。

違いを認めない、ことこそが差別でしょう。)

 

All You Need Is Faith.とはそれを信じること、

愛を学ばせ、愛を生きさせるために主が私たちを創られたことを、

時には炎のように厳しく、時には慈愛にみちた優しい目で

いつもいつも視ていてくださることを、

間違っているときは教えてくださり、悟らせてくださり、

ただしい時にはたくさんの祝福を降り注いでくださることを。

 

「♪今日の行いよい時には、

優しく良い子と祝してください。

神よ、悩みや苦しみにも、

打ち勝つ力を与えてください。」

 

何と、子供のときに歌った讃美歌はほんとうでした。

善なる人間を主はほんとうに祝福してくださり、

悩みが起きてもすべてに打ち勝てる武器を与えてくださる。だから

You Just Thank The Lord, 感謝しないではいられない‼️。。。

 

主に喜んでいただけることをしよう、

影や闇を全部追い出して、

光と喜びの近くに行こう。

そう希わずにはいられないのです。

 

 

「世の中の基準」が絶対では無い、

と気づいたときが、たぶん

に出逢うときだと思うのです❤️。


だから、

 

ひとびとよ、準備しなさい。

もうすぐ汽車がやって来る。ーー

 

So,

People,Get Ready.

There's A Train‘s A-Comin’.

 

 

 

 

 

 

2022年3月 9日 (水)

戦う国の人を、テレビが映し出す夜に。

 

先日、お祈りの途中で涙が出てくるくらい感動してしまいました。

突然なのですが、

 

慈悲

 

っていう言葉があります。この意味って御存知でしたか??。。。

 

恥ずかしいのですが、私はそれをこの年まで実感したことがありませんでした。

もちろん意味はわかります。

 

神よ、どうかお慈悲を、どういうお祈りは映画や小説などでもよく耳に目にしますし、

GOD,Have Mercy.っていうフレーズは古今東西、あらゆる音楽の

リリックのなかに登場します。

 

思いやり、優しさ、慈しみの心、慈愛。。。ジョージ・ハリスンの

慈愛の輝き、っていうアルバムがあったなァ、なんて。。。

 

 

そんなふうに漠然と感じることは出来ても、自分自身がその言葉から

あまりに遠過ぎることばかりが強く感じられて、

マザー・テレサかナイチンゲールじゃあるまいし、

そんな愛で人を愛することが出来るなんて、一体どんな修行をすればいいのか、

自分には一生無理じゃないのか?。。。

などと思っていました。

 

 

でも先日、明け方にお祈りをしていた時、

人の悲しみ、というものは自分の悲しみでは無いけれど、

自分の悲しみというものがあるからこそ、

人の悲しみを感じることが出来る、と思ったのです。

 

 

幼稚園児か小学生みたい、と笑わないでください()‼︎

言葉にすれば当たり前のこと。だけどよくこんなことを言います。

 

 

「この世にはあまりに多くの悲しみがある。

神はなぜ、そのように世の中を造られたのか?

神が本当に人間を愛しているならば、

なぜ我々に悲しみを与えられるのか?」

 

 

それは、人の悲しみをわかるようにするためです。

人の悲しみを自分の悲しみのように感じ、想う心を育てるためです。

それをたぶん、といいます。

だから神様の愛は慈悲であり、

人間の悲しみを御自分のことのように悲しみ、慈しむからこそ、

私たちに愛の心を育てなさい、と仰るのです。

 

 

愛の道を行きなさい。

主は少し前に私にそんな御言葉をくださいました。

愛は万能だからです。

愛に出来ないことはなにも無いからです。

神様が人間の悲しみを御自分のことのように悲しみ、

その悲しみを慈しむように、

 

「人の悲しみを自分のことのように悲しみ、

慈しみなさい。」

 

 

神様は私たちに悲しみをお与えになりますが、

それは愛の心を教えるためです。

私たちが忍耐強く学び、愛の心をもったなら、

この世は愛の世界になります。

 

 

神様が人間に悲しみを与えられるのは、

そのことを人間に教え、育て、導きたいから。

そんな愛で愛してくださる神様を誰よりもなによりも愛し、

神様が人間を愛する、その愛で

私たちがお互いを愛することが出来るようになるため、なんです❤️❣️

 

 

 

 

 

2022年1月23日 (日)

今日の御言葉〜お祈りの中で受け取ったこと。〜

 

 

ツイッターにも投稿しようと思いますが、こちらにも書きますネ❗️

 

クリスチャンとして日々お祈りをする中で、

神様から受け取った御言葉を定期的に書いてゆきたい、と思いました。

 

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ーお祈りをしていると様々な言葉を受け取ることがあります。

後から書き出して、読んでみると本当に力をもらったり、勇気が湧いてくるのです。

大変不思議なことだと思いました。

それが単なる自己暗示、思い込み、自分で自分に言い聞かせる言葉、

というものであったなら、

こんなふうに力を得たり、読み返して勇気が湧いてくる、というのは、

無いこともないけれど永続はしないだろう、

ある一瞬気が楽になることはあっても、それが生きる指針にまでなるようなことは

きっと無いだろうと思うのです。

 

 

スピリチュアルの世界にアファメーション、というものがありますが、

これらの言葉はアファメーションのようにポジティブな暗示を、繰り返し心に

植えつけるために毎日口にするーーというものではなく、

自分からは決して出てこないだろう言葉、思ってもいない状況に

自分を押し出すことを促すーーそんな言葉も多く含んでいるところが実に不思議なのです。

 

そんな言葉を日々受け取るうちに私の考えかた、人生観、音楽観はゆっくりと、

でも大きく変わってゆきました。

 

まず人生は喜びであり生きることは光であり、

不安や恐れを抱く必要はまったく無く寧ろ罪である、ということ。

人間は神様が心を込めてこの地上に創り、産み出してくださったもの、

だからいつも神様の愛のなかに居るなら、信じて祈るなら、

自分、というものを最も生かせる道ーーその人にしかない光を輝かせ、その光が人を照らし、

また周りの世界を照らすような働きが出来るようになること。

 

道に迷うときは心から祈り、求めること、

主がいつも答えを教えてくださること。そのときわからなくても、

 

繰り返し祈ることで自分が変わり、周りの状況が変わり、

いつのまにかもっとも自分に合った人生を歩めるようになること。

 

それがどんなに素晴らしくまた不思議なことであるかーーに気づいて

神様の御力と御恵みに心から驚き、畏れ、信仰がより強まり、

深まってゆくこと、

不安や恐れ(畏れ、では無く!)を捨て去って喜びと希望の道を歩み、行い、

生きるようになること。ーー

 

そんなふうに、挙げてゆけば終わりがないくらいたくさんのことを学び、

今もまた現在進行形で学んでいる最中です❤️。

 

もしもあなた様の心や、状況に響きあう言葉がありましたら、

私を通して主があなた様に受け取ってほしいメッセージ。。。なのだと思うのです💒💓❣️

 

 

新しいことをしなさい。

今までの古きものはもう捨てなさい。

その中には善いものもあったが、あなたに害をなすものも

多く含まれている。それを捨てなさい。

きっぱりと捨てるのだ、振り返るな。

心配しなくてもあなたの道は護られている。

安心していなさい。

無駄なことをするのはやめなさい。

サタンは無駄なことの中に善いものを、

善いもののなかに無駄なものを混ぜ込んで

あなたを混乱に陥れる。

それに乗ってはいけない。

その罠に堕ちてはならない。

あなたにももう彼らの手口がよくわかるだろう。

とにかく捨てなさい、古いものを捨てて、

新しいことをしなさい。

愛の道をゆきなさい。

それが何か、あなたにはわかるはずだ。

 

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2021年12月24日 (金)

When you’re connected to The Light Of GOD...❤️

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神様の光に同調すれば、それは真理であり平和であり希望です。

 

サタンの闇に同調すれば、それは絶望であり恐れ、そして不安です。

 

どちらに同調したいか、するかは今、私たちにかかっているーー

 

神様の光に同調する。そうひとことで言うのは簡単ですが、

 

今の世の中ではちょっと油断するとあっ、という間に

 

サタンの闇のほうに同調して(させられて)しまいます。

 

人間は誰でも罪を犯すから、その罪をそのままにしているから、

 

影や闇はその隙間をつけ狙って来るのです。

 

この世には人の心を闇に同調させるためのあらゆるトラップが

 

そこかしこに設けられ仕掛けられていて、常に獲物がかかるのを待っています。

 

獲物は多ければ多いほどいいのです。たくさんの人間を闇に同調させ

 

希望を奪い、不安に陥れて正常な思考を奪うことこそ彼らの狙い、

 

もっと大きな闇に賞賛され、用いられるための理由であり

 

そもそも“人間が神様の愛を感じないようにすること”

 

こそが彼らの最大のモチベーションだから‼️。。。

 

そんな中で人間はどう生きるべきでしょうかーーー??

 

それを教えてくれるのが、ジャジャ〜ン♪✨✨そうです!

 

聖書であり主の御言葉です‼️

 

主の御言葉に、神様の光に同調するために必須なのが

 

祈ること‼︎

 

今、サタンの攻撃がかつてないほど激しく、過激になっています。

 

それを感じる方も多くいらっしゃるでしょう?私もそのひとりです。

 

彼らも怯えています。恐れています。サタンの闇が強くなればなる程、

 

神様の光もまた私たちを護り照らそうとするからです。

 

「祈ること」はパワフルです。だって祈る、という行為は

 

ある種の純度の高い波長を発することであり、

 

純度の高い波長はまた、純度の高い別の波長と同調することが出来るからです。

 

それはかの引き寄せの法則を引き合いに出すまでも無い、

 

スピリチュアルでも自己暗示でも無い科学的な事実❗️です。

 

有名なフェミニストの上⭕️先生は、御著書のなかで

 

「祈りは無力な弱者の最後の抵抗。祈らなくて済むように私はフェミニストになった」

 

なァ〜んてことを書かれていましたが、一見説得力があるようで、

 

真っ向から神に敵対してらっしゃいます。かの有名な⭕️〜チェ先生の

 

「神は死んだ。」っていう大嘘を世の中に広める側の、

 

「さしずめインテリ」の方たちのおひとりなのかナ〜❤️❓

 

って感じが致します。

 

祈ることーー私が考えるに、それはまったく弱いことではありません。

 

というか、神様の御前で「弱くない」人間なんか居るでしょうか??

 

寧ろ祈ることは、誰にも奪われることのない命が自分の内に在るのを感じること、

 

それが神様の光と繋がり、響きあって生かされていることを。

 

私にはそう思えます。

 

 

実は私は昔から、こういう「光と闇の二大勢力」が自分の人生を

 

駄目にしようとしたり、また強く引き上げようとしていることを

 

強く強く感じていました。それが何かはわからなかったけれど、

 

とにかく隙あらば闇のほうへ落とそう(堕とそう?)としている勢力と、

 

そのたびに何度でも手を差しのべ助けよう、救い出そうとしてくれる大きな力ーー

 

これっていったい何なのだろう??ーーそういつも思っていました。

 

 

奇しくも世界がコロナ禍に巻き込まれる直前、

 

2019年に祈るように導かれ、祈っているうちに多くのことを識り、

 

学びました。クリスチャ二ティについてだけではなく罪について、

 

サタンの悪意について、祈ることや聖霊を受けることについて、自分の使命や

 

生まれた意味についてーー

 

それは誰も教えてくれなかったこと、聞いたことのない考え、

 

ほかの場所では決して学ぶことのできなかった真理であり真実、でした。

 

クリスチャ二ティに馴染みの薄い日本でも、

 

主に祈るひとがひとりでも多くなるように、と希わずにいられないのです。

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不安や恐れは人間の内に自然に湧き起こるもの、

 

それと共に長い人生を生きてゆかねばならないものーー

 

ーーではありません‼️

 

そうさせているものこそが闇=サタンの力、悪意ある誘導です。

 

主に護られている、という安心感と幸福感、そして希望。

 

それこそが主が人間に与えられたもの、神様がお創りになった自然な姿です。

 

人間ひとりひとりに、神様は肉体や心、とともに

 

 

を与えてくださいました。人間の肉体も心も移り変わるもの、

 

何ひとつ不変ではありません。でも、霊は普遍であり不変、です。

 

あなたをあなたに、私を私に、私たちを私たち、

 

たらしめている命こそが「霊」。

 

霊は磨かれ、成長してゆくことも、年月を経て清められてゆくことも、

 

若々しくなってゆくことも可能です。

 

(所謂「ステージが上がる」「フェイズが変わる」のですネ())

 

何故って心から信じ、祈ることによって私たちは

 

神様、その方に宿る

 

 

を受け取ることが出来るから。恵みの雨のように、光のシャワーのように

 

全身に降り注いでいただくことが出来るから‼️。。。

 

そのことを

 

「聖霊を受ける」

 

と聖書は教えています。

 

 

(父と子と聖霊の御名によって、という有名な祈りの言葉は、

 

父=イエス様をこの世に送られた御父のヤハウェ様、天地創造の、全知全能の神様。

 

子=そのひとり子であられる主イエス・キリスト(しかし。。。

 

この方ほど全世界に知られ崇められ崇拝され、

 

同時に誤解され利用されてきた方はほかに居ない。。。といつも思います。

 

。。。って私見でした、スミマセン‼︎)

 

聖霊=そのおふたりの神様に宿る霊。

 

その三位一体の神様の御名によって、っていう意味なのです!)

 

ちょっと想像してみていただけますか?

 

神様その方の霊、を受け取る、降り注がれる。。。

 

 

何故そんなことを、神様が人間にしてくれるの

 

神様という存在が、こんなに小さい自分を心に留めてくれるものなの?

 

そんなことって本当にあるの??

 

 

。。。それが、あるのです。

 

(私は日々そのことを実感して、胸がいっぱいになってしまうのです!)

 

神様は人間を、御自分の姿かたちに似せて心を込めて創られ、

 

子供のように、娘のように、花嫁のように愛されているから。

 

その愛を一度でも感じたら、神様が私たちに惜しみなく聖霊を与えてくださる意味が、

 

理由がきっとわかると思うのです。

 

私たちは聖霊を受けて神様のようになることだって出来ます。

 

勿論何処かの教祖さまのように神様に

 

「なる」んじゃありません()

 

神様「のように」なることが出来るのです。

 

 

祈ることは私たちの自然な、本来あるべき姿に戻ることを強力に助け、

 

神様の光に同調させてくれるもの。私たち人間に神様の霊(エネルギー/波長/周波

 

数。。。簡単に言ったらそのすべてです❗️)=聖霊を

 

惜しみなく与え、降り注いでくれるもの。

 

神様のような愛と光の人になるように。

 

神様のような勇気と叡智を与えられた人間が希望にあふれ、

 

ほかの誰でも無い、自分だけの光を輝かせて生きてゆけるように。

 

だから祈るってネ、

 

神様と繋がるためのWi-fiをオンにする、みたいなものなんですヨ❤️

 

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2021年10月23日 (土)

ベアフォレストmini❤️ミニストリー💒に御質問をいただきました❗️

 

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先日のベアフォレストmini❤️ミニストリー💒に御質問をいただきました。

新米クリスチャンの私にとても大事なことをお尋ねくださって、

緊張するとともにとても嬉しかったです。。。ありがとうございます😊‼️

 

個人的な大切な内容も含まれるので、詳しいことは個人的に御返事をさせていただきますネ。

 

(この記事はクリスチャニティについて書いてある(しかも長い💦)

記事ですので、

ご興味の無い方、宗教的なお話はちょっと。。。という方は

ここから先はお読みにならずに御願いいたします🙇‍♀️‼︎でも、

 

キリスト教って何?イエス・キリストってどういう存在?

とちょっとだけ興味があったり、

そういうこと知っておくのもまァ、悪くないかナ。。。

と思われるかたはちょこっ、と目を通されてみてください。

 

伝道ブログになったわけでは無く(笑)、

音楽や日常のことも変わらず書いてゆきますので、

ぜひこれからもお読みになってくださいませネ。)

 

 

お祈りはいつでも、どこでもお祈りしたくなったときにするのが良いと思うのです。

いちばん良いのはやはり早朝や明け方、世の中が寝静まった時間でしょうか。

気持ちが大変落ち着きますし、主とより繋がりやすくなるとおもいます。

 

 

そうそう、クリスチャンになったばかりの頃、

深夜1時から1か月1時間祈りなさい、という言葉を聞いてその通りに行い、

お祈りのなかでいろいろなことが解ったりあらたに識ったり、

なかでも「」についての概念、を直接伺うことが出来ました。

 

 

」と聞いて何を連想なさるでしょうか❓

警察のお世話になったりお縄になる💦ような罪、はもちろんなのですが。。。

キリスト教の「罪」って「悔い改めること」と密接に繋がっていて

 

どんな人間でも必ず犯してしまうもの、

決してそのままにしておいてはいけないもの

 

なのです。

 

主が罪、と定めていることは全部聖書に書いてありますが、

私もこちらに書いたことがあります。

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-bbe90d.html

「しょうこのベアフォレスト伝道タイム💕〜If you pray,anything is possible❗️」

 

 

そもそも罪の何がいけないのか、なぜ罪を犯してはならないのか、

というと、

 

主と切り離されてしまうから、

主と繋がっていなければ自分の「霊」が死んだような状態になってしまうから

 

なのですネ。これは不安や恐れや自己否定、不平不満や鬱。。。

あらゆる負の思い、マイナスの考えを招き寄せてしまいます。

 

霊って何?心霊?オカルト⁉︎

もしかして心霊療法❓(←怪し過ぎ。)

 

 

ーーいいえ‼️「霊」についても以前書いたことがあります。

 

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-0fa8ce.html

「祈って聖霊を受ける」こと。1。」

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-e93f43.html

「祈って聖霊を受ける」こと。2。」

http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-144326.html

「祈って聖霊を受けること。完結編。」

 

 

霊、は心霊現象の霊、では無くてあなたをあなた、たらしめている純粋なエネルギーのこと。

 

聖霊

 

“父と子と聖霊の名において”

 

のあの「聖霊」です。じゃあ聖霊とは何か❓というと、

 

「神様から降り注いでいただく聖なるパワー/エネルギー、ある種の波長、周波数」

 

です。

 

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(ここで聖書・豆知識📚のコーナーです❤️‼️

 

イエス様のお父様、ヤハウェ様はユダヤ教の神様、イスラエルの神様です。

 

映画「十戒」でも有名な「モーセの十戒」=神の律法を人間に与えられた神様ですネ。

 

イエス・キリストはヤハウェ様のひとり息子であり、イエス様をこの世に遣わした理由は

 

私たちにその死、をもって「不滅の神性」を教え

 

イエス・キリストの神性によって「」と「罪の悔い改め」を教えて、

 

聖霊(神性)を降り注いでくださるため」=

 

「永遠の命を与えてくださるため」

 

なのですネ。聖書・豆知識のコーナー📚でした。)

 

 

聖霊は主の波長と響き合わなければ与えられないし

受け取ることが出来ません。主は全き愛と、光の存在なので、

罪、闇、影というものとは同調出来ません。

 

(凄〜くかんたんに言うとラジオのチューニング📻みたい、

文化放送にチューニングしてたらニッポン放送は絶対聴けない。。。のと同じ?です(笑)。

Wi-fiの無いところでiPadが繋がらないのと同じ、といってもいいかも❗️)

 

そしてその、チューニングをする方法こそが

 

お祈りをすること、罪を悔い改めること

 

なのですネ。

 

真剣に、集中して、心の底から答えを求め、信じて頼る祈りを、

主は必ず聞いてくださいます!聖書の知識なんて最初は無いに決まっているし、

知識を学んでも主を求める想い、がなければそれは

実を結ばないただの知識

で終わってしまう。。。

1ページずつでも、気になる言葉があった場所からでも、

聖書を手元に置いてちょっとずつ、少しず〜つ読まれてみてください。

 

 

私たちの日常からは程遠い、その壮大な歴史観に圧倒されても、

聞き慣れない言葉や習慣に戸惑っても、

ある瞬間に「ア、そうか‼️」と思えたらこっちのものです。

 

因みに私が「ア、そうか‼️」の瞬間を迎えたのはこの聖句を読んだときでした。

 

ーー主は、わたしたちのために死なれましたが、それはわたしたちが、

目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」

 

(テサロニケの信徒への手紙第5章10節)

 

”Our Lord Jesus Christ,who died for us,that whether we wake or asleep,

we should live together with Him."

 

(THESSALONIANS/5:10)

 

 

涙がドッと溢れてきて止まらなくなった瞬間を、今でも想い出すことが出来ます。

 

 

そうか、わたしたちの、いや、私の罪のためにこのひとは死んでくれたんだ、

そしてわたしの、わたしたちの救いのために蘇って神、になられたんだ。。。」

 

ってことが頭だけでなく

「身体で、心で」

解った瞬間でした。

 

旧約聖書は創世記からイエス様の誕生まで、

新約聖書はイエス様の人生と死、そして蘇り=人間イエス・キリストが神となるまで、

の詳細なお話なので、最初は偉人伝、を読むような気持ちで

ぜひその情熱的で感動的な生涯に触れてみてください。

 

最初はちょっと忍耐を必要とするかも知れませんが、

お祈りのなかで

「聖書を読めるようにしてくださいますように。」

と主に直接お願いされてみてください😊。

(私はコレで通読出来ました✨‼️)

 

 

あと重要なことは必ず

 

聖書の神様にお祈りする

 

ということ‼︎ ホラ、日本は一神教の考えかたが一般的じゃ無いでしょう❓

八百万の神とか、自然信仰とか、はたまたナントカ教とか。。。寧ろ

神社にお参りしたりするほうが馴染み深いし親しみ易いのは

当然のことと思います。

 

でも一神教であるキリスト教は

 

私いがいに神は居ない、ほかのいかなる神も

拝んではならない。

 

と教えますから、ここが日本人のメンタリティと

葛藤する部分でもあると思います。

 

でもネ、本当は葛藤、しない筈なのですヨ。寧ろ

今の世の中何でもアリ、なんて考えかたのほうがおかしい

のです。

葛藤が起きる“というよりも、葛藤を起こすように教えられて来てしまった。。。

というほうが真実に近いところもきっとあるのです。

 


悪いことは悪く、善いことは善い。

これは永遠に変わらない真実です。ごくあたりまえだからこそ忘れられていること、を

聖書が私に教えてくれました。

 

 

 

ーー「愛する主よ、どうかわたくしの罪を悔い改めさせてくださいますよう、

聖霊さまを豊かに賜らせてくださいますよう、

どうかお導きくださり、お護りくださいますよう

心からお祈り申し上げます。」

 

 

(この項続く❤️。)

 

 

🌟(文中の神様、主、祈り、というワードは旧約聖書・新約聖書に基づくものであり、

いかなるキリスト教系の新興宗教とも、スピリチュアリズム・自己啓発系の教義とも

関係がありません。)

 

 

 

 

 

 

2021年10月 8日 (金)

ベアフォレストmini❤️ミニストリー💒「主の愛が視えていないときには。。。」

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こんにちは。久しぶりのベアフォレストmini❤️ミニストリー💒💕の時間のタイムが

やってまいりました‼️本日のテーマは

「主の愛が視えていないときには」。

"When We Don't See/Feel His Eternal Love And Compassion..."

 

 

主の愛が、視えていない。。。

本当にそう感じるときがあります。私たちには主の愛が視えていない。

 

私が感じるところ、主はほんとうに私たちを愛されていて、

求めれば、助けを求めて心から祈れば絶対に、絶対に助けてくださるのです。

それも思いもしない方法で、予想とか、想定なんかを遥かに超えるやり方で。

「求めよ、さらば与えられん。」という有名な語句はまさに聖書の聖句、

イエス様の御言葉です。

 

「そこで、私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。」

(ルカによる福音書/第11章9節)

 

So I say to you,ask,and it will be given to you."

(Luke/11:9)

 

これ⬇️、私が感じるに、解釈がちょっとばっかし間違っています。

 

「しかし、ここで言う「求める」は、ただ求めるだけで何もしないことを言うのではありません。

心からそれを求め、手に入れるために主体的な努力を重ねるべきである、ということを意味しています。」

 

惜しい‼️当たらずとも遠くない。。。けど、ちょっと違います。

 

正解はたぶん

 

「心からそれを求め、主に頼り祈って努力を重ねたとき、主はまことに意外な方法でそれを叶えてくださる。」

 

です❣️。

 

主はいつも、常に、絶えずこう仰っています、

 

「あなたはいつも護られている、必要な物は与えてあげる。

だから安心していなさい。」

 

。。。なのにそれを受け取れない、まったく感じ取れないとしたら、

それはサタンの言葉に従ってしまっているからです。

サタンの言うことは主とまったくの真逆です。

「お前には何も出来ない。無力で孤独な人間だ。

誰もお前のことなんか好きじゃない。」

 

これに従ってしまったら、聞いてしまったらまさにヤツらの思う壺。

サタンは主に反逆してサタンになったのですから、

主が愛されている、主に愛されている人間のことが大嫌いです。

そんなものは駆逐されて、居なくなったらラッキーなのです。彼らにとっては。。。

 

彼らの巧妙なところはあらゆるところに潜み、

一見そうは視えない善人や、そうは思えない「善いこと」

の顔や振りをして私たちの心の隙間に入り込んで来ること。

その巧妙さ、執拗さたるや敵ながら感心してしまうほどなのですが、

感心ばかりもしていられません。本当にシャレじゃないのです。

 

彼らは人間に罪を犯させたいし堕落させたいんですネ。自分のように、

主に見放された者を一人でも多く増やしたいからです。

だからあらゆる手を使い、あらゆる方法で人間を脅しにかかって来ます。

ある時は誘惑し、ある時は罪悪感や情に訴えても来ます。

誤った価値を信じさせ、真実の価値を見失わせようとします。

その罠にぜっったいに、絶対に落ちてはなりません‼️(力説。)

 

世の中が不安定でも、安定していることは可能です。

世界に不安が蔓延っても、いつも安心していることは出来ます。

明日どうなるかわからなくても、しっかりと護られているのを感じるので大丈夫なのです。

 

自分の力、なんかじゃありません。そんなものはひとつも無いのです。

総ては主の力で、神様の愛で出来ている。

音楽だってそうです。「私が」作っているんじゃ無いのです。

私は主の御手で奏でられる、ただのちいさな楽器です。

 

そんなちいさなものさえ愛でて、育てて、護って、導いてくださる。

主の愛ってそういう愛なのです❤️。

 

 

 

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