The Last Time Around...❤️
こちらのブログでの更新はこれでラストとなります。
「鈴木祥子のアナログ音楽日誌」を7年間の長きにわたりお読みくださって本当に、
本当にありがとうございました‼️
これからは鈴木祥子ウェブサイト内“季節のスケッチ”のコーナーに、
日々思うことなど書いてゆきたいと存じます。どうかお気の向かれたときに、
御覧になっていただけたら幸いです。
2015年なんてついこのあいだのことみたい、当時の記事を
お読みいただけるとわかるのですが、私はモーツァルトに耽溺し、熱愛し、
かの不世出の大天才、全世紀において比類なき最高の大作曲家を
“アマデさん呼ばわり“
していて、。。。💦
http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-26dc.html
http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-f4dd.html
http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/amade-1d2f.html
書簡集を読みレコードを聴き、“Requiem Kv.626"のスコアを読み“Kyrie”を歌い
(これはのちに『GOD Can Crush Me.』の間奏の独り多重Choirに活かされました!)、
ピアノ・ソナタ第11番(Klavier sonata kv.331)を毎日練習しまくり、
https://www.youtube.com/watch?v=yGy23zBdxQo
http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-3cab.html
その熱が昂じて2019年にViennaにゆき、
アマデさんの生きた足跡を辿り、永く暮らした場所にゆき、
その魂が永遠に眠るザンクト・マルクス墓地にゆき、。。。
日本に帰って来たら本当に久しぶりに聖書を手に取りたくなり、
読んでいくうちにある聖句にぶつかって号泣し、ー
“主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、
目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。”
(テサロニケの信徒への手紙1/第5章10節)
“...our Lord Jesus Christ,who died for us,
that weather we wake or sleep,
we should live together with Him."
(1 THESSALONIANS/5:9〜10)
その瞬間、イエス・キリストを信じるクリスチャンになっていました。
信仰生活を継けるうちに、
“音楽”への度を超えた耽溺や熱狂は偶像崇拝であると悟り、
自分の人生、やってきたことを根本的に見直すようになりました。
見直すというより、神の視点に照らしてそれはどうであったのか、
という検証をするようになりました。
その結果、
あぁ私は、私の道は、絶望的に間違っていた。
あぁ私のしたことは、正しかった、間違っていなかった。
矛盾したふたつの想いがあります。
しかしそれは必然であったことを識りました。
尊敬する神木イエス・キリスト教会の、三谷和司先生が仰っておられた
https://www.shiboku.net/index.htm
「人間は永遠性と有限性とに引き裂かれて生きている。
あらゆる不安の原因はそれです。」
永遠性と有限性。それは生命の世界と死の世界であり
善と悪の世界、光と闇の世界、神と悪魔(サタン)の世界なのだと。
だからこそ人間には神が、神の言(ことば)が、生命(いのち)が絶対に必要なのだと。
音楽をやって来た理由、が解った気がしました。
あらゆる有限性のなかで、永遠性を求めること。その光に向かって手を伸ばすこと。
自分が音楽でやってきたことはそれなんだ、と悟った瞬間、
何かが終わった、とおもいました。それは深いふかい喜び(歓び?)
そして解放でした。
いや〜語っちゃってスミマセン‼️来年のデビュー35周年に向けて
いろいろ楽しいことを考えておりますので、
どうか引き続き、よろしくお付き合いくださいますよう
心から御願い申し上げます😊❤️❣️
鈴木祥子。
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