ベアフォレストmini・ミニストリー💒、今日は真面目にセマッてみたいと思います❗️
いまこのタイミングで神様のことを書くのは誤解を招くことかも知れないのですが、
書く必要があるような気がしました。
私はクリスチャニティや神様のことをブログに書くとき、(エラソーですが。。。)
いつもこのような↓注釈?を付けていました。
「文中の神様、主、祈り、というワードは旧約聖書・新約聖書に基づくものであり、
いかなるキリスト教系の新興宗教とも、スピリチュアリズム・自己啓発系の教義とも
関係がありません。」
日本において三位一体の神=(神様とイエス様と聖霊さま/Father and Son and Holy Spirit)
だけが神でありほかに神はない、という一神教の概念は一般的ではなく、
自然現象や森羅万象に“八百万の神”が宿っているというアニミズムの概念が
国民的な「宗教観」であり、
「宗教」といえばあやしいもの、高額のお金で物品を買ったり買わせたりするもの、
そもそも神様を持ち出す時点で何か胡散臭い、というような印象も根強く、
一見いいことを言ってるように「見える」自己啓発や“〜系スピリチュアル”が
一種「マイルドな宗教」と化して多くの人を魅きつけている、
そういうものとBiblicalな(聖書的な)キリスト教のちがい、は非常にわかりづらいのではないか❓
ーーどう違うか、よりもとにかく
「まったく別のものである」ことが伝われば、と思ったのです。
私は昔から何らかの宗教的な感情や感覚無しに人間は生きることが出来ない、
と強く信じている人間でした。2019年にヨーロッパ圏に旅したことがきっかけとなって
クリスチャニティを信仰するようになりましたが、
小学生時代は日曜学校に行っていたし教会音楽が好きだったので、
キリスト教の世界観、じたいは非常に近しいものでした。
そこから本当の信仰。。。に進むまでには長い年月を要しましたが、
やはり音楽をやっていたことは何より大きかった、と今にして思うのです。
信仰をもったこの3年のあいだに、少しずつ自分のやって来たことに疑念、
を感じるようになりました。
すべては必然であったし意味のあることであった、
という思いがある一方で、
ーーそれは自分に合った道のように見えながら、
知らず知らずのうちに少しだけ、間違った方向に進んでゆくことではなかったか。
ーー「個人の感覚」「個人の生き方」を模索する過程で、
根本的な創造主への畏れや、感謝を置き去りにしてはいなかったか。
ーー女性というものの本然の姿は、かつて自分が傾倒したフェミニズム、
ウーマンリブの思想とは、およそかけ離れたものではなかったか。
そして最も大きな疑念は、ーー
偶像崇拝を固く禁じる律法に対して、
音楽といういわば神の二次創作ーーと言ったら語弊があるのでしょうが、
神が言(ことば)を創造された過程のなかで、言、から生まれた音、
音、から生まれた音楽、という順理を無視してそれを熱愛し、
信奉し、直接的な生きる糧とすることはーー正直に言えば
「『自分』を商品にする」ことは、神の御心に叶うことなのか❓❓
それも一種の偶像崇拝じゃないか。
神に反逆した天使・のちのサタンであるルシファーがまさにそうであったように、
音楽を行う者、というのは無駄なプライドをもちやすく“自己“を過信しやすいーー
同時に自己懐疑も強い。そういうパーソナリティは人の承認や“賞賛”を求めがちで、
音楽が承認欲求を満たすための手段、にもなりやすい。ー
それは主の最も厭われる高慢の罪であり、
サタンの道をまっしぐらに進むことになりかねない。ーー
音楽を生業とすること、は
常に神の御心に背き、サタンの道に引き込まれる可能性、
危険性を孕んでいる。ーー
もちろん全員が全員じゃないです。私自身もそこまで承認欲求の強い人間では無いですが、
そうなりやすい魔をその根底に含んでいる、ということはあると思うのです。
事実キリスト教国家であるアメリカやイギリスでも、
一部の音楽アーティストは反・キリスト、反・聖書を堂々と標榜している(としか思えない‼️)し、
アンチ・クライスト、アンチ・バイブルの思想を基にした音楽というのは、
如何に格好良く見えようとももう身体が受け付けない。。。
というのが正直なところなのです。
我が日本はキリスト教国家でないのは勿論
無神論(Athiesm)
が一般的であって、
神社仏閣や八百万の神、を信じるともなく信じている、
というような融通無碍な国民性がおおらかな寛容さにも繋がっているーー
しかしこの時代にあってその無防備さは危険ではないか、と今、感じています。
神様は私たちに、高額の寄付や物品、お金を要求したりなさいません。
神様が望まれるものは愛、人間が祈り、神を信じること、愛し合うこと、
神様が真に喜ばれることを行い。真理と愛の人に成長してゆくこと、
希望と喜びのなかで生きることです。
そのために神の律法があり、それを堅く守れ、と仰る。
罪を抱えたままでは人間は不幸になってしまうから、
神は私たちに律法を総て守らせようとなさる。
大変厳しいようですが実はそれは深い愛情であり、ーー
迷い易く堕落し易い人間を思いやり、悲しみ、
慈しむ心から生まれたーー限り無い優しさと表裏一体の厳しさ、
なのだということを、この3年間で私はじょじょに悟ってゆきました。
これこそが神様の慈悲、
よくロックの歌詞に出てくる
GOD Have Mercy,
というフレーズの本当の意味なのですネ❗️
あの著名なY・T先生が「キリスト教は消滅してゆく思想である」、と
トンデモ論を展開なさることと同じ文脈で、
(最近は”日本語は悪魔の言語“というタイトルの動画も流れて来ました❗️
Y・T先生飛ばしてらっしゃいますネ。。。これぞアンチ・バイブル‼️)
キリスト教も“キリスト教系新興宗教”もごっちゃに語られ、
ただしい宗教感(観)というものが人間にどれほど巨きな恵みや救いを与え得るか、ーー
。。。これは客観的な言いかたですネ、主観的にいうと
聖書の神様、ほんとうの神様を愛して、行いを正しくして心を清めて祈れば
何が起ころうとも護られ、必要なものはすべて与えられる。
自分に最も相応しい道を、大きな希望と喜びをもって生きてゆくことが出来るーー
この真実がますます隠され、不可視化されて
宗教=すべて悪
という図式が拡まってゆく危険性がゼロでは無いーーいや、大変、高いのではないか❓。。。
そんな危機感を抱いています。
日本って本当に恵まれた国、神に護られている国なんです。
自然に恵まれ環境に恵まれ、水は美しい。あきる野に住んでいて心からそう感じます。
そして日本語は陰影に富み、喚起させるイメージの情報量が圧倒的に多い。
抽象能力が高い。
そんな言語を使いこなす日本人は本来、頭脳の働きがブライトで先見性があって、
心が高潔で柔軟で。。。だからこそ神様と引き離されたのですネ。
何故って神様に愛されたからです。だからこそサタンに生かしちゃおけねぇ、と思われ、
必要以上の攻撃を受ける。
これはまさに今、私たちの目の前で起こっていることです。お伽話でも神話でも、
都市伝説でもありません。
ある政党のことについて質問をお寄せくださったTさま、
御質問ありがとうございます❗️
私は特定の政党を支持したり信頼を置く、ということはしておりません。
理由は、見た目が好きじゃないから
。。。というのは冗談‼️ですが、その主張に完全に納得し共感、
共闘出来ると信じるには至っていない、ということが大きいかと思うのです。
この世は愛、よりも数、が巨きな権力をもつ世界になって(されて)しまったので、
それを得るために何を成すべきか、誰を味方につけるべきか、いかに生くべきか❓。。。
。。。という発想が当然生まれてくる。
もちろん大事なことではあります、しかし度を超えて数や数字を追うこと、
それによって私益を得ようとすることはやはり、紛れもない偶像崇拝でありサタンの思想です。
神様の道を識る前から、私はそういう生きかたをして来なかったし
これからもしないでしょう。
ナンといっても”性に合わない“のです。人間にはもっと大事なものがある。
「世の友となることは、神の敵となることです。」
という大使徒パウロの聖句をいつも忘れないでいたいのです❤️❣️
“Do you not know that friendship with the world is
そして。。。
生きた水が内から流れ出るような人になりたい。。。と思うのです。
あきる野市の川自慢、水自慢(笑)。これから泳げるようになるのが楽しみです❤️。
読み返してウワ〜、長っ、と思いましたがこのままアップいたします。もしも
気の向かれたときお読みいただけたら嬉しいです❗️
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