
神様の光に同調すれば、それは真理であり平和であり希望です。
サタンの闇に同調すれば、それは絶望であり恐れ、そして不安です。
どちらに同調したいか、するかは今、私たちにかかっているーー
神様の光に同調する。そうひとことで言うのは簡単ですが、
今の世の中ではちょっと油断するとあっ、という間に
サタンの闇のほうに同調して(させられて)しまいます。
人間は誰でも罪を犯すから、その罪をそのままにしているから、
影や闇はその隙間をつけ狙って来るのです。
この世には人の心を闇に同調させるためのあらゆるトラップが
そこかしこに設けられ仕掛けられていて、常に獲物がかかるのを待っています。
獲物は多ければ多いほどいいのです。たくさんの人間を闇に同調させ
希望を奪い、不安に陥れて正常な思考を奪うことこそ彼らの狙い、
もっと大きな闇に賞賛され、用いられるための理由であり
そもそも“人間が神様の愛を感じないようにすること”
こそが彼らの最大のモチベーションだから‼️。。。
そんな中で人間はどう生きるべきでしょうかーーー??
それを教えてくれるのが、ジャジャ〜ン♪✨✨そうです!
聖書であり主の御言葉です‼️
主の御言葉に、神様の光に同調するために必須なのが
祈ること‼︎
今、サタンの攻撃がかつてないほど激しく、過激になっています。
それを感じる方も多くいらっしゃるでしょう?私もそのひとりです。
彼らも怯えています。恐れています。サタンの闇が強くなればなる程、
神様の光もまた私たちを護り照らそうとするからです。
「祈ること」はパワフルです。だって祈る、という行為は
ある種の純度の高い波長を発することであり、
純度の高い波長はまた、純度の高い別の波長と同調することが出来るからです。
それはかの“引き寄せの法則“を引き合いに出すまでも無い、
スピリチュアルでも自己暗示でも無い科学的な事実❗️です。
有名なフェミニストの上⭕️先生は、御著書のなかで
「祈りは無力な弱者の最後の抵抗。祈らなくて済むように私はフェミニストになった」
なァ〜んてことを書かれていましたが、一見説得力があるようで、
真っ向から神に敵対してらっしゃいます。かの有名な⭕️〜チェ先生の
「神は死んだ。」っていう大嘘を世の中に広める側の、
「さしずめインテリ」の方たちのおひとりなのかナ〜❤️❓
って感じが致します。
祈ることーー私が考えるに、それはまったく弱いことではありません。
というか、神様の御前で「弱くない」人間なんか居るでしょうか??
寧ろ祈ることは、誰にも奪われることのない命が自分の内に在るのを感じること、
それが神様の光と繋がり、響きあって生かされていることを。
私にはそう思えます。
実は私は昔から、こういう「光と闇の二大勢力」が自分の人生を
駄目にしようとしたり、また強く引き上げようとしていることを
強く強く感じていました。それが何かはわからなかったけれど、
とにかく隙あらば闇のほうへ落とそう(堕とそう?)としている勢力と、
そのたびに何度でも手を差しのべ助けよう、救い出そうとしてくれる大きな力ーー
これっていったい何なのだろう??ーーそういつも思っていました。
奇しくも世界がコロナ禍に巻き込まれる直前、
2019年に祈るように導かれ、祈っているうちに多くのことを識り、
学びました。クリスチャ二ティについてだけではなく罪について、
サタンの悪意について、祈ることや聖霊を受けることについて、自分の使命や
生まれた意味についてーー
それは誰も教えてくれなかったこと、聞いたことのない考え、
ほかの場所では決して学ぶことのできなかった真理であり真実、でした。
クリスチャ二ティに馴染みの薄い日本でも、
主に祈るひとがひとりでも多くなるように、と希わずにいられないのです。

不安や恐れは人間の内に自然に湧き起こるもの、
それと共に長い人生を生きてゆかねばならないものーー
ーーではありません‼️
そうさせているものこそが闇=サタンの力、悪意ある誘導です。
主に護られている、という安心感と幸福感、そして希望。
それこそが主が人間に与えられたもの、神様がお創りになった自然な姿です。
人間ひとりひとりに、神様は肉体や心、とともに
霊
を与えてくださいました。人間の肉体も心も移り変わるもの、
何ひとつ不変ではありません。でも、霊は普遍であり不変、です。
あなたをあなたに、私を私に、私たちを私たち、
たらしめている命こそが「霊」。
霊は磨かれ、成長してゆくことも、年月を経て清められてゆくことも、
若々しくなってゆくことも可能です。
(所謂「ステージが上がる」「フェイズが変わる」のですネ(笑)!)
何故って心から信じ、祈ることによって私たちは
神様、その方に宿る
霊
を受け取ることが出来るから。恵みの雨のように、光のシャワーのように
全身に降り注いでいただくことが出来るから‼️。。。
そのことを
「聖霊を受ける」
と聖書は教えています。
(父と子と聖霊の御名によって、という有名な祈りの言葉は、
父=イエス様をこの世に送られた御父のヤハウェ様、天地創造の、全知全能の神様。
子=そのひとり子であられる主イエス・キリスト(しかし。。。
この方ほど全世界に知られ崇められ崇拝され、
同時に誤解され利用されてきた方はほかに居ない。。。といつも思います。
。。。って私見でした、スミマセン‼︎)。
聖霊=そのおふたりの神様に宿る霊。
その三位一体の神様の御名によって、っていう意味なのです!)。
ちょっと想像してみていただけますか?
神様その方の霊、を受け取る、降り注がれる。。。
何故そんなことを、神様が人間にしてくれるの❓
神様という存在が、こんなに小さい自分を心に留めてくれるものなの?
そんなことって本当にあるの??
。。。それが、あるのです。
(私は日々そのことを実感して、胸がいっぱいになってしまうのです!)
神様は人間を、御自分の姿かたちに似せて心を込めて創られ、
子供のように、娘のように、花嫁のように愛されているから。
その愛を一度でも感じたら、神様が私たちに惜しみなく聖霊を与えてくださる意味が、
理由がきっとわかると思うのです。
私たちは聖霊を受けて神様のようになることだって出来ます。
勿論何処かの教祖さまのように神様に
「なる」んじゃありません(笑)。
神様「のように」なることが出来るのです。
祈ることは私たちの自然な、本来あるべき姿に戻ることを強力に助け、
神様の光に同調させてくれるもの。私たち人間に神様の霊(エネルギー/波長/周波
数。。。簡単に言ったらそのすべてです❗️)=聖霊を
惜しみなく与え、降り注いでくれるもの。
神様のような愛と光の人になるように。
神様のような勇気と叡智を与えられた人間が希望にあふれ、
ほかの誰でも無い、自分だけの光を輝かせて生きてゆけるように。
だから“祈る”ってネ、
神様と繋がるためのWi-fiをオンにする、みたいなものなんですヨ❤️。

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