新しい曲が出来たんです。
新しい曲が出来たんです、
凄く良い感じなんです!
やっぱりラブソングを書くっていうのは、
宗教的感情と紙一重なんだな、って思います。
自分の場合は特にそう。ー
クリスチャニティは三位一体の神、
と自分の関係なのでふたり、っていう概念では
無いんですけど、神の御前に居る、のだったらふたり、でも
あり得るというか、前提は自分がいつも神に護られていること、
愛されていること、なんですネ。
それ無しにただ「ふたり」っていうのは
ちょっと今の自分には考えにくい。出口やドアが何処にも無くなっちゃう。
いつもお祈りのなかで主に訊くんです、
私はただしい道を歩んでいるでしょうか、
真理の道の上に居るのでしょうか。
私のしていることは御心にかなっているでしょうか。
間違っているときはすぐに解ります。
不安になったら、恐れを感じたらそれは正しい考えじゃない。
主とともに在るときは恐れを感じない、平和です。
どうも人間って不安になりたい、不安を選びたいってとこがあるみたい。
ある程度不安になってたほうが“安心”、という非常に(笑)屈折した心が。
多分私たちの社会っていうか世界っていうか、
幼い頃から皆不安、ってものとdealし過ぎ、させられ過ぎて
慣れ親しんじゃってるところがあるんでしょう。
慣れ親しんだ場所に、状態に帰りたい、それが“不安”であっても、
新しい/違う場所にゆくより”安心”、っていう
ミョーな心理が働くみたいですネ。逆だと思うんですけど、
ちょっと冷静に考えてみると。。。
でもそんなかりそめの、カッコ付きの”安心“なんか要らないんだよ、
安心は安心、平和は平和であってほかの意味は無い。
主の仰ってることはそれだって、祈ってて感じます。
主とともに居る、御心にIn Tuneしているときは不安が消える、
そのとき感じることがただしい道、ただしい答えなんです。
これって結構訓練が要ります。視えてないものを信じるとか、
あるエネルギーにIn Tuneするってことは、勇気が要るんです。
覚悟も。自分、ってものを信じ過ぎていると、委ねることが出来ない。
委ねるって素敵なことです。”自分を信じる“より、
“信じて委ねる”ほうがずっと難しいです。
これ、人生55年で得た教訓?です。
私たちがいつも不安とdealし過ぎているように、
自分、っていうものとdealし過ぎ/させられ過ぎると“委ねる”ことが難しい。
何処に連れていかれるかわからないからですネ。信じるより
疑ったほうが安心だと、そういう思考と共に生きて来ちゃったから。
でも、それがもし愛の波長でありエネルギーだったなら、
それを信じて、祈って、委ねるなら、
まさにそれが主の望んでいる状態であり、
私たちに本当に教えたいこと、導こうとされている場所なんです。
新しい曲の歌詞に、そういうことを書きたかったんですネ。
出来ない?わからない?迷信みたい?
うん、わかる、最初はそう、大事だと思うことほどそうです。
だからIn Tuneするために祈る。
楽器の調律みたいに。神の楽器として、美しい音で鳴るように。。。
そう、その状態が愛、だよって主が教えてくださいます。
心の底から祈っていれば、絶対に答えは来るんです。
(ちなみに新曲のタイトルは
”The most significant dellusion“
です❣️)
The most significant dellusion
ほかの誰にも 言わないこと、
話したいんだ。
いちばん大事な妄想。。。
あなたの指が触れたら、
生きられること
識ったんだ。
P・S
この記事、書かされたみたいに書き直し無しで書いちゃった、自動書記か(笑)❓
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