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2020年4月 3日 (金)

輝きの記憶。

フレディが亡くなった時何日か涙が止まらなかった。長さんが亡くなったときも淋しくて泣いた。

小学生の頃、志村けんさんのテレビでのファースト・アピアランスを目撃した。

突然上半身裸で登場してもの凄いインパクトだった。

たしかに“フェミニズム的に”批判される芸風もあったと思う。

でもこの方を見ていて嫌な気分になった、という記憶が無い。

いつも何処かにノーブルな品があった。だから皆あんなふうに、

心から大らかに笑えたのだと思う。

有名人の死で一番悲しかったのはやはりフレディと、いかりや長介さんだったが、

やっさん(横山やすしさん)の時もショックだった。

ティーンエイジャーの頃、リアルタイムのお笑いのスターは“ひょうきん族”に出ていたような人たちで、

やす・きよというのはずいぶん世代が上だったけれど、

当時(1983年)やっさんの放っていた正体不明の輝き、というのは非常によく憶えている。

脳裏に焼きついている、という表現がおおげさで無くぴったり来るほどに。

その輝きを記憶しているということが、皆が共有しているということが、

「スター」ということでありスターという存在なのだろう。

私はやっさんのことを憶い出すとき、何故かマリリン・モンローを同時に憶い出す。

スターというのは現し身の存在ではなく、その輝きであり「輝きの記憶」なのだということを

教えてくれるからでは無いか、と思う。

志村けんさんの芸風を“性的搾取”と批判した人を、私は必ずしも責めることが出来ない。

同意はしない、でも非難もしない。

ただ、不謹慎のように思えることも、子供の教育に悪い、

と言われる(私が小学生の頃、ドリフターズの芸はそう批判されていた)ようなことも、

何故か許せてしまう、無条件に笑顔に”させられてしまう“何かがあった。

私の感じたノーブルさというのは多分とても無垢で、純粋なもの、

それがスター性であり、芸の力、というものであるならば、

そのような芸を身近に観て、感じて育ったことは、

私たちにとって大きな幸福だったのではないか、と思うのだ。

 

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