しょうこのベアフォレスト伝道タイム💕❤️〜”If You Pray,Anything is possible❗️“〜
”If You Pray...Anything Is Possible.“
“あなたが祈れば、すべては可能”。
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”If You Pray...Anything Is Possible.“
“あなたが祈れば、すべては可能”。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
“Rejoice always,pray without ceasing,in everything give thanks.”
(テサロニケの信徒への手紙一第5章16節〜17節/THESSALONIANS;5:16〜17)
クリスマスに相応しい聖句を贈ります✨💒✨💒✨💒❤️❣️
聖書にはイエス様のお誕生日についての記述はありません。それがいつか、も正確にはわかっていません。
この聖句はとっても有名ですが、
「エ〜そんなの無理だから😂❗️」
と思われる方も多いのでは。。。
だってヤなことがあったら喜んでなんていられないし、感謝なんてする気になれないし、
そもそも祈る、って逃避的な弱〜い感じがするし。。。
聖書の聖句は美しく響きが良いのでいろいろな場所で引用されたりしますが、
その奥にある心、を理解しないと解釈が難しく、寧ろ誤解されることも多いのかと思います。
。。。ナ〜ンテ新米クリスチャンの私が言うのもヒジョ〜。。。に気恥ずかしいのですが、
聖書を読んで感じた私なりの実感、をお伝えしたいと思います!
🍓Q.どうしていつも喜んでいられるのか?と言うと、
A.神様がそばに居てくださるってことが解っているからです。it’s understood,なのです。
🍓Q.どうして絶えず祈れるのか?と言うと、
A.祈ったら必ず❗️答えが来ることを識っているからです。
🍓Q.何故どんなことにも感謝出来るのか?って言うと、
A.悪いように“一見”見えることが、実は唯一にして最善の道だった。。。🤩
そのように導いてくださっていた、ってことに、後から気づくからです。
気づくから感謝する。感謝するから喜ぶ。
喜ぶからもっと祈ろう、
神様に話しかけよう、つらいことを打ち明けたり、
嬉しいこと、気づいたことを御報告しよう❣️と想う。
また祈る。喜ぶ。感謝する。。。
どうもそういう循環が起きているみたいなのです。
ーどうか今日と明日(出来るならいつも!)、
そんなふうに祈ってみてください。わからないこと、方法が思いつかないことを、
神様に訊いてみてください。
「マジかよ、ホントかよ🥴。。。」という半信半疑な気持ちじゃなく、
切実な気持ちで。答えが来ると信じて。
静かな場所で、落ち着いた心で。
今年は神様が、いつにも増して近くで私たちを見守ってくださっているそうです❣️❣️
今祈らないと一生の大損‼️マジです、マジ❣️
ーー生活のなかにぜひ、お祈りの時間を取ってみてください。
きっと何かを受け取るはずなので、それを実行してみてください。
時間がかかることもあるし、アッ!という間に受け取ることもあります。
神様の深い愛を、優しさを、温かさを感じてみてください。
。。。神様って、
同時にめっちゃ恐ろしく、厳格で、怖い方でもあります。でも、
というか、だからこそ、
信じて祈る者にはどこまでも愛情深く、巨きく、優しく暖かい方だってことを、
あなたの心で、身体で、Spiritで、その全部で実感してみてください❤️。
✨I WISH YOU A VERY MERRY CHRISTMAS.✨🌲
こんにちは、鈴木祥子です。
昨日に引き続きやってまいりました
しょうこのベアフォレスト伝道タイム❤️💒〜番外編〜の時間のタイム、
今日は今までの人生で見聞きした
「クリスチャンの伝道」と、
自分が実際にクリスチャンとなって実感した
「伝道」の違いについてお伝えしたいと思います💒!
まず。。。私が最初に思い出す「伝道」は、
あやしい風態の外人の方が駅前に立って、道ゆく人に聖書片手に
“アナタハ、カミヲ、スインジマスカ〜⁉️”
。。。と次々に声をかける、というものです。
“アナタハイマ、スイアワセデスカ〜⁉️”
。。。という別パターンもあって「#7Suffle」という曲のリリックに登場させたりしました。
あれは。。。
どう見ても異様でした🤩‼️
真面目にやってた方、本当にすみません。
もうひとつは大晦日の鶴岡八幡宮。1986〜7年くらいでしょうか。
初詣客でごった返す参道に、白い街宣車が横付けされました。
「この終わりの時に、私達に神の裁きがくだされようとしています。
罪を悔い改めましょう。
イエス・キリストの救いに今!目覚める時です。」
割れまくったスピーカーで轟音のお説教が始まり、
轟音なのにヤケに淡々としたその声が、
「終わり」「裁き」「悔い改め」
というワードとともに非常〜。。。に恐かったのを覚えています。😂。
そのうち初詣に浮かれた人の群れから、誰からともなく
「ザンゲ、ザンゲ❗️」
のシュプレヒコールが沸き起こりました。
どこからか笑い(失笑?)が起こりやがて爆笑の渦となり、
「ザンゲ‼️懺悔⛪️‼️」
の大合唱。
。。。もう、皆の心が(ライブのように)完全にひとつになっていましたネ。
(このスタイルの伝道は効果的。。。なのかどうかわかりませんが、
ただ大勢の集まるところで福音を述べ伝える、ということ、
クリスチャニティの甘くない、
厳格な一面をアピールするのには間違いでは無いのかも🤔⁉️とも思えます。
アピールし過ぎ、ってウワサもあるけど。。。
なので後述する“キリスト教に故意にダメージを与える”ことには当てはまらないかも、
とは思います。)
もうひとつは1976年のホラー映画、ブライアン・デ・パルマ監督の傑作
『キャリー』。
あの映画に、パイパー・ローリー演じるところの
狂信的なクリスチャンのお母ちゃん
が登場するのを覚えてらっしゃいますでしょうか?!
昼も夜も真っ黒な、スモックみたいな服に、存在感を放ちまくる不機嫌フェイス。
聖書片手に近隣の家を巡って布教して皆に迷惑がられてるけど、
本人全く意に介していない。。。どころか、去り際には献金を要求して来て
ますます嫌がられる始末。決め台詞は
「イエスの教えに目覚めなさい⛪️‼️」
(微妙にキレイなところがリアルでまた恐い。↓)
娘のキャリーに初潮が来たら
「女になった。。。」
と言って激昂し、おもむろに大判の聖書を持って来て殴りつけ(だから聖書をそんなふうに使わないで〜泣!)
「罪という名のカラスである!言え!言いなさい!
罪という名のカラスである!!」
叫びつつ横っ面をバンバンはたきまくる。。。
(今画像を見たらこれ↑、聖書じゃ無いですネ!聖書にはこんな項目、章はありません。
何か聖書の解説書、当時のスピリチュアル本みたいなものでしょう。
狂信的な方は得てして聖書そのものを大して読んでおらず、
そのくせ聖書はニセモノ!とか言い出したりする。1度でも通読してから言って❤️って思うのですが、
さすがデ・パルマ監督、芸が細かい。。。って感心してる場合か⁉️)
いやもう怖いのなんのって😂💀、
あの「キャリーの母ちゃん」の狂信的クリスチャンぶりはその後も永きにわたり
私の
「キリスト教って何かめっちゃ恐い!絶対に関わり合いになるのヤメよう。。。」
というイメージを形作っていたのですから、映画やテレビといったメディアが与えるイメージ、
もっと言うと洗脳、というものがいかに強く効果的であるか、が判然とするというものです。
しかし‼️
私が“今”感じるクリスチャニティも、聖書も、伝道も、
そんなイメージとまったく違う、別物なのです。
これは物凄い発見でした。
それは上記のような
おどろおどろしい👿
暗い👻
恐い💀
ものではなく、
明るく💒
パワフルで✨
純粋な🌈
世界でした。
神様を愛し人を愛し、自分を愛する、あの分厚い聖書の教えは、言ってみればこれだけなのです。
これだけのことを実践するための心得、行い、どうしたらそのような人間になり、
不安・心配、不平・不満の無い、喜びと希望のある人生を生きてゆくことが出来るのか。。。
その指南書のような面さえあります。
前者の「暗い・恐い・おどろおどろしい」の三重苦イメージ⁉️
を広めることでダメージを受ける人って誰でしょう?
クリスチャン?バチカン?ローマ法王?
。。。いいえ、言うまでも無く、
イエス・キリストその人です。
後者の「明るく・純粋・パワフル」な良いイメージが拡められ、伝えられることで喜ぶ人は?
そうなのです、
イエス様を伝道の為にこの世に送った御父・ヤハウェ様その方です。
。。。ここで素朴な疑問です。
🍓何故そんなに手の込んだことをしてまで、誤ったイメージを流布してダメージを与えたいのか?
🍓それだけパワフルなものだということ、これが真理だということを解っているからではないのか?
🍓。。。誰が?
ーーこの世というのは教えられて来たものよりずっとずっと霊的な世界であり、
神、というものは、神様、は単なる概念では無く想像でもお伽話でも神話でも無くリアルな、
現実の存在なんだ、
ということが、そのような思考の諸段階を経てじょじょに確信されて来ました。
。。。あ、その先まで行こうと思ったら長くなっちゃった。
この続きはまた
ベアフォレスト伝道タイム❤️💒
の時間のタイムにてお伝えしたいと思いマ〜ス!
それでは淀川長治先生の真似で、
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ❣️SEE U NEXT TIME‼️
こんにちは、鈴木祥子です。
ベアフォレスト伝道タイム❤️💒の時間のタイムがやってまいりました。
「ローマの信徒への手紙」第12章9節/Romans12:9
「愛に偽りがあってはなりません。」/”Let love be without hypocrisy.”
という言葉のことを考えていたら何故か
「ダメな自分も愛したい」
「そのままでいいんだよ、人間だもの」
って言葉が浮かんで来ました。
。。。それってまさに
「偽りの愛」、“Love with hypocrisy”
だナ、と思ったのです。
だって
「自分を愛する」
ってことと
「ダメな自分も愛する」
ってのは全然違うこと、一緒にしてはならない別のことです。
てにをは、も違えば意味も全然ちがう。
ーーお恥ずかしい限りですが、私は本当に愚かしい人間だったので、
。。。と過去形にするのがちょと申し訳無いところが今でもあるんだけれど、
たったひとつだけ
。。。格段に進歩したんじゃ無いか?
って点があってそれは
ダメな自分、っていうのがどれくらいダメで、
そんなものを「愛する」なんて言葉の遊びがどれだけ偽善的なのか
が解るようになった、ってことなのです。
ダメな自分では「ダメ」であり、
「そのままで」全然良くないのです。
じゃあどこをどう変えてゆけばいいのか?を真面目に具体的に考えさせない為に、
「ダメな自分を愛したい」
「人間は完全じゃない、そのままがいいんだよ」
なんて言葉を流布させて偽りの安心感を与えて、思考停止させようとしている。。。
うーん、まさにhypocrisy‼️=偽善。
そんなwith hypocrisyなLoveにコロッ、と騙されちゃ駄目なのですネ。
RealでPureなLoveというのは神様の愛、
時に本当に厳しく自分を変えること、鍛えることを求められるけれど、
それはダメな自分から愛せる自分に、
そのままでいい、まあ仕様が無い、人間だから。。。と思っちゃってる自分から
もっともっと個性を輝かせて生きることの出来る自分に、
とことん努力して練磨しろ❗️ってことなんですネ。
しかしそれはどうしても、特にこの日本では
「ポジティブシンキング」や「スピリチュアル」と混同され、一緒にされてしまいがち。
神様の世界では厳しさが優しさであり、恐さが暖かさであり、
その人の為にならないヌルさ、甘え、依存を許してくれません。そのかわり、
唯一にして最善の道、を教えてくださいます。
それも1日1〜2時間とか、週イチ、月イチのカルチャースクールみたいなレベルじゃアありません。
期限無し、相応しい自分になれるまで。その時が来るまで。
。。。簡単なことでは無いですが、神様がその都度導いてくれるから大丈夫なのです。
ブレスレットとか関連グッズとか関連本とか(壺とか。。。笑)
一切必要ありません。
上に行くごとに高価になる(らしい)セミナーやクラス、なんてのも一切ありません。
大事なのは「聖書と、お祈りと、賛美と、伝道」。
読んで、
祈って、
歌って、
伝えること。
それはクリスチャン用語で
「信仰の4本の柱」
って言うそうなのですが、これら4つのことは総て
「言葉」と
「音」
に通じているということ、お気づきになりましたでしょうか⁉️
そうなのです。。。これが私がクリスチャニティに魅きつけられた大きな、大きな理由です。
私は今まで曲を書いて歌うことで、まさに音、と言葉によって生きてきて、生かされてきました。
それが自分のもの、なんかじゃ無く神様のものであり、
神様が与えてくださったものだった。。。と気づいたときに、
何かこう大きな転換、自分にとっての
パラダイム・シフト
が起きてしまったのでした。
言葉のもつ力、の強さや正確さに気づくと、
神様がそこに強力に宿って導いてくださっている。。。
ってことを実感するようになります。
「悪い言葉は言霊が悪いから使うな、
良い言葉は言霊がいいからどんどん使おう、
言ってるうちに思考が変わる、現実が変わる」
という考えかた、それはある地点まで有効です。
「言葉は神と共にあった。神は言葉であった。」
「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」
(ヨハネによる福音書第1章1節・4節/John1:1/4)
。。。って聖書に書いてあることを、
わかりやすく簡易な言い方にしているだけです。
ただ、私がまさに!そうだったように、
それが全て神様から来ている。。。ってことを私たちは教わらない/教えない/識らないので、
“言霊”だけに注意していても「自分を変える」、ってところまでは絶対に行き着かないでしょう。
“Let love be without hypocrisy.” 「愛には偽りがあってはなりません。」
それは人を愛するためだけじゃなく、
自分をもっと愛するための御言葉でもあるんだなア。。。と、
あらためてその言葉の力、に感じ入ってしまう私なのでした。
じゃあ「自分を愛する」って具体的にはどういうこと?どうしたら「自分をもっと愛せる」の?
次回は聖書に照らしてそれをお伝えしたいと思いマ〜ス!
しょうこのベアフォレスト伝道タイム❤️💒、本日はこれでお別れです!
また次回お逢いいたしましょう‼️See U next time‼️
昨日は来年の打ち合わせでした。まずはアレとアレを4月までの4か月間で実現させたい!。。。
あまりにも「スケジューリング」ということが出来ないので我ながらヘキエキとして、
5歳の子でも分かるように1年を3つに区切って、
最初の4か月、春〜夏の4か月、秋〜冬の4か月、
にやることを決めて、微調整を繰り返しながら進めていこう、という目算です。
そうすれば4か月が終了した時の達成度、充実度で次の4か月をどのように進めてゆくか、が明確になってゆきそうですものネ!
これはいい、わかりやすい、あたしでも解るしモチベーションも高まる❤️❗️
と(勝手に)もりあがっております(ひょっとして世間の常識。。。⁉️)。
詳しくはあらためてお知らせさせていただきますネ❣️
苺のシャンパン、キレイな赤でした🍓。
鈴木祥子&BEARFOREST RECORDS presents
「Syoko.with Clavier vol.2〜Sings『あたらしい愛の詩』inクリスマス」
於:新宿Petit MOA
set list
1.主よ、人の望みの喜びよ(p.f)
(Photo by Eri🌲)
「あたらしい愛の詩」は1999年、平成10年?違う?
私のデビューから30周年までは平成、っていう時代にぴったりと重なります。
サスガに30年経つと忘れていることも多く。。。いろいろあったような気もするけど、
なんかもう時効か‼️みたいな(笑)気がします。
何だかんだと言っても80年代もしくは90年代の考えかた、っていうものの上に居た気がする30年間、
それももう皆時効だろう!と思います。
古い考えかたに照らしたり比較したりしていた時代、じたいがもう終わりだろう、と思うのです。
少しの良いものだけを残し、後はすべて置いて行こう、という、
今何か、非常に解放感のようなものがあって。。。
そのような時、ちょうど20年前の12月に出たこのアルバムの曲を集中して聴いていただけるのも、
何かの巡り合わせ、という気がします。
「この世のなかに大切なものは、空に風の扉が開く音を聞いたことのある人と同じ数ね。」
って1990年の「風の扉」という曲のフレーズですが、ナニを言いたいかというと大切なものは少ないヨ、
ってことなのです。ほぼ無い(笑!)くらいのものだけれど、
在ったらそれを大切にして、後は全部捨ててゆけばいい。そのほうが身が軽い。
自分の若い頃書いた言葉に教えられているのだから世話は無い(笑)ですが、
いまそんな気持ちなのです。ちょと前にも書いたのですが、来年はこのアルバムの30周年なので、
記念✨的な何かをやりたいナー❣️
まずは20周年のBrand-new Love songsを心から!歌いたいと思います🎶🎹。
2006年、平成中頃のスズキ。♪京都〜に居たときゃ〜♪、41だった。今思うと若い!
バッグ(袋物)好き❤️、を実感しております。あたらしいバッグってヤル気が出るんですよネ(と、言い訳)。
14日の練習も佳境です。これはきっと。。。良いセットリストです‼️
『あたらしい愛の詩』の頃の自分は幼いしわがままだナー、とやってて思いました。
歌詞に如実に現れているので、歌ってるとちょっとだけ落ち込みます(涙&笑)。しかし良いところはやはり、「何か」を求めて歌ってるというところかナー。
私の好きなヴォーカリスト、ジャック・ブレルもスティーヴ・ペリーも、江戸アケミもレッチリのアンソニーも、私の勝手な感じですが何かを求めて、
何かを探して、何か遠いものに向かって歌ってる。。。という感じがして好きなのです。
今日の夕食はがっつり肉🥩でした❗️サーこれから通し練習だ。
夜に楽器が弾けるってホン。。っとに助かります。14日、どうか御期待くださいませ😍❣️
鈴木祥子&BEARFOREST RECORDS presents
『Syoko.with Clavier vol.2/
Sings『あたらしい愛の詩』in クリスマス』
日時:2019年12月14日(Sat.)
於:新宿 Petit MOA
東京都新宿区歌舞伎町2-19-19-B1)
開場;16:30
開演;17:30
入場料 ¥6800(全席指定)
🌲御予約は満席となりました。たくさんの御申し込み、誠に有り難うございました❗️🌲
2017年7月にアルテリオ小劇場で行われた鈴木祥子=Syoko.と3台の鍵盤楽器=Clavier
でお送りするライブ「Syoko.with Clavier」の第2回目を、このクリスマス・シーズンに、素晴らしいシャンソン歌手であるソワレさんがオーナー・プロデューサーをつとめる新宿・Petit MOAにて行うこととなりました。
クリスマスといえば讃美歌、讃美歌といえばオルガン。。。そうです、今回は
Hammond OrganとPiano、そして鈴木と縁の深いWurlitzerを使って、
1999年12月に発表されたアルバム『あたらしい愛の詩』の世界を2019年に蘇らせたい!。。。と思いました。来年録音予定の洋楽&邦楽、2枚のカバーアルバムからも、
そのワクワクする予告編?をお届けいたします。
アルバムのタイトル曲における最後のフレーズ、
「どうか守ってください/力を与えてください。/孤独に負けないように。/自由に負けないように。」のリリックは、まるで20年後にクリスチャンとなる自分自身を予感していたかのよう。
聖夜まじかの東京で、20年後のBrand New Love Songsを、聖と俗の入り乱れる新宿から、3台のClavierとともに、神に、あなたに捧げます。
鈴木祥子。
お問い合わせはこちらまで、お気軽にお寄せくださいませ。
eachbearsmusicservice72821@gmail.com
イーチベアーズ・ミュージックサーヴィス
松本ちえこさんの1976年のヒット曲『ぼく』、2018年にライブでカバーしたこともあるくらい大好きな曲なのです。当時小5くらいだった私のココロに非常なインパクトを残したのはこの曲の、一体何だったのでしょうか??
https://m.youtube.com/watch?v=AQv648UwUyohttps://m.youtube.com/watch?v=AQv648UwUyo
松本ちえこという人は大変印象的でした。何が?と言われると困るのですが、
私の中の乙女心的な(←当時。)憧れにクリーンヒットする何ものか、が、何故か当時も今も在るのです。
うーん、漠然とし過ぎてるな、何だろう?
乙女チック、というワードは1970年代に岩館真理子さんや陸奥A子さんの少女漫画が
「オトメチック・ラブコメディ」と言われていたことに由来して生まれたもの、と思います。
リボンのついた麦わら帽子と白いワンピース、アンティークの家具、レースのカーテン。。。
小坂明子さんの名曲『あなた』に登場する理想の家も広い意味で乙女チック、と言えると思います。
女の子のロマンチックな憧れ、夢、ステキなBF(←今あるのか?この言葉)とアイビールック(懐)で週末にデートする、
みたいな世界、もちろん彼とペアルックの、ギンガムチェックのボタンダウンのシャツ、
(その場合「私」は赤のギンガム、BFは青のギンガムと相場が決まっている)。
行く場所は主に公園、図書館、海、遊園地。チューリップ・ハットにジーンズ、スヌーピーのランチボックス。。。
あ〜素敵❤️‼️これってある世代にしかわからない、“時代の空気”込みの独特の共有感なのかもしれません。
。。。しかし松本ちえこさんはそういう世界に登場する女の子としては、
一歩間違うとコケティッシュの方に寄り過ぎる、ちょと危うい感じがありました。
それを
「ひとつ選んでその理由を述べよ。」(恋人試験)
「議論なんかもたまに戦わせるんだ。」(ぼく)
なんていうリリックで無理矢理優等生路線に寄せてバランスを取る、その絶妙のキャラクター設定がまた良かったのです。なんと言うか、
学生運動とか全共闘世代の後に生まれてきた、ちょっと生意気でちょっと可愛い女の子、
的な。。。
全共闘世代が運動に挫折した後に描いた、ある種の理想の女の子=お嫁さん像、
と言うのでしょうか。
高野悦子さんの『二十歳の原点』の、もっとノンポリで庶民的で乙女チックな進化形、
(って最早解ってもらえることは期待せず主観のみで書いております💦)と言うのでしょうか。つまり
『ぼく』のリリックに登場する
「いま大切にしてる詩集」
は“乙女チック”なリルケとかハイネとか外国のものであって、
間違っても(高野悦子みたいに)石原吉郎とか金子光晴とかでは無い、
そこまで行かないところが可愛い、という。。。
裏を返せばそこまで行く女は
可愛くない
わけで、自分のことを「ぼく」、とジェンダーレスな一人称を用いながら同時に“乙女チック”を発散させる、時代が求めたそんな“可愛さ”を離れワザ的に体現していた、という点では本当に大きなインパクトを残した人だと思うのです。
「学生運動」
と
「乙女チック」。
多分私の中にはこのふたつの相反するように見えるもの、に対する何らかの親和性があるのでしょう。だから松本ちえこさんの逝去に、いま、非常に感じるものがあるのだと思います。。。。って事は私、そういう女になりたかったのか?いや、そういうこととも違うんだよ。。。と、この問題はまだまだ答えが出ません。神様の国へ旅立たれた松本ちえこさんの魂が、いつも主とともに在ります様に、心からお祈りいたします。
1976年発売、スヌーピーのランチボックス(もちろん持っておりました)。まさに『ぼく』の歌世界に相応しい乙女チック・アイテム。主人公は永遠に“ブーツカットのジーンズ履いて、原宿や鎌倉なんか”に遊びに行っている気がします。
寒くなりましたネ!ーそりゃそうですね12月ですものネ!
お風邪など召してらっしゃいませんか?どうか冷えと、あと乾燥にはお気をおつけくださいませね。
ー12月にはバッハの音楽が似合います。毎日弾いているといろいろなことに気づかされます。
少しまえに『主よ、人の望みの喜びよ』の編曲者であるMyra Hessの演奏をこちらに
載せたのですが、やっぱ上手い人の演奏って凄い、当たり前ですがブレが無いと言うのか、
明らかなヴィジョンを持って(以って)弾いているので聴くたびにあ、そうか!という発見を
与えてくれる気がします。
http://eachandeveryday.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-d13392.html
この曲はコラールの旋律を中心として出来ていますが、きらびやかな装飾音に埋もれることなくその旋律を美しく聴かせる、
響かせることだけに命を懸けてる、ってことがわかる演奏です。
何故かというと、その旋律こそが
神様の声、を表現しているからなんですネ。
キリストの受難と復活、という、
教会音楽の最大のテーマ、
そして神様に祈る人間と、人間を救う神様とが疎通し愛を成すこと、
それがコラールの旋律に込められている。。。
神様の世界に触れると音楽の聴こえかたが変わります。
より深く、より多くを感じて音楽に向かいたい、という気持ちになって来ます。
そういう気持ちに12月の空気がシンクロし、この寒さも何か暖かく感じるような。。。
アレっ?自分の曲でそういうのあった!
あ、
「Little Love」!
あの曲ってそういう意味だったのか!。。。
と、29年後に気がつきました。
「凍えた夜だってあなただけ想えば、心のなか灯ったランプに手をかざせるの。」
「あなた」=神様だとすれば、この曲も一種の賛美だったんだナ。。。と、
自分の音楽とクリスチャニティ、の無意識的な親和性に(今さらですが)気づかされる想いです。
来年はこの曲が入っているアルバム
『Long long way home』の30周年、『風の扉』も30周年!うーん、何か面白くなりそうな。。。
じゃー11年ぶりにアルバム出しちゃうか⁉️
。。。ナンテ気にも(ちょっと、いやだいぶ)なりつつありますので、どうか御期待くださいませネ❤️。
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