追想の「水の冠」。
平成元年にリリースされた『水の冠』というアルバム、
それから30年が経ち平成が終わろうとしている。。。うーん、
何だか感無量ですネ。何故かというとやはり、
このアルバムのソングライトは今も割と古びていない。。。
って自画自賛してますが、良い悪い、よりも今に至る職業訓練というか、
仕事の基本みたいなものを学んだアルバムだと思うからなのです。
それを1曲に仕上げるのは忍耐以外の何物でも無く、
アルバムの発売日が既に決まっている状況の中で、
すいません書けませんでした、ってのは許されない。。。
ということを若いなりにシリアスに受け止めて
とにかく必死で書き上げた、ということが結果的に、
とりあえずあきらめないで取り組む!みたいなメンタルを
(意図せずして)作ってくれた、というのでしょうか。
そんな訓練が出来たことは幸せだったと思うのです、
当時はまっったくそう思って無かったですが(笑)。。。
大資本の会社、大手のレーベルからデビューしたということは
非常に恵まれている面と、難しい面があります。
何故そんな職業訓練が出来たかといえば発売日が決定しているからで、
それに向かって人が、お金が動いている。当時そんな自覚はありませんでしたが、
自分と自分の音楽は商品であって、個人の好き嫌い、出来る出来ないという範疇を
超えてしまう。それに適応出来るかどうかは音楽とはまた別の、
承認欲求とか自我とかアイデンティティーとか、大きなテーマに関わってくる問題だからです。
しかし当時はレコード会社にも、人にも街にも非常な活気と自由さがあり、
面白いもの、新しいもの、良いものを作るんだという意識が
浸透していたので、触発されたり刺激されたりすることも凄く多かったです。
まだアナログの卓、アナログ・テープで録音をしていた時代、
1988年、1989年はアナログ24チャンネルの、現役最後の時代でもありました。
1990年にはデジタル48チャンネルに移行してゆく、そのギリギリの過渡期に
最高のミュージシャン、最良のスタジオで録音されたサウンドと歌、
これはもう、ある意味仕方の無いこと、そして淋しいことでもあるのですが
ニ度とは再現現出来ない、1989年という時代が残してくれた音、なのです。
図らずも89年当時、こんなことを書いていますーー
「歌も音楽も、誰かを愛する気持ちも、移り変わってゆくいろいろな想いも、
長い時間の流れからすればほんの一瞬の水の冠のようなものだけれど、
それを消してしまう前に、忘れてしまう前に形にのこしておきたい。
誰かに伝えて、何かを感じて欲しい。それが、わたしにとって音楽を
作るという事なんだ、と、このアルバムを作って改めて、と言うより
初めて言葉にしてわかりました。」
今とあんまし変わってない、というか同じようなことを言っておりますネ(笑)。
この音はもう2度とない。。。という限り無い淋しさとともに、
ん〜でも仕様が無い、時代が変わっちゃったんだから、
この頃とは違ったかたちで前に進むのだ!と、
ミョーに前向きな気持ちを同時に感じる脳天気さはやはり、
バブル世代ならでは。。。なのでしょうか(苦笑)。
昨年のようなシンポジウム&ライブを、Twitter上で、インターネット上で
やったらどうかナ?!などと今、考えております。
その時にはまたこのアルバムについて、時代について、
共に語っていただけたら最高にシアワセです♪!
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