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2019年4月

2019年4月23日 (火)

追想の「水の冠」。

 

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平成元年にリリースされた『水の冠』というアルバム、

それから30年が経ち平成が終わろうとしている。。。うーん、

何だか感無量ですネ。何故かというとやはり、

このアルバムのソングライトは今も割と古びていない。。。

って自画自賛してますが、良い悪い、よりも今に至る職業訓練というか、

仕事の基本みたいなものを学んだアルバムだと思うからなのです。

F13deeb6f770437d99630d7614eb00ee つまり、曲の発想、曲想というのは比較的簡単にやって来ても、

それを1曲に仕上げるのは忍耐以外の何物でも無く、

アルバムの発売日が既に決まっている状況の中で、

すいません書けませんでした、ってのは許されない。。。

ということを若いなりにシリアスに受け止めて

とにかく必死で書き上げた、ということが結果的に、

とりあえずあきらめないで取り組む!みたいなメンタルを

(意図せずして)作ってくれた、というのでしょうか。

そんな訓練が出来たことは幸せだったと思うのです、

当時はまっったくそう思って無かったですが(笑)。。。

 

大資本の会社、大手のレーベルからデビューしたということは

非常に恵まれている面と、難しい面があります。

何故そんな職業訓練が出来たかといえば発売日が決定しているからで、

それに向かって人が、お金が動いている。当時そんな自覚はありませんでしたが、

自分と自分の音楽は商品であって、個人の好き嫌い、出来る出来ないという範疇を

超えてしまう。それに適応出来るかどうかは音楽とはまた別の、

承認欲求とか自我とかアイデンティティーとか、大きなテーマに関わってくる問題だからです。



しかし当時はレコード会社にも、人にも街にも非常な活気と自由さがあり、9f5dee4f198343f1a196f2aa2c1df512

面白いもの、新しいもの、良いものを作るんだという意識が

浸透していたので、触発されたり刺激されたりすることも凄く多かったです。

まだアナログの卓、アナログ・テープで録音をしていた時代、

1988年、1989年はアナログ24チャンネルの、現役最後の時代でもありました。

1990年にはデジタル48チャンネルに移行してゆく、そのギリギリの過渡期に

最高のミュージシャン、最良のスタジオで録音されたサウンドと歌、

これはもう、ある意味仕方の無いこと、そして淋しいことでもあるのですが

ニ度とは再現現出来ない、1989年という時代が残してくれた音、なのです。

図らずも89年当時、こんなことを書いていますーー

 


「歌も音楽も、誰かを愛する気持ちも、移り変わってゆくいろいろな想いも、

長い時間の流れからすればほんの一瞬の水の冠のようなものだけれど、

それを消してしまう前に、忘れてしまう前に形にのこしておきたい。

誰かに伝えて、何かを感じて欲しい。それが、わたしにとって音楽を

作るという事なんだ、と、このアルバムを作って改めて、と言うより

初めて言葉にしてわかりました。」


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今とあんまし変わってない、というか同じようなことを言っておりますネ(笑)。

この音はもう2度とない。。。という限り無い淋しさとともに、

ん〜でも仕様が無い、時代が変わっちゃったんだから、

この頃とは違ったかたちで前に進むのだ!と、

ミョーに前向きな気持ちを同時に感じる脳天気さはやはり、

バブル世代ならでは。。。なのでしょうか(苦笑)。

昨年のようなシンポジウム&ライブを、Twitter上で、インターネット上で

やったらどうかナ?!などと今、考えております。

その時にはまたこのアルバムについて、時代について、

共に語っていただけたら最高にシアワセです♪!

 

2019年4月17日 (水)

『港が見える丘』で逢いましょう。

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平野愛子さんのあまりにも有名なこの曲をはじめて知ったのは

大瀧詠一さんがインタビューと、ラジオ番組『日本ポップス伝』で

紹介されていたのがきっかけでした。2010年だったと思います。

儚げでモダンで。。。なんて素敵な曲なんだろうと感動し、

プロデューサー&アレンジャーの山本隆二さんにアレンジと、

ピアノを御願いしてライブで歌ったのですが、

何とも難しくて歌いきれなかった。。。という想い出があります。

いま歌ってみると凄く胸に入ってくるというか、

9年前は所謂「昭和歌謡の名曲!」という認識だったのが、まるで

歌詞の中の女性になってしまったような切なさを感じるから不思議です。

私もちょっとは成長した。。。ということでしょうか(笑)。

 

この曲の音楽的なポイントは(私にとっては)3つあって、

まずオリジナルである平野愛子バージョンのE♭(イーフラット)という調性ですね。

非常に高いのです。最初Cのキーでやってみて、なんか違うナと思い

あらためてオリジナルを聴き直したらE♭でした(高っ)。最高音もE♭なので

音域が広く、それを9年前の私は難しいと感じたのでしょう。

 

これは意図的にそうなっていて、このキーだからこそ地声と裏声を

自在に行ったり来たり出来るのですね。その声の切り替えの面白さ、ユニークさが

まずひとつ。。。

 

そして

♪色あせた桜ただひとつ♪

の色あせ

『た』

の音はB♮(ビーナチュラル)です。

これが私的にはこの曲の最重要ポイント!!

普通に考えたら

色あせ

『た』

の音はB♭(ビーフラット)になるのですが、それをあえて半音上げることで

桜の花びらの散るような儚さ、を醸し出すとともに、

ちょっとジャジーで、オフビートな「外し」の感覚が込められています。

 

私にはそのようにしか聴こえないのですが、いろいろなカバー・バージョンを聴いても

ここは半音上げずに普通に歌われている場合が多い。。。

いやここはBのナチュラルでなきゃ許せません~!(←私見ですが。。。)

 

そしてジャジー、という言葉が出たように、

この曲は4ビートのリズムをもっています。

バラードでは無いのですね。これも普通に考えたら

「バラード然」!としたドラマチックな解釈をしてしまいがちですが、

4ビートのリズムはドラマチックというよりはリズミック、

モダンな軽さと、躍動感を含んでいます。

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平野愛子の歌唱は同じ昭和22年に発売された名曲『星の流れに』の

菊池章子を思わせるところがあり、

直接的にか間接的にか、アメリカのジャズ・シンガーの影響を受けていると思います。

ちょっと蓮っ葉で艶っぽい、清純、純情というのとは違う感覚、

それがなんとも格好良いのですね。いや、格好良いといっては

語弊があります。だってこの2曲のテーマには「戦争」というものが

抗いがたい影を落としている。

 

「流行歌」が時代とともにある以上、戦後わずか2年で歌われた歌だということの意味を考えずにはいられないのです。

バラードでもなく演歌でももちろん無い、日本風であって和風では無い、歌謡曲から逸脱したジャズのフィーリング。。。

矛盾しています。

そこに留意しないと作曲家の意図からズレていってしまう、

非常に微妙な難しさをもった曲であり(正直、誰がどうカバーしても難しいでしょう。歌っておいて

ムセキニンなのですが。。。)

同時に作詞・作曲の東辰三先生の、非凡な洋楽的なセンス、を感じるところでもあるのです。

 

非凡な、洋楽的なセンス。その言葉から浮かんでくるのは。。。

大瀧さんの音楽!ですね。

だからこの曲を愛し、『日本ポップス伝』やインタビューで何度も紹介されたのだと思います。

こんな勝手な解釈をして怒られるんじゃないか。。。と思いながらも、

これからもどんどん勝手に解釈してゆく。。。(笑)でしょう。

『日本ポップス伝』は何よりも音楽を「考える」ことを教えてくれました。

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昭和22年、まだ生まれていません。

戦後ちょうど20年経って生まれたバブル世代&均等法世代&新人類ですが、

昭和生まれ、もいよいよ(昭和当時の)明治生まれと同じポジションに。。。

しかし私はもう元号は使わないつもりです~。

 

 

 

 

2019年4月11日 (木)

西暦3010年のバッハ。

J・S・バッハ×グレン・グールド

『リトル・バッハ・ブック』
『ゴールドベルク変奏曲』(新録)

J・S・Bach×Glenn Gould

『THE LITTLE BACH BOOK』

『GOLDBERG VARIATIONS』(’81)

Gouldcasette

グールドの弾くバッハはまるで「未来から聴こえてくる音」みたいだ。バッハの最晩年の傑作を'81年新たな解釈で再録音した、なんてデータも、そこから既に30年以上が経過しているなんて過去→現在の概念もすべて吹っ飛んでしまう。


これは3010年から聴こえてくる音なんじゃないかと思う。バッハは書き遺したスコアによって、グールドは「録音」という記録の技術によってかるがると時間を超えてしまった。


20世紀に生まれた録音技術が50年をかけて爛熟期を迎え、望みうる最高の達成をみせた1980年代初頭に向かってグールドが50年の人生を生きたこと、バッハがこの世で命を全うしてから200年後にグールドという表現者を得たことは偶然と思えない。100年とか200年なんてチョロい、1000年、2000年の単位でなきゃ彼らが視ていたもの、視ようとしていたものには届かないという気がする。


グールドのバッハ表現が真にすぐれているのはやはりバッハの音楽のもつ

数理性、への理解、それを完全に身体化していたこと、に尽きる気がする。

 

バッハの音楽は神の数式だ、限りがあるからこそ普遍である生命というもの、それが生きるための方舟であり揺籃でもある時間、そして自然の法則を解き明かすための。

 

 

音楽家と音楽家の時間を超えた出逢い。それはすべての人類にとってのギフトになった。


グールドはバッハの数式を解き明かしてみせた、この世での自分の生命と、生きた時間を引き換えにして。そんなふうに聴こえてならない。


最後のアリアでいつも私はとめどなく泣いてしまう。哀しいからではなく音楽=生命がはなつ光、それが「ここに在ること」にただ、打たれるからだ。

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2019年4月 9日 (火)

自力の効能と不思議なこと。

 

 

Img_3505 はあ~、さきほどはtwitterをアップしようとして3回くらい失敗して

力尽きました。。。すみません。。。時差ボケだとは思うけれど

Wienのホテルにipadの電源を置いてくるし、

やはり寄る年波でしょうか(涙&笑)。。。

しかし、独りで3日間とはいえヨーロッパの国を、街をフラフラというか、

自力で行きたいところに行ってものを観たり聴いたりしたら、

なんだかいろいろとどうでも良くなって、といっても

ヤケクソになるほうの“どうでもいい”では無くて、こう何というか、

先日書いた記事の「私は私、という確信」がよりmore&more convincedというか。。。

何かわかりました。積極性を発揮するというのは何も過剰な自己アピールを

することでは無く、ここまでしか無理、と思っていた、

限定しちゃってた“自分“という円周からちょっと外にでてみる、ということなのですね。

 

Img_3378

当然のように若い頃から女の子の一人旅なんて危ない!とか言われていますと

トシをとっても何とな~くまだそんな感覚で居て、

それが当然になっちゃう=身体化しちゃうんですね。風景化、というんでしょうか。

こわいですね、恐ろしいですね。

それを疑わないし特におかしいとも思わなくなる。

旅に限らず、身体化、風景化しちゃってることって多いんじゃないでしょうか。

これは女性に限ったことでは無く、男性もきっと、男なのに、男だから、

と言われつづけて風景化しちゃってることってあると思います。

それを外していくと何か良いことあるのか?っていうと。。。

Wien5_1

 

あります!なんかいろいろとどうでも良くなって、

なんか知らんが楽しい!と思えてきます(笑)。

で、~になったらどうしよう、とか、~になっちゃうんじゃないか、などの、

“よく考えてみると根拠の無い恐怖とか不安感”がまぼろしだったってことに気がつきます。

そんなもの感じる必要無いのですヨ、人間は(って、大きく出たナ!)。

いい年こいてもこういう発見が出来るって、

自分にとっては凄~く幸せなことなのです。

あ、WIENで不思議なことがあって、2日めの朝、アマデさんのお墓に

どうしても行きたい!と思いザンクト・マルクス墓地をインターネットで

調べていたのです。いろいろな訪問記があるのだけど、

アクセスや道順、駅からの距離なんかはさすがに現場に出てみないと

わからない。基本、なんでも現場主義、の私です。

 

Wienerphilharmoniker

 

その日楽友協会ホールでWIENER PHILHARMONIKERのコンサートに行き、

夢見心地でモーツァルト・ハウスにゆき、アマデさんのお葬式があったというシュテファン寺院に行ってさらに歩き廻って。。。

道に迷いました(笑)。そういうときに限ってタクシーもぜんぜん見当たらない。

しばらくさ迷っていましたら目の前にバス亭が、そしてザンクト・マルクス行きのバスがスーッ、と入って来たのです。ザンクト・マルクス行きのバスがあるなんてことも、

それがどこかもわからないのに、あ、これに乗ろう、と思いました。

暗くなりはじめる時間にどこに行くかわからないバスに、よく乗ったナーと思います。

 

Amadesann

 

非常に不安でしたが20分もすると71番線のトラムの駅がみえてきて、あ!ここだ!と

反対方向のトラムに乗り換えて20分、

無事にホテルのあるRennwegに着きました。そしてザンクト・マルクス墓地には、

Rennwegからそのまま71番線に乗ってゆけばいい、ということもわかりました。

不思議なのです、朝にアマデさんのお墓のことを考えていただけで、道やバスのことなんか

何も調べたわけじゃない。あの時待ってたみたいにザンクト・マルクス行きのバスがやって来て、

アマデさんがこっちだよ!これに乗って!と教えてくれたみたいなのでした。

 

 

 

2019年4月 3日 (水)

『It's Monday,A New Day5/20』

こんにちは、ウィーン帰りの(笑)「かつて鈴木祥子といわれた女」です。

呼ばれた、でも云われた、でもかまいません。

『It's Monday,A New Day5/20』菅原弘明さんと郷田祐美子さんと共に

カバーと、それに新曲だけを演奏します。鈴木祥子の曲、も少し

やるかもしれません。次の場所へ、あたらしい場所へ向かいます。

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いま言いたいことは

「命令なんか聞けるか!」

。。。と申しますのも、Wienに住みたいとまで思った理由のひとつに、

「ロ〇コン・ア〇メ絵」

がどこにも無い、

そもそもそういったものが存在しないし

そういう概念自体が無い、

ということがあります。

インターネットに接続すれば、

電車に乗れば、

駅のホームに立てば、

強制的に視界に入ってくる

「ロリコン・アニメ絵」。あ、書いちゃった。

あれが視界に一瞬たりとも存在しない日々のなんという心地よさ!!

強制と命令はどう違う?違わないと思います。

今強制と感じるものが、命令になったらどうするのか?

精神の自由=命を、いったい誰が守ってくれるのか?

音楽は自由です。強制や、命令とは何の関係もありません。

鈴木祥子、という人は私ではありますが、

鈴木祥子、の名前で何か規定されるものがあるのならば

そんなものは必要無いし、

鈴木祥子が作ったものはそのまま、そこに在ればいい、

関わってくれた人の音ともに、すごく好きだしこれからもずっと演奏してゆくでしょう。

いま思っているのはこんなことなのです。

P・S

さきほどHarmonyという音楽の言葉が元号の説明(対・外国)に使われている、

というのを聞いて、ウィーン帰り(笑)の私の怒りが爆発しました。

外国は日本より進んでいる、勝っている、そういう概念を植えつけてきたのは

誰だったのか?外国は進んでなど、勝ってなどいません。

寧ろ古いもの、受け継がれたものを大切に守っています。

見てきたばかりの街並み、楽友協会ホール、オペラ座、シュテファン寺院、

モーツァルトの家、ザンクト・マルクス墓地、

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音。

みな古いものです。残っている、残している、護っているのです。

何を?

文化です。それによって生き、それによって生活し、歴史を受け継ぎ、

力を与えられ、さらに明日を生きてゆこうとする意志です。

それを壊しておいて何がハーモニーか。ふざけるのもいい加減にしろ。

P・S2

ちょと説明不足だったかもしれないので補足したいと思います、

西欧最高!日本も見習うべき!ということを言ってるのではなく、

西欧が日本より優れているとか、進んでいるとか、

今までさんざん聞かされ、思いこまされていることがおかしいと思うのです。

私個人が感銘を受けたヨーロッパの壮麗な建造物、音楽、

それとは異質な優れた文化を日本は持っているのに、その文化を失くそうとしてきたこと、

いまも失くしつつあることに抵抗したいのです。

“脱亜入欧”。明治政府がスローガン?としたというこの言葉を、こんなにも

空しく感じたことはありません。

入欧、と云った時点でもう、甚だしく間違えている。

そこから卑下に転じるなら、それもまた著しく間違っている。

それが元凶だった!と思い知ったウィーンへの旅なのでした。

 

 

 

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