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2018年1月16日 (火)

マゾビアに行きたいっ。

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30周年記念ライブのお知らせをもうすぐ出来そうな予感。。。今少しお待ちくださいませね!(以下近況であります。)

『英雄ポロネーズ』を弾いててなんか楽しくて仕方無く、ミスタッチしてもガハハと笑ってよし、次行こう!みたいになってきた。以前はミスタッチを恐れて戦々恐々としながら弾いていたもんだったが。。。


デビュー30周年も感慨があるけれど、『英雄』を普通に弾いてる自分、が本当~に感慨深い(なんで14の時はザセツしてしまったんだろう?まぁ地道なクラシックの練習よりロックやポップに夢中になってしまったんだな要するに。。)。しかもポロネーズのリズムというものは。。。だの、


ポーランド=母国の誇りそのものの古い舞曲のリズムにショパン様が込めた想いとは、だの、


いや~フランスのピアニストの『英雄』はみんな綺麗だけどナンカもの足らない、綺麗に粋に弾きすぎててつまんない、それに日本の人はまるでベエトオヴェン(←表記は森茉莉先生の真似)の曲かのように勇猛果敢な『英雄』、にしてしまっている場合が多くてそれもちょっと違う気がする、



フランスとポーランド、父の国と母の国に引き裂かれたショパン様の、母なる大地への想いと2度とそこに戻ることが出来ないという矛盾、その激しい揺らぎはスラヴ系、あるいはヨーロッパ圏ではないラテン系のピアニストじゃないと表現出来ないのかもしれない、やっぱアルゲリッチの『英雄』やポーランドのウィトールド・マルクジンスキーの『英雄』が何といっても上手いと思う、


皆ラン・ランの悪口言うけどあの人の『英雄』はその「揺れ」を表現し得ていると思う、アジア系でありながらヨーロッパで生まれた音楽を演奏するという矛盾が、政情不安定なポーランドを追われてフランスに亡命したショパン様の精神の「揺れ」と響きあうのかもしれない、


とすると、民族と民族の血に、大地と大地に、国と国とに引き裂かれた経験の無い日本人がポロネーズやマズルカを「真に表現する」のは不可能、とは言えないまでも非常に、非常。。に難しいのではなかろうか?



優美なワルツやノクターン、パリの「サロン受け」を狙って書いた作品を皆んな(私も)好むけど、そのせいかショパン様、と言えばあま~く少女趣味、みたいなイメージさえあるけど、あれは所謂フランス語を喋る「表ショパン様」であって、


祖国のポーランド語を話すショパン様の真骨頂、であるところのポロネーズやマズルカ、民族に根差したリズムの、あの熱情と憂鬱の激しい揺れを、日本人は、私はどんなふうに表現すればいいのか?。。。


だのと、専門家が聞いたら吹き出しかねないようなゴタクを並べているのだから我ながらびっくりする。しかし幾分かは当たっていなくもないような気がするのである、そして私はポーランドのマゾビア地方(ショパン様の故郷、ワルシャワ中東部)に行きたくて、その空気を風土を感じたくて仕方が無いのである。

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