
インターネットでふと知った岡崎里美(おかざき・りみ/1954~1971)の言葉になんか惹かれる。
「ついにはネコにもなれなかった。めんどくさがりやで、ねむっているのが好きで時間感覚がまるでなくて、立体感がまるでない。
その場の状態しかわからない女の子がいったい何をやらかすというのだろう?なんにもしないでわらっているのがすきな子に何ができるというのだろう。
変なとこのプライドがたかくて、自己規定がまるでない子にいったい何ができるんだろう。死ぐらいしかないじゃないか?」
昔の私かと思ってドッキリしちまった。「死」を「音楽」に変えたら何だか、自分が書いたのかと思う。
おかざきりみ、って名前がまずかわいい。手紙にリミね、なんて書いてるのを見るとなお可愛いとおもう。いかにも甘い女の子のミジュクサと、ドキッとするような空虚がないまぜになってて何だか魅かれる。
リミの言葉について考えるうちにふと思ったことがある。この世には生きる意味が無い、なんてのはまず当たり前のことだ。「この世界は狂っているということをまず認める、そこから始めるのが最善です。
大切なことは、それについて不平を言うことではありません。希望をすてることでもありません。それはこういうことです。世界は意味をなしていません。しかし、あなた自身は意味をなすことが可能なのです。(ケント・キース「それでもなお、人を愛しなさい」より。)
じゃァ意味をなさない世界でどうやって意味をなすか?100人居たら100通りのやりかたがある筈だ。知恵とアイディアを駆使してやってみるのだ。生きる希望だの価値だのヨロコビだの絆なんて綺麗なことを云うから(自分のsicknessって曲の歌詞じゃないけれど?)
人生が全体に幻想っぽくなってしまう。幻想に追われるほど、追いかけるほど空虚なものは無いのに。。。
リミは夢見がちなようにみえて恐ろしく目が醒めている。この世が信じさせようとする幸せの幻想を一切信じていない。信じようともしていない。17の女の子にしてその認識はあまりにも早熟過ぎ残酷だったともいえる。
リミはただ自分の目に映るリアルなもの、その美しさや眩しさだけを信じようとした。絵を描き詩を書き歌を作ろうとした。この世が意味をなさないことを知っている人間にとって、それは誠に正しいひとつの道であり態度であった。
その道を何らか職業に変えて生きてゆくのを考えなかった筈はないけれど、リミはそうやって努力して「何者かになる」ゲームからも降りてしまった。私は自死を肯定するものではない、
ただ、彼女にあってはそれもまたひとつの「生きる」表現であったと思わずにいられないのだ。
「しあわせって
ありがね全部はたいて
たくさんたくさん
花をかいこんでしまう
こと
なのかもしれない」
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