コーラス=人と歌う=ハーモニー。
ハーモニー、人と歌って和声をつくること、所謂コーラス、またの名を「ハモり」。。。その根源的な楽しさを原田真二&クライシスで教わった。
真二さんとベースのウォーネル・ジョーンズさん、キーボードの太田美智彦さんと私の四声、正確には真二さんのリードヴォーカルに対して三声のハーモニーは今思い返してみても非常に安定していて、ライブ録音やラジオの非公開録音のテープを私は繰り返し聴いた。
自分のやっていることが少しでもバンドに、真二さんの音楽に貢献出来ている。。。それは初めて出逢う「仕事の充実感」だった。
リハーサルで指示を出すのは勿論真二さんだが、リード・ヴォーカルに対して完璧なハーモニーを作ろうと三人で工夫を重ねた。それについて話し合ったりしなくても、リハーサルで他の人の声を聴いていればアイディアが出てきて、それに対してハーモニーをつけたりするうちに形が出来上ってゆく。
真二さんもそれを面白がってくれて、曲の一部のリード・ヴォーカルを委せてくれたりレコードには無いコーラス・パートを増やしたり、どんどん歌わせてくれるようなところがあった。
打ち込みに合わせることもあったが殆どの演奏は生で、あの時のクライシスはとても自由だったと思う。
'86年12月の渋谷公会堂での2デイズコンサートの打ち上げで、ウォーネルさんが彼女のピッチは強力だよ、ハーモニーを歌う時はいつも彼女の声を聞いてるんだ、と言ってくれたのは凄く嬉しかった。
そのウォーネルさんと太田さんが去った後、サウンドの比重は生のグルーヴやハーモニー以外のところに移ってゆき、演奏はほぼ打ち込みとシンクロさせる形になった。
自分は歌うのが好きなんだな、それもハーモニーを作るのが好きなんだ、人の声とハーモニーするって何て楽しいウキウキすることなんだろう。
コーラスって正しく使えば曲の風景を変えてしまう。人の声の中にはリズムがある。それを真二さんに教えていただいたことに、どんなに感謝してもしきれないのだ。
日比谷野外音楽堂でのコンサートでドラムを委せてもらった時は嬉しかったけれど、この場所であの「四人のコーラス」をつくれたら良かったのに、と思うとちょっと、いや、実はとても淋しかった。
それでも二年間、真二さんの素晴らしい曲と高い音楽性を間近で体験し演奏出来たことの喜びは本当に大きかった。そこで学んだたくさんのことと共に、ほどなくして私はクライシスをやめた。'87年の秋、22歳だった。
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