しょうこのリスニング・ダイアリー。
W・A・モーツァルト
『ピアノ・ソナタ(コンプリート)』
リリー・クラウス/ピアノ
モーツァルトのピアノ・ソナタ第1番K.279から第17番K.576までをすべて集めた作品集。1956年モノラル録音。
リリー女王はソロで聴くに限る。「清麗典雅」とはリリー女王の弾くモーツァルトのためにある言葉だ。名前のとおり純白の百合のよう。美し過ぎて時間を忘れる(恥ずかしながら11番K.331を練習中の身として、少しでもこの美しさに届くよう頑張るのみ、なのダ)。
しかし。。。オーケストラの中に入るとこの透明な流れが、水のような淀みのない自由さが薄れてしまうように聴こえる。何故だろう?
リリー女王のテンポ感は独特で、決してきっちり正確でない。非常に主観的である。だから聴き手はリリー女王の提示する時間の波に乗ってどこまでも行くことが出来る。
アマデさんのスコアはテンポの正確さよりもとにかく「歌」を求めている。音楽の中に在る歌を解き放つことにかけて、リリー女王はまさに(自身も名言しているように)モーツァルトに選ばれた人だと言っていい。
そのリリー女王がオーケストラの中で精彩を欠くとしたら、それはやはり指揮者の役不足としか思えない。アマデさんの音楽の「歌」を理解していないか、解釈し切れていないんじゃないだろうか。
アマデさんの音楽の天使が出現しないということは、アマデさんの音楽の悪魔も出現しないということだ。だから「学校の音楽の時間」になってしまう。
両方を出現させるには音楽に「歌」を歌わせなければならない。「歌」を自由に飛翔させなければならない。ジョージ・セル/ロベール・カザドシュにあってこの演奏にないものはそれだ。
リリー女王なんでこの指揮者と録音しようと思ったのかナ~。何か大人の事情でもあったのか?たまたまの巡り合わせなのか??こう言っちゃナンだけど音楽性も実力もリリー女王に釣り合っていない。謎は深まるばかりである。
しかし黙って聞いてりゃあたしも好き勝手なことをほざくよネ。でも聴くだけ聴いて言いたいこと言えるのがリスナーの特権だモン!まァ良しとしよう。
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