十一月二十二日、近松忌。1
近松の浄瑠璃を原文で(注釈と首っ引きで)去年、初めて読んだ。
日本語の響きやリズムをもっと知りたい、感じたいと思った。浅草の木馬亭で生の浪曲を聴いて圧倒され涙が出そうになった。自分の想像力もまだ捨てたもんではない、なんて思った。
此の世の名残り、夜もなごり。死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそあはれなれ。 (曽根崎心中ーおはつ徳兵衛道行)
有名な『曽根崎心中』の道行の場面、何度読んでも口に出してもこのリズムに眩惑される。自分がそこに居るかのような気分になる。耳で聞き、声に出す「ことば」の喚起力、暗示力を想う。
近松の時代にはこれがどう語られていたか、義太夫の「フシ」が現存していないーー残っていないというのは「和歌や書は残っても歌=声のわざは残らない」という後白河院の言葉を嫌でも思い出させる。
録音技術というものを得たことには幸福と不幸がある。その発達につれてこぼれ落ちてゆくものがある。歌そのもの、ことばそのものの生命感ーー簡略化、効率化、合理化を拒む何かーー無理、無駄、無秩序、何でもいいけれどコントロールされ管理された場所からはみ出すものに年々触れられなくなってゆく実感があった。
恋して死んでゆく主人公たちはどこか身近で愛おしい。現代の感覚からすれば愚か、不幸なのだろうが、恋こそ無秩序の極致でありだからこそ恋の為に死ぬ主人公たちを語り、語らせる近松の言葉は生命感に溢れて異様に美しい。
富岡多恵子の『近松浄瑠璃私考』を読んで、岩波書店『日本文学体系49~近松浄瑠璃集』の解説とのちがいに何やら痛快な想いをした。男性の論者が自分と近松の出逢い、近松における「詩」と「ロマン」について断定的で思い入れたっぷりなのに対し、富岡多恵子は近松の「ウタ」と「カタリ」の本質についてねめ廻すように執拗に「口説き」、かえす刀でその世界に鋭くふかく入り込んでゆく。
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