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2015年11月 3日 (火)

声のわざ。

「声のわざ」=歌は芸術性と宗教性を獲得しているもの、一種の思想表現であるもの、人間の「願い」がこめられたもの。。。


後白河院は『梁塵秘抄』を作った理由をそう言ったそうだ。「声のわざ」なのか、歌うことは。



「歌」が記憶されるということは「録音が残る」こととはちがう意味を持っている。『レクイエム』だって残っているのはこのスコアであって当時の演奏では無い。「詩や和歌や書は残るが《声のわざ》は残すことが出来ない、だからここに書き留める」と後白河院の言うとおりである。



録音技術の発達によって歌や演奏が「残る」こと、人の心に「残る」こと。記録と記憶のちがい、と言い切ってしまったら言葉の遊びになってこぼれて行ってしまうものがある。


こぼれてしまうものを拾い上げてもう一度よく見たい。それが何かわかるまで考えたい。


録音技術でも何でも「発達」するのに委せていたら何かがズレてきてしまう。それは正そうとしても正しようのないズレであって、後はどのくらいそれを許容するかという問題にすり変わっていく。



私は何を願って「歌う」のか。若い時には「救われる」ことを願っていた。救われることが叶わないとしたら願うことはひとつしかない。それに向かって歌う=「声のわざ」をすることは今、生きていることにいちばん近いかもしれない。

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