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2015年11月

2015年11月30日 (月)

1月9日(土)1月10日(日)、

鈴木祥子定期演奏会『No Microphone,Please』の御予約を本日、しめきらせていただきました。誠に有り難う存じました!

来月中旬に参加証をお送りいたしますので、どうかいましばらくお待ちくださいませ。

BEARFOREST RECORDS執務室より。

2015年11月26日 (木)

御予約誠に有り難うございます!

鈴木祥子定期演奏会『No Microphone,Please』に御予約誠に有り難うございます!

先着順に受付しておりますが、満席になり次第しめきらせていただきます。なお、事務手続の関係でしめきりのお知らせにじゃっかん時間がかかりますこと、何とぞ御了承くださいませ。

BEARFOREST RECORDS 執務室より。

十一月二十二日、近松忌。2

ことに『女殺油地獄』の解釈には虚を突かれる思いがした。

ーー「わたしは(放蕩の限りを尽くし、最後に油屋のお吉を殺す主人公の)与兵衛アンちゃんが一番人間らしく思え、与兵衛の目で他の人間の眺めれば、あまりのウソらしさに腹立ちさえ覚える。」

ーー「誰ひとり、与兵衛の内部から外側を見ない。だれひとり与兵衛の視線で家族を見ている者はいない。これでは与兵衛という青年に残されるのは暴力のほかないではないか。」

ーー「与兵衛をわたしが「異形」と感じるのは、この男に人間のもつ正体不明の暴力を見るからである。」

これは明らかに現代に通じるーー現代そのものの問題ではないか。家族、暴力、コミュニケーションの不在、危うい精神のバランス。何年か前に起きた若い男性による犯罪のドキュメントを並行して読んでいた私は、そのテーマの深みにぞくっとするものを感じた。近松は元禄の時代に何を視ていたのだろうか。

「天才」とはあるヴィジョンを「視てしまう」人だちだと感じる。かれらはいつの時代に何処に生まれても、時代を超えことばを越えた地下水脈のような「なにか」と響きあい通じあってしまう。

ーー「『油地獄』という「語りもの」は物語でなく、確実に「劇」を志向している。近松の浄瑠璃は「語りもの」から逸脱し、それがもついわゆる近代の「劇」が「段」構成の人形芝居に入りきらなかった。その時、もて余された“文学”が、後世の“読者”に読まれて楽しまれるのだった。

ーー「劇作家」とすれば、これは不幸である。ただ、六十代のおわりに、尚もこの種の不幸をもち得た浄瑠璃作家を、驚いて仰ぎ見る。」 (富岡多恵子『近松浄瑠璃私考』より。)

 

劇ーードラマが浄瑠璃を逸脱し文学に限りなく接近する瞬間。近松を「国文学」として「読んで」しまう現代の私は、その変幻を逆に辿って暗闇のなかで演じられた人形芝居を視たい、「ウタ」と「カタリ」の発現する瞬間に立ち逢いたい欲望を抑えられない。最早それが不可能だと解っていても。

2015年11月25日 (水)

十一月二十二日、近松忌。1

近松の浄瑠璃を原文で(注釈と首っ引きで)去年、初めて読んだ。

日本語の響きやリズムをもっと知りたい、感じたいと思った。浅草の木馬亭で生の浪曲を聴いて圧倒され涙が出そうになった。自分の想像力もまだ捨てたもんではない、なんて思った。

 

此の世の名残り、夜もなごり。死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそあはれなれ。 (曽根崎心中ーおはつ徳兵衛道行)

有名な『曽根崎心中』の道行の場面、何度読んでも口に出してもこのリズムに眩惑される。自分がそこに居るかのような気分になる。耳で聞き、声に出す「ことば」の喚起力、暗示力を想う。

 

近松の時代にはこれがどう語られていたか、義太夫の「フシ」が現存していないーー残っていないというのは「和歌や書は残っても歌=声のわざは残らない」という後白河院の言葉を嫌でも思い出させる。

 

録音技術というものを得たことには幸福と不幸がある。その発達につれてこぼれ落ちてゆくものがある。歌そのもの、ことばそのものの生命感ーー簡略化、効率化、合理化を拒む何かーー無理、無駄、無秩序、何でもいいけれどコントロールされ管理された場所からはみ出すものに年々触れられなくなってゆく実感があった。

恋して死んでゆく主人公たちはどこか身近で愛おしい。現代の感覚からすれば愚か、不幸なのだろうが、恋こそ無秩序の極致でありだからこそ恋の為に死ぬ主人公たちを語り、語らせる近松の言葉は生命感に溢れて異様に美しい。

富岡多恵子の『近松浄瑠璃私考』を読んで、岩波書店『日本文学体系49~近松浄瑠璃集』の解説とのちがいに何やら痛快な想いをした。男性の論者が自分と近松の出逢い、近松における「詩」と「ロマン」について断定的で思い入れたっぷりなのに対し、富岡多恵子は近松の「ウタ」と「カタリ」の本質についてねめ廻すように執拗に「口説き」、かえす刀でその世界に鋭くふかく入り込んでゆく。

 

2015年11月18日 (水)

彼女の誤算。

チェンバロ奏者ワンダ・ランドフスカのチェンバロ名曲集のレコードをず~っと前に買ってA面だけ聴いて、それから聴いていなかった。


昨日、B面で『トルコ行進曲』をやっているのを発見しておぉ!と思いひさびさに聴いてみたところ。。。


あらっ?
リピート、無視(ΘoΘ;)


あ、またガン無視(°д°;;)


あの~作曲者の指示しているリピートを無視するってどういう。。。

アマデさ~ん、これってアリ?!あたしはナシと思うよ。。。

あ、まただ。ど~せ小曲のオムニバスだし、トルコ行進曲って小学生でも弾く曲だからと思ってやってる感じがする。


ランドフスカは12年前、私にスピネット(小型のチェンバロ)を購入する決心をさせてくれた大事な演奏家だと思っていたから、この「リピートガン無視トルコ行進曲」はショックだった。自分がその曲を練習しているだけに。。。


練習はここまでやったら完璧ってことが無くあらゆる弾き方を試みることが出来る。上手い人の演奏を「聴く」ことは練習そのものよりも練習になったりする。しかし。。。


全体に雑だし音色に深みが無くて、あまり。。。と云うか全然良い録音じゃない。ランドフスカともあろう演奏家が何でこれを出したのか?


単独で演奏されることも多いけれど、やはり『トルコ行進曲』は『ピアノ・ソナタ第11番』の為に書かれたものでピアニスティックな曲であり、チェンバロには向いていない。本人も解っていて、チェンバロを親しみやすくする目的で有名曲を弾いているんだろう。



クラシカル・チェンバロを歴史の遺物、とする考え方と戦う為には大きな音量が必要だった、と彼女が言っているように、生涯を懸けてモダン・チェンバロの普及と演奏に尽力したことは大変大きな功績だと思う。私だってこの人の弾くバッハのレコードを聴いていなければ、こんなにもチェンバロに惹かれていなかったかもしれない。しかし。。。


彼女は力には力で立ち向かう、と云う非常に男性的な戦いかたをした。その無理が(例えば)この録音に現れていると云う気がしないでもない。モダン・チェンバロが体現する大きな音量、派手な外観、モダン・ピアノを思わせる「現代」らしさ。それは短期的に大きな勝利をもたらしたかもしれないが、永い時間を生き残るものではなかった。



もしも彼女が女性的な戦いかたをしていたとしたら?あくまでクラシカル・チェンバロの繊細さ、美しさを守り乍ら「攻撃をかける」なら、それはどんな方法であり得ただろうか。




マスキュリニティというものが「大きく」「広く」「新しい」ことだけを重んじるならば、私はそれに与しない。


「狭く」「深く」「変わらない」ものを重んじることで闘わず、従わずして対抗するだろう。闘わないことは無力であることを意味しない。抽象的な話だが小説に女性の文体というものがある様に、女の「やり方」というものがある筈だ。


珍品の『トルコ行進曲』からそんなことまで考えさせられてしまった。ずっと聴かなかった理由がわかっちゃった。悲しい。

2015年11月17日 (火)

う・れ・し・い♪

う・れ・しい~『トルコ行進曲』、自分の弾きかたが出来るようになってきた。というより単なる指の練習から、こう弾きたいという方向づけが出来るようになった。小学生の時以来ウン十年ぶりに練習し始めて、4か月かかってやっと志向が指に反映するようになった。。。という感じ。あぁ難しい!


勢いある旋律だからついフォルテ!でスピードを出して弾きたくなるけれど、いろいろな人の演奏を聴いたら上手い人ほどそうしていないことに気づいた。



寧ろメゾピアノやピアニッシモのグラデーションとフォルテのメリハリの方が大事じゃないかと感じる。右手が十六分音符になるところからエンディングにかけて、以前は一番難しいと思ってたのに今は一番好き。その場面になるとニコニコしちゃうくらいなのだ、だって行進するひとびと、見守るひとびとの服や剣についた金ボタンや宝石がキラキラ、キラキラ光っているみたいなんだもの。



つまり私はこの曲をマスキュリンに弾きたくない。威風堂々って感じにしたくないのだ。やりようによってはそんなふうにも演奏出来てしまうけど、それだと曲から感じる童心、みたいなものが表現されない。もっと軽やかに/優美に/スピードダウンして和音を綺麗に響かせたい。


訓練って本当に大事だ。ひとつの解釈に固まらないことも。目指す場所があれば必ず行ける。大事なのは途中でやめないことだけ。50とは思えない小学生みたいな感慨でお恥ずかしいのだけど、あらためてそれを学んでいる様な気がする。


今からクラシックの奏者になれるわけでもないのに一生懸命練習したって。。。(〃_ _)σ∥なんて思わなくて良かった。アマデさんのおかげだ(^ー^)


よ~し、いよいよ母屋の『ピアノ・ソナタ第11番K.331』に挑戦だ!イェ~♪

2015年11月15日 (日)

近くお目にかかれそうであります

次の実演は初夏頃に。。。ナンテ言っていたのですが、先日の演奏会で味をシメたのか新曲が出来て、このタイミングで是非やってみたいことが出来てしまいました。


先日も書いたのですが『梁塵秘抄』が編まれた目的「和歌や書はのこるが、歌=声のわざは残らない」と云う、その「声のわざ」という言葉が大変大きなきっかけーーおおげさですが自分にとってのパラダイム・シフトーーになりました。


近くまたお目にかかることが出来そうであります!日にちが決まりましたらすぐにお知らせ致しますネ。

Kyousora

2015年11月 8日 (日)

旅立つことを決めれば

二年ぶりに曲が出来た。タイトルは『旅立つことを決めれば』。


9/23に『北鎌倉駅』という新曲をやったけどあれは2013年、もう一曲の『遠く去るもの~Faraway song』は2012年の曲だから、2014年は本当に一曲も書かなかったことになる。2年間、書こうと云う気持ちにならなかった。。。というより書くことができなかった。


「旅立つことを決めれば、道は其処に視えてくる。」ある時何故か頭の中に聞こえた言葉をそのまま書いてみた。録音の時期と場所はもう決まっているので、それまでにアレンジを考えよう。対位法とかラテン語とか。。。勉強したいことが山積み!


旅立つことを決めれば道は其処に視えてくる。。。あの声は何だったのだろう?



昨日、今日と『梁塵秘抄』の中の「今様」二六番に曲を付けた。歌とピアノで歌曲のようにしたい。ピアノが伴奏、バッキングと言うより独立した音楽になるように。

6つのパルティータ。

久保田彰さんにいただいた武久源造さんの『6つのパルティータ』本当に素晴らしい。


バッハ師匠って私、時々じゃないかと思う。良い言い方をすれば音楽のマッド・サイエンティスト。。。って同じ意味じゃないか!


この音階、音列、厳格な対位法の技巧、その美しさが描き出す無限の宇宙。アマデさんの凄さとはまた全然違う、生理と官能の在り方がちがう。バッハ師匠の方がよりだ。


6つのパルティータはバッハのライプツィヒ時代に書かれたものだそう。ライプツィヒの空気、バッハ師匠が音楽監督を勤めた聖トーマス教会の高い屋根、日曜日に聴いたトーマス・カントルの合唱。ライプツィヒから1時間半、電車に揺られてアイゼナッハに行ったこと、英語がまったく通じなくて、笑顔とダンケシェ~ン!で乗り切ったこと。。。旅は旅そのものより反芻がたのしいのだと書いたのは向田邦子だったろうか。いつかもう一度行きたい。


武久源造さんの演奏を聴いてあらためてバッハの音楽の「激しさ」を想った。抑制のなかにある悩ましさ、均整の向こうにある名状し難い狂おしさ。。。


最後のジーグを聴いていると何だかジャズのスウィング感を先取りしているみたい、200年も前に!まるでバッハを弾くキース・ジャレットを聴いているような錯覚に陥ってしまうのだ。

2015年11月 3日 (火)

声のわざ。

「声のわざ」=歌は芸術性と宗教性を獲得しているもの、一種の思想表現であるもの、人間の「願い」がこめられたもの。。。


後白河院は『梁塵秘抄』を作った理由をそう言ったそうだ。「声のわざ」なのか、歌うことは。



「歌」が記憶されるということは「録音が残る」こととはちがう意味を持っている。『レクイエム』だって残っているのはこのスコアであって当時の演奏では無い。「詩や和歌や書は残るが《声のわざ》は残すことが出来ない、だからここに書き留める」と後白河院の言うとおりである。



録音技術の発達によって歌や演奏が「残る」こと、人の心に「残る」こと。記録と記憶のちがい、と言い切ってしまったら言葉の遊びになってこぼれて行ってしまうものがある。


こぼれてしまうものを拾い上げてもう一度よく見たい。それが何かわかるまで考えたい。


録音技術でも何でも「発達」するのに委せていたら何かがズレてきてしまう。それは正そうとしても正しようのないズレであって、後はどのくらいそれを許容するかという問題にすり変わっていく。



私は何を願って「歌う」のか。若い時には「救われる」ことを願っていた。救われることが叶わないとしたら願うことはひとつしかない。それに向かって歌う=「声のわざ」をすることは今、生きていることにいちばん近いかもしれない。

小林秀雄先生に訊いてみる3。

才能というものは外的な環境にまったく左右されることのない、それ自体が独立した命を持っている。。。あの逆境の中でひとことも愚痴や恨みごとを言っていないのは、天使のごとき心を持っていたからとかじゃなく、それを何よりも深く識っていたからだと思えてならないんです。ついに言葉にすることのなかった、いちばん深い確信であり思想なんじゃないか?って。


そう思うと、生きる喜びが何故死への吸引なのかがわかる気がします。言葉を操ることは自分を守ることでもあるけど、生の核心から離れてしまうことでもある。この人は命の核心(確信)から一瞬たりとも離れることが無かった。生と死は対立するものじゃ無い。死は死じゃなくて生きることーー彼の才能がそれ自体の生命を持って生きていたようにーー今も生き続けているように。



「ーぼくは詩のようには書けません、詩人ではないから。文句を巧く配置して、影と光が生じるようには出来ません、画家ではないから。手振りや身振りで、気持ちや考えを現すことさえ出来ません、舞踊家ではないから。でもぼくは、音をもってなら、それができます。ぼくは音楽家です。ーーマンハイム、1777年11月8日」

小林秀雄先生に訊いてみる2。

「--彼の自意識の最重要部が音で出来ていたことを思い出そう。彼の精神の自由自在な運動は、いかなる場合でも、音という自然の材質の紆余曲折した隠秘な必然性を辿る事によって保証されていた。この様な自由を、所謂自由思想家の頭脳に棲んでいる自由と取違えまい。彼等の自由には棲みつく家がない。モオツァルトにとって自由とは、そういう少しばかり芥子を利かせた趣味ではなかったし、まして、自由の名の下に身を守らねばならね様な、更に言えば、自分自身と争ってまで、頭上にかかげねばならね様な、代償を求めて止まぬ、自由の仮面ではなかった。」


自由の仮面って言えばあの、父親の手紙に「お前にはこれだけお金使った、これだけ苦労をさせられた」ってことが度々書いてあってホント恩着せがましいんですけど、「神がザルツブルクに生まれさせ給うた奇跡」って言葉だけは絶妙!その通り過ぎて父、わかってるじゃ~んと一瞬思うんだけど。。。よくよく読んだら「奇跡のような才能だから早く大成功を治めて左ウチワでラクさせて欲しい!」って言ってるのがミエミエ。



自分の野心の為に勝手に連れ廻しといて、演奏旅行でお前の為にこれだけ借金したとか恩を返せとか超・高圧的に押し付けてくる、今で言う毒親ですね。代償求めまくり。愛情の仮面。



まったく何も解ってない、逆ですよね。この人(アマデさん)には自我ってものが無い、思考も全然無い。この世で自分を守ってくれるものみーんなお母さんのお腹に置いて来てしまった。『レクイエム』の序曲にソプラノのソロがあるでしょ?あれ、お母さんの声ですよね。自身が手紙に書いているようにーー「ーお母さんはわれわれにとって永久に失われたのではない、今にまたお逢いすることになる、この世にいる時よりもっと楽しく、もっと幸福に、一緒にいることになるーー」(パリ、1778年7月9日)



「ーー彼は、作曲の完成まで生きていられなかった。作曲は弟子のジュッスマイヤアが完成した。だが、確実に彼の手になる最初の部分を聞いた人には、音楽が音楽に訣別する異様な辛い音を聞き分けるであろう。それが壊滅して行くモオツァルトの肉体を模倣している様をまざまざと見るであろう。」


ーー人にそこまで感じさせるってどういう事なのかって思うんです。存在全部が音、意識と無意識のすべてが音楽で出来ている。。。そんな人じゃないとこんなものは作れないし、そんな人だからこそこんなものを書けたんだけど、そんな人が生きてることじたいが無謀だった。変な言いかただけど35年と10か月もよく生きていてくれた。。。って思わずにいられない。

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