アメリカの詩人。
一応社長ですのでビジネスバッグと云うか、A4の用紙がそのまま入るサイズのバッグを二つ持っているのですが。。。中を覗くとちょっとシュールな気分におそわれます。
いえ、そんなに乱雑にしているわけではなく、打ち合わせ用の資料、メモ用のノートや筆記具、ガラケー、そういったものに挟まって鏡、口紅、どうかするとポーチからこぼれたマスカラなんかが見え隠れし、
化粧はそんなに嫌いな方でないしレースやフリルの服とかスキですが、仕事と女、はやっぱ相性悪いよナ~と、資料のあいだに挟まったマスカラを見て冷静に思ったりします。
「女は女であることがプロなので、そのほかの仕事は何をやっても余技みたいになっちまう。」ってお聖さんの本にも書いてあったナー。それ、仕事をかるくみてるとか甘えてるってのともちがう。
しかし資料のあいだに挟まったマスカラ(しつこい)をどう説明したものか、自分でもよくワカラナイのです。そんなことを考えるのはアン・セクストンやシルヴィア・プラスの詩を読んだせいかもしれません。
アメリカの詩人の詩は昔から好きですが、時々あまりに漠然とした、茫洋とした広大さを感じてクラッと来ることがあります。まるで詩の真ん中に巨大な穴があいているみたいに。
こんな漠然とした広大を感じながら創作をつづけるのはキツかろう、とふと感じたりするのです。男だとブローティガンも好きだけど、いま挙げた3人みんな自分で死んでしまった。
この茫洋、漠然とした広大はあるいは彼ら彼女らの孤独や絶望の深さ大きさと似ていたのかしら?読みながらそう考えてみるのです。
しかしアンやシルヴィアの時代からすると、資料とマスカラはそれでも随分矛盾しない時代になったものだナー、とも思います。どちらをやるにも大きな腕力が要るけれど、腕力を使ってしかも消耗しない、ためには女に相応しいやりかたがあって、それは今まで信じられていたカタチとはずいぶん違うものだろうという予感もします。
ムズカシイけどもやってやれないことは無い、本田宗一郎サンだってそうやってあたらしいエンジンを考えたんだもんネ(違うか)!
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