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2015年4月

2015年4月30日 (木)

『我が心の切なる願い』

バッハのBWV.727を聴いていると涙が出てきます。どうしても弾けるようになりたくて練習したら弾けるようになった、そんな当たり前のことにびっくりしてしまいます。


こんな簡潔なみじかい曲でも、バッハの和声の完璧さと必然には感嘆するばかりです。ドイツ語で書いてあったのでわからなかったこの曲の題名の意味は『我が心の切なる希い』。


どうしてあんなに涙が出たのかわかりました。それはこの世ではもう叶わない希いのことだったのでした。

Pianosyoko

2015年4月25日 (土)

スペクターの低音。

何なのでしょうこの低音は。。。なんでこんな低音を思いつくのか、「ローを上げる」とか「下げる」以前に、身体の真ん中に鉛を打ち込まれるようなこんな暴力的な低音は、オーディオ的音響的な配慮と云うより身体的な必然から生まれた、生まれざるを得なかった切羽詰まったものとしか思えません。



この人の使う弦はエレガントどころか、空間を傷つけて血を流させるように聴こえる時があります。降り注ぐ天国のエコーは文字通りこの世ではない場所に必死で手を伸ばそうとしている、天使になれなかったいたいけな子供の歌声みたいです。


こんな音を作ることでしか救われないんだとしたら、身体的な必然として作らざるを得ない場所に居たんだとしたらそれは不幸いがいの何者でもありません。


しかし不幸と幸福って誰が決めるのでしょう。この世での安定とか、安心なんてこの人は望んでもいなかったでしょう。神様の目から見たら天国のエコーと不穏な低音に彩られたこの人の音楽こそが至福であり、祝福そのものであるでしょう。音楽―楽の音に魂を奪われる時、私達は一瞬神に近くなるのかもしれません。


愛してやまなかったお父さんが死んだ時、この世でのこの人は既に終わっていたんだと思います。だから音楽を作った。あんなにも豊かに躍動する音楽を。


不幸とか幸福を測るのはさかしらなこの世の人間、すべてを裁けるのはもはや、神様のものさしだけでしょう。

2015年4月24日 (金)

コンサートのうちあわせ。

コンサートの打ち合わせに行って参りました。

会場は私がひとめ惚れした場所。通常コンサートでの使用は行っていない。。。というところなので、担当してくださる方とお話しつつ、意見交換しつつちょっとずつ具体的なことが決まってゆきます。普段はぼーっ。。。としていることこの上ない私ですが、こういう時だけ行動力と積極性を発揮するのが我ながらおかしいです。今日はコンサートのタイトルが決まりました♪。

Syokosmilesmall

魔法の本屋さん。

駅前のある古本屋さんを私はそう呼んでいます。


先日書いた俳人・杉田久女を何故知ったかと言いますと、それは田辺聖子センセイの評伝『花衣ぬぐやまつわる・・・わが愛の杉田久女』を読んだからなのですが、その本を何故知ったかと云うと、魔法の本屋さんに田辺先生の書かれた吉屋信子の評伝『ゆめはるか吉屋信子』の上下2巻セットがあったからなのです。


この中に書かれていた久女のエピソードがものすごく気になって、久女ってどんな人?と思ったのがきっかけで俳句に惹かれ、図々しくも句会に参加するようになりました。B型はそういうところ厚かまし。。いや、スキになったら前進あるのみ、なのです。


別の時には朝起きてふとあ、『ボヴァリー夫人』が読みたいな、エンマ・ボヴァリーってホントに馬鹿だよなァ、でもあの馬鹿さって女なら笑えないんだよナ、でも今手元にないナ~なんて思いながら買い物帰りに魔法の本屋さんに行ったら、私の生まれた1965年版の岩波世界名作全集が!


フローベールの『ボヴァリー夫人』とモーパッサンの『女の一生』が収録されて何と¥300でした。ほんの3日前に行ったときにはそんなもの影もカタチも無かったのですヨ!


別の時にはチェンバロのアンサンブルについて考えていて、ふっと思い立って魔法の本屋さんに行ったら、バッハのカセットテープが一本¥200で売っているではないですか!



中身をろくろく確かめもせず小躍りしてあるだけ購入し、うちに帰って聴いてみましたらそのうちの一本は大好きなオルガン奏者マリー・クレール・アランの『トッカータとフーガ』、そしてこれまた大好きなBWV.578。。。


そしてB面はチェンバロ!の『半音階的幻想曲』。フランスのチェンバロ奏者クリスチャン・ラクロアの重厚にして華麗な名演で、



あの本屋さんは私の考えてることがなんでわかるの?魔法?と心から感じたことでした。


偶然は必然だと云うけれど、それって本当かもしれません。


Syokomaho


2015年4月23日 (木)

スニーカーと運動靴。

どっちでも同んなしやんけ、とお思いでしょうが田辺聖子センセイによると、


オバサンはすでに《スニーカー》と云う世代である。おばはんは《運動靴》と言って憚らない。


思わず言えてる!とアハアハ笑ったものの、ハテ自分は、と思ったらどっちもふつうに使っていることに気がつきました。


レコーダー、はレコーダー、だけどレコーディングは録音、と言ってしまうし、スタジオはスタジオだけどライブで歌うのは実演、と心の中で云ってます。


んじゃあライブ・レコーディングは?と言ったら「実演録音」。そのまんまやないか!と怒られそうですが、考えてみると私、結構日本語がスキであることに気がつきました。以前キャンディーズのドキュメンタリーで22歳のランちゃん。。。伊藤蘭さんが、


「このあいだの日比谷野外音楽堂のコンサートでもね、」と仰ったのがナゼか、とても新鮮で素敵だったのです。野音、といい始めたのはずっと後なんだなァと思ったのでした。


ノートは帳面、コートは外套。ベランダは物干し(俳句を読んでいると露台、なんて書いてあってロマンチック)、スケッチブックは図画帳。。。


ランチボックスなんて言う人少ないですよネ?やっぱお弁当箱。トートバッグは手提げ袋。ベッドは寝台。何か楽しくなって来ました(笑)。こ~なったらオバサンでもおばはんでもどっちでもエエやんか!と、つい田辺センセイの大阪弁がうつってしまうのでした。


因みに男性のバヤイ。。。「オジサンは《全天候型ドーム》と呼ぶが、おっさんは《雨天体操場》という。」

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これは。。。エスパドリーユ。仏蘭西式運動靴?!

2015年4月22日 (水)

本日、

坂本真綾さんのトリビュート『REQUEST』が発売になります。デビュー20周年に、小さいけれど花を添えることが出来て嬉しい!ぜひお聴きになってくださいネ♪。

Syokoflower

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2015年4月19日 (日)

雨だれこぞうさん。

バカラックの『Raindrops keep fallin'on my head』の今も忘れられない日本語バージョン。歌っていたのは『ママとあそぼう!ピンポンパン』のようこお姉さんでした。一字一句覚えているということはどれだけ好きだったのでしょう?雨の日にはいつも口づさんでしまうのです。

雨だれ小僧さん、ポツン、と空から落ちてきた。

ひとつ、ふたっつみっつよっつ、ホラ

ぼくたちぬれても平気です。

指切りします、雨だれの首飾り

もしウソをついたら、針千本のみます、約束します

雨だれこぞうさん、ポツン、と空から落ちてきた、

ひとつ、ふたっつみっつよっつ、ホラ

ぼくたちぬれても平気です。

雨だれの、首飾り。

2015年4月18日 (土)

with your hands.




手を使うって大事。このトシになってあらためてそう思います。

頭と手が同時に動いて、身近ですぐ出来ると云う点においては、料理することと文字を書くことが双璧なのじゃないでしょうか。


パソコンやスマホの操作は主に頭の方に刺激が行くので、チョト身体が物足りないかもしれません(関係無いけどわたし、未だにガラケー)。


楽器を弾くのも手を使う作業ですネ。パソコンで音楽を作ったことが無いのでわからないのですが、手で演奏することがメロディを呼んだり音のイメージを呼んだりすることはよくあります。


オルガンとピアノとチェンバロの感触がちがうように、楽器によって鍵盤を押したときの圧力がちがうのは殆ど身体的な喜びです。演奏そのものと同じくらい(もしかしたらもっと)指にかかる圧を楽しんでいるようなところがあります。


料理の手順を追うだけで、あるいは画数の多い漢字を練習したりするだけで(薔薇とか躊躇とかネ、)使ってる頭の部位が凄く多いと感じるのは私だけ。。じゃないですよね?!老化防止どころか小学生並み、なんて言わないでください。


手をつかうと云うのは何か気持ちの充実や満足につながる気がするのですね。思いのほか深いところに浸透すると云うのでしょうか。


きっと頭と身体は同じだけ使用(止揚?)するのが良いのでしょう。音楽と関係ないみたいだけどやっぱりチョット、すごく似ているな。手で何かを作ることはみんな似ている。そんな気がします。

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手を使う作業。




先日須藤宏さんのオルガンの、美しいパイプの配列を眺めているだけで幸せな気持ちになる。。。と書いたのですが、それは手を使う丹念な作業の美しさ、その「心」を感じるからなんだ。。。と思ったのでした。

Sudosann_3


須藤さんと最新作。

2015年4月16日 (木)

須藤オルゲルバウ。

久里浜の須藤オルガン工房・須藤宏さんの最新作をチラッ、と触らせていただきました。
Sutoorgelbau_1



小さいけれど何と素晴らしい音!須藤さんはパイプや鍵盤をすべて手作りされるので(輸入する工房が多いそうですが、それじゃァ自分が面白くないんだよネ、とは須藤さんの言葉です)その音は本当に暖かく深みがあって素敵です。
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このパイプの配列を覗いているだけで幸せな気持ちになるのは何故でしょう?まだ胸の中に音と鍵盤の感触が残っています。
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2015年4月15日 (水)

ライブ会場。

ライブ会場で打ち合わせをして参りました。緑いっぱい、フランス式の庭園に鳥が鳴いて、とても気持ちの良い場所です♪。

Kacyonomiyagarden_2

紅椿。

吾が名呼ぶ甘き余韻や紅椿

=しょうこ=

と言ってみたものの甘くない、椿って意外に生々しいです。

女っぽいな、本当に。

Tsubaki

2015年4月14日 (火)

「無い」と「ある」の話3。

無い、イコール虚しい、厭世的。。。ってことになってるのかもしれません。東洋医学の「陰陽論」ではないですが、「ある」と同じくらい「無い」があっても良いジャンカ、と思うのですがねェ。


生まれた国のワルクチを言うのはナニですが、「ある」「なる」ばっかしでバランスを欠くことが、生きている心許なさや不安の遠因になってるような気もするのですね。



♪ここは~あたっしのぉ~居る~場所じゃァ無い♪なんてェ歌を以前書きましたが、「無い」と云う場所でしか私は歌えないし、音楽をやる理由もまた無いのです。あ、また無い、って言っちゃった!


なんじゃそら、話が抽象的過ぎてわからねぇ!と云われても当局は一切関知致しません。この話のオチは何なんだよ!と云われても、つまりオチは「無い」「わからない」のであります。

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2015年4月13日 (月)

「無い」と「ある」の話2。

圧倒的に「無い」のです、何かが。欲しいものなのか求めるものなのか、もっと云えば自分、と云うものは「無い」。だから「在る」「なる」という類のこととは未だに折り合いがつきません。自分が「ある」、自分はそう「なる」と言う「確固たる世界」ですね。そんなもんあるわけね~じゃねェか、と思ってしまうのです。

池に帰ったコイ、じゃなかった「水を得た魚」って言い方がありますが、「ある」「なる」の世界に居ると私は水を得た魚の真逆、海に流された川魚、って感じになります。しかしこの世界は「ある」「なる」が圧倒的存在感を誇っていて、「無い」とはとても信じられない、というふうに見えます。

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「無い」と「ある」の話1。

このブログは先日始めたばかりなのですが、何処にも宣伝などしていないので、お知らせした何人かの方いがいはまだ誰もみえていません(笑)。

最初のうちは毎日更新した方が良い、とのアドバイスをスナオに守っているものの、いつか誰か来てくれるのか?お~いと呼びかけても谺が帰るだけ、と云う淋しいような可笑しいような状況で、

在るような無いようなこのおかしな空間に、これを良いことに普段あまり言わなかった本音など(独りごとのように)書いてみたいと思います。

デビュー25周年なんていうものも通り過ぎたし、30周年ってもう3年後か、だからどうってことも無いけど写真の整理でもするべェか、と先日ふと思い立ち、ライブやスタジオの写真を1ヵ所集めてみました。

こういろんな写真をザ~ッと見てたらなんか。音楽ばっかしやってた自分が本当~に可愛相になりました(涙&笑)。

まったくの虚でも無くかといって実でも無い、よくもまぁこんなことを30年近くやってイヤにならないもんだとある意味感心してしまいます。現実感がキハクなのでしょうか。虚でも実でも無い、そのあわいに居ることに手応えを感じると云うヘンな体質なのかもしれません。

いや、きっとイヤになっていたんだろうと思います。自分の『忘却』と言う歌ではないですが、何が欲しくて、何をしたくてやってるんだと云うと答えようがないのです。さっきから虚でもない、実でもない、わからないとないないばっかし言ってますが、それこそが音楽をやる理由かもしれません。

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2015年4月11日 (土)

作業机。

久保田チェンバロ工房の久保田彰さんにチェンバロのジャックの直し方と調整の仕方を教えていただき、なんと(1年前では考えられなかったことに)自分で直せるようになりました。

調子が悪かったところがちゃんと動作するようになって、音がきれいに鳴るようになって、

さらに音量に大きなばらつきがないように微調整する。。。こうした工程がたとえば、1からコーラスを作ってゆくときの過程にそっくりだなァと思えたりします。どちらも時間と慎重さが必要、そして思う音になったときには。。。天にものぼるうれしさです。

Kubota_cembalosyoko

2015年4月10日 (金)

月の潮。




乗りすゝむ舳にこそ騒げ月の潮

俳人・杉田久女の句の中でこれがとても好きなのです。

何か太古の昔から連綿とつづく「女のいのち」を賛美しているようで、ある時期のこの人の句を読んでいるとまるで万葉の、いや、もっと昔の古事記や日本書紀の女神が詠っているような気さえしてくるのです。

恥ずかしいのですがワタシ、杉田久女に憧れて最近、句会などに参加させていただいております。「女」をテーマに一句。。。お粗末さまでした!(先に言っちゃう。)

愚かとはをんなの恋や桃の花

をんなには戻る道無し花遍路

=しょうこ=

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2015年4月 9日 (木)

録音について/’89年のフィルム。

スズキです。先日、2回録音した、と書いたのですが、どちらもここから先の地図になりそうな録音で、以前のように急いでいないのが何より嬉しいのです(急がなさすぎなんだよ!という声も聞こえますが今は聞かないフリをします。)

ここ10年ほどの傾向?として完成形はイメージするだけで事前に仔細なデモテープを作らない、ということがあり、これが良いのか悪いのかわかりませんが行く場所がだいたい決まっていると云うのがなんとなく、興奮しないのです。

デモテープにある衝動、一回性のようなものをスタジオでもう一度「再現」するということになり、「再現」である以上それ以外のことが起こらないと「解っている」のが「興奮しない」のかもしれません(あくまで私にとって、なのですが。。。)

完璧さが全てと言うことでも衝動さえあれば良いというワケでも無い、だとしたら録音の何とも難しくまた楽しいところはやはり「どうなるかわからない」と言う賭けのような、バクチのようなところではないでしょうか。このへんかな~と思って始めて、お、ここであったか!と発見するプロセスは何より自分の勉強になるのです。ン?何だか「人生」の話をしているみたい。

仕事と勉強とバクチの境目が無いという意味では、自分は大変音楽に向いているのじゃアないかと思うのです(もともとが無知を絵にかいたようなボヤ~ンとした人間なので。。。)

それを聴いて楽しんでいただければこの上もないよろこびなのですけれど。あるいは今後もっと良い方法がみつかるかもしれません。

全く関係ないですが当ブログのプロフィール写真は「ステイションワゴン」と云う’89年のシングルのジャケットの別テイクです。堂々と若いころの画像を使うところが図々し。。。いや、我ながらさすがアラフィフですね。モノクロってやっぱり良いナァ。

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2015年4月 8日 (水)

クープラン。

クープランはルイ十四世の時代のフランスの宮廷音楽家・作曲家です。クープランの曲を演奏するならベルサイユ宮殿のお茶会に招ばれた貴婦人の気分にならなければ。。。(無理(涙)!)

チェンバロの鍵盤の感触はあまりに心地良いので、ピアノを弾いた時に一抹のもどかしさを覚えるくらいです。見た目は優雅ですが、絃を爪ではじく、と云う発音の仕組みはどこか原初的な感覚に訴えるものがあります。

チェンバロから現在のモダンピアノまで時代が進むごとに、指に伝わる感触は”原初的”と云うより”よくコントロールされた”ものに変わってゆくと云う気がして(これは調律法も同じですネ)、

このままもう平均律には戻れないカラダになってしまうのじゃないか。。。その可能性が大き過ぎて、チョット不安な今日この頃です(涙&笑)。

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2015年4月 7日 (火)

エイプリル、1989.

突然ですが4月21日はスズキの2枚目のアルバム『水の冠』の発売から26年(半端。)です。

当時23歳、十代のころは「新人類」、その後「バブル世代」「均等法世代」と呼ばれた世代の良いところは妙に楽観的なところ、

厄介なところは”良い意味で”群れるのが苦手なところじゃアないかと思います。ここから3年くらいが人生でいちばん曲を書いてた時期でした。

ジャケットのアナザー・カット。

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クローズアップめのアナザー・テイク。個人的にはこれが良かったナァ、26年前だけど。)

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2015年4月 6日 (月)

スズキです。




スズキです。生きております。49になりました。もうすぐ50の大台です。もう30の大台、ナンテ言ってた頃は遠い昔になりにけり、であります(涙)。

御無沙汰しまして御心配おかけ致しました。自分名義の作品としましては、2014年6月に3348のレコーダーで録音した音をいつか、いや今年中に聴いていただければと思っております。ピアノがとても良い音なのですヨ。

4/22に発売される坂本真綾さんのトリビュートアルバム『REQUEST』に『さいごの果実』で参加させていただいております。平均律からちょっと。。。いや、だいぶはなれて四分の一、の調律のチェンバロを演奏しました。

そのチェンバロと「四分の一」の調律法で久しぶりにコンサートをすることになりました。普段耳にしている平均律とはまたひと味、ふた味ちがう魅力を御伝え出来れば、と思っております。

場所は鎌倉某所、緑に囲まれた素敵な場所ですので、ピクニック気分でいらしていただけたらとても嬉しいです。詳細は6月初旬にお知らせしますので、今しばらくお待ちくださいませ。

昨年2回の録音もテープで乗り切れたことを個人的にとても嬉しく、幸せに思っております。今日び、もっと便利なキカイがあるってエのにばっかじゃなかろか?の声を感じつつ、わかっちゃいるけどやめられそうもない、のであります。

それではSee U soon,メイビーin June,であります。あれ?思わず韻を踏んじゃった!その前にまた書きますネ。

=しょうこ=

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